13. 
 吉原が全焼した火災より一週間が経過した頃、 同心近江清太郎の元へ、手下の岡っ引が情報を持ってきた。
「それは本当か。三助が持っていた髪は、母親の物だと?」
「間違いごぜえません。見てみると、確かに母親には髪を切った形跡があり、預かった髪と比べてみたら同じ髪で。あまりにも息子がなさけねえんで、髪をあの世への船賃代わりにやるからどこかで人生にけりをつけろと背中を蹴り出したと、その母親が言うんでさあ。三助の推定死亡日に、自分の首を突いて橋から川へ飛び込んだ男を見たという証言者も出やした」
「三助は母親の髪を握って自害したと言うのか。母親の命に従い、自分で首を掻き切って入水死か」
「へい、そのようで」
「躯も引き取らん薄情な親だったが……まあ、あやつは害虫のようにどこからも嫌われていやがった。行き場所もなく金も尽きて、死ぬしかなくなったのかもしれん」
「それから」
「なんだ」
「菊千代花魁の件ですが、それに関してはまだ何も新しい情報はねえです。火事で人がいなくなっちまい、聞き込みをするのも難しく……そういう俺らも火事の手伝いもあって調べるどころじゃあねえし、これ以上は――」
 清太郎は、しぶい顔のまま手控え帳を手に取った。
「わかった、ご苦労だった。菊千代花魁の件だが……別の筋から情報が入ってな、実はあれも自害だったらしいぞ。三助の件とは関係ないのだ」
「え、自害とは……首に紐、それに顔があれで? 血文字も」
「某(それがし)も絶対に自害ではないと思ったのだがな。松川楼の衆に火事の後、さらに詳しく話を聴いたところ、菊千代花魁は病気を苦に自分で死のうとしたと結論に達した。死ぬ直前には脳天までいかれて気がおかしくなっていたらしい。首に紐が絡まっておったから絞殺だと決めつけてしまったが、思えば首を絞めたことで死んだにしては顔にうっ血がほとんどなかった。自分で首を絞めようとしてもうまくできず、そのまま体力を失って死んだようだ。血文字は遊女たちの間で流行っている占いのようなものらしい。もう一度躯を確かめようにも火事で燃えて、これ以上は何も出てこない。この件は打ち切りだ」
 報告をしていた岡っ引は、一瞬、何か言いたげな顔をしたが、清太郎から情報収集料を受け取ると、すぐにそこから去った。
 一人きりになった近江清太郎は、眉をさげたひどく情けない顔になっていた。大きな背中を力なく丸める。
「結局……どうにもならん。二人とも絶対に、誰かに殺されたに違いねえのに。母親に言われたからと莫迦正直に髪を握って自分の首を突いて自害する男などいるものか」
 菊千代が杉屋兵衛に寮で会ったことは間違いないはずだが、誰もそんな事実はないという。
「兵衛のやつめ」
 松川楼には兵衛から饅頭の付け届けがあったことも分かっている。菊千代はおそらくその刻に――
 菊千代が三助殺しを依頼していなかったとしても、彼女は、三助の死に関してなんらかの事情を知っており、口封じに消されたのだろう。
「ちっ」
 清太郎は舌打ちした。不満が口汚い言葉になって飛び出す。
「一度は証言した駕籠かきの奴らも、思い違いだったと言い直しやがった。あのお藤とかいう内儀も、ぺらぺらと調子よく話を作りおって。なにが妖怪髪切りだ。んなもんいるわけねえし、小梅のやつが事情を知っていることは阿呆でもわかるだろうが。番頭もおかしい。情報を今になってから取ってつけたように出しやがって。さっきの岡っ引きも金を攫まされた口だな。勘当したとはいえ、息子を亡くした母親が急にそんなことを言うわけねえんだよ。証言者とやらも作り話だろうよ。けっ、どいつもこいつも、調子のいいやつらめ。証拠があれば嘘を吐いたやつ全員に縄をかけてやるんだが」
 清太郎は溜息をつき、さらに背を丸めた。
「どっちの死人にもあの金持ち男が絡んでいるらしいことが分かった以上、なんの力も持たない某が下手人を探し出してとっつかまることなんざぁどでぇ無理な話よ。あの男が口を合わせるよう大勢に金をばらまいたに決まってやがる」
 冷たくなった手を丸火鉢にかざした。
「体も寒いが、懐も冷え込んでいるのう。今回の火事で材木屋はまたぼろ儲けだ。杉屋兵衛は笑いっぱなしだろう。この二つの事件で、某にも口止め料の一文でも入るならば、もっとやる気がでるんだがなあ。まったく……同心って仕事は体力ばかり使ってちっとも儲からん。永久貧乏だ。なんともやりがいのない仕事よ。またしても下手人は捕まらず、真実はすべて闇の中。いや、そもそも下手人など最初からいなかったのだ。まったくの無駄足。そういうことだ」
 清太郎はだるい笑い声をもらすと、火鉢から離れて筆を執り、手控え帳に、どちらも自害、二人の死は無関係、調べは終と書き込んだ。





【了】





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