12. 
【霜月十一日、菊千代の躯調査終了後】
 火事を知らせ、鳴り続ける鐘。火はまだ遠かったが、煙の匂いが締め切った室内まで入り込んでくるようになると、松川楼の衆も落ち着かなくなった。今日は北風が強いうえ、ここ数日、雨は降っておらず、空気は乾燥している。
 強風にあおられ、細かく飛んだ火の粉が生き物のように次々落ちては広がり、辺りは熱気が立ち込める。暗い夜を焦がす炎が徐々に松川楼にも近づいてきたため、皆、大事な着物などを抱えて逃げる用意を始めた。
「小梅ちゃん、どこへ行きんすか」
 行燈部屋へ向かう小梅は、姐女郎に呼びとめられた。
「菊千代姐さんを連れて行かなきゃ」
「放っておきなんし。気の毒だけどもう死んでいやあす。死人よりもお披露目の着物を持っていった方がいい」
 ほどなく炎は松川楼の屋根に移ってきた。小梅は仕方なく菊千代の遺体を行燈部屋に残したまま、屋外へ飛び出した。菊千代が用意してくれた重い晴れ着を抱きかかえ、同じ妓楼の衆たちと大門へ向かって連なり走る。
 ――あたしの他に、姐さんと三助さんの死の両方の真相を知っているのは、佐之吉さんと民子さんだけ。
 炎が遠くなると、小梅は振り返って、松川楼の方向へ手を合わせて目を閉じた。
 ――あたしは生涯口を閉ざす。民子さんが一回目の取り調べの時に入れ替わっていたこと、そして、民子さんと菊千代姐さんが交代する時に、姐さんが息を引き取ってしまったこと。内儀さんが事件にみせかけるよう指示したこと。
「姐さん、本当にありがとう……」
 ――兵衛様の家で、三助さんを最初にかんざしで刺したのは菊千代姐さん。匕首で息の根を止めたのは佐之吉さん。三助さんを押さえつけて佐之吉さんを手伝ったのは民子さんとあたし。姐さんが披露目を嫌がるあたしを元気づけるために佐之吉さんと二人きりになれるよう考えてくれて……惨劇のあの日、佐之吉さんと思いを遂げたことは、おかみさんも知らない。姐さん、大好きな菊千代姐さん。見ていてください。あたし、この苦界で年季が明けるまで、精一杯がんばって前向きに生きていく決心をしました。佐之吉さんがいつもそばで見ているって励ましてくれたから。こんなあたしでも、ちゃんと廓言葉を使って同心の旦那と話が出来ましたよ……

「何をしてるんだい。こんなところに突っ立っていちゃ迷惑だよ」
 お藤の声に、小梅は我に返った。
 お藤は近寄ると、小声で耳打ちした。
「火事とは都合がいいねえ。うちまで火が付いちまったのは残念だけど、必要なものは全部持ち出せたし、これで帳面が燃えたって言えば菊千代の件はうやむやになって終わりだよ。いいかい、しつこいようだけど、口が滑っても兵衛様の名を出すなんてことをしたら、死ぬまで折檻だからね」
「わかっておりいす」
「さ、行くよ。今日はみんなうちの寮泊まりだ。しばらくの間は吉原の外で営業することになるから、あんたのお披露目の日は延ばすけど、そのうちにやるからね」
「あい……」
 小梅は内儀の後ろに付いて、松川楼の衆たちと一緒に、火事で混雑する大門を出ていった。ふと振り返れば、すぐ後ろに佐之吉がいた。
 目が合う。
 それは一瞬。誰にもわからなかったが、小梅には、佐之吉がほんのり唇を弛めて笑顔を見せてくれた気がした。



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