菜宮雪の空想箱

24.囚人



 エディンが連れて行かれたのは、城の敷地内で北東に位置する建物。石作りの壁は経年により全体的に黒ずんで、決して美しくはない。日当たりの悪い場所にあるせいか、石を組み合わせた壁は、腰の高さほどまで苔が上っている。
 この陰気な建物が、罪人かどうかを審議する場所として使われていることは、エディンも知っていた。
 
 『取り調べ待ち部屋』として連れて行かれた部屋は、灰色の石壁で窓はなく、廊下側の壁全面が鉄製の格子になっているだけの、簡単な作りで暗い部屋。施設内には、同じように今朝放り込まれた者が何人もいて、格子にしがみつき、口々に無実を叫んでいた。
 兵が怒鳴りつける。
「うるさいやつらだ。今一人ずつ調べているから待て。順番が来たら出してやる。あんまり騒ぐと不利になるぞ。本物の収容所送りになりたくないなら、静かにしているんだな」
 エディンの向かいの牢にいる侍女の服を着た女性が「こんなのあんまりです」と泣いて訴える。しかし、見張りの兵は応じない。女性はワッと泣き崩れ、彼女と同じ格子内にいる女性になぐさめられている。

 エディンは、ああ、とため息をついて座り込んだ。負傷した肩をさする。薬が切れたのかやけに痛い。体が熱っぽくて軽いめまいがするので、汚く冷たい石の床に横になった。
 見上げれば、石の天井は黒いカビのしみ。見ているのも嫌で目を閉じる。本当に汚くて何もない部屋だ。まだ本物の牢獄の方がましかもしれない。取り調べに入るまで待たせるだけの部屋なら、寝台か、腰かけぐらい置いてくれてもいいだろうに。

 しばらく経つと、料理人の服を着た男がエディンと同じ部屋に放り込まれた。彼もエディンと同様にぶつぶつと怒っていたが、やはり彼も取り合ってもらえない。
「食材を取りに行っただけで、どうしてこんな場所へ連れて来られなきゃならんのだ。忙しい時間なのに。こら、そこの監視兵、陛下のお食事が遅れてもいいと思っているのか」
 無言の返事。小太りの料理人は、脂ぎった鼻をふくらませて、顔を赤く染めながらぶつぶつと言い続けていたが、やがてあきらめて黙ってしまった。横になっていたエディンは身を起して壁に背をあずけると、彼に声をかけた。
「あの……あなたも捕まったのですか。僕もです。何もしてないのに」
 格子にしがみついていた料理人は、振り返ってエディンと目が合うと、早口で怒りをぶちまけた。
「まったく、夕べからこの城は狂っているとしか言いようがない。賊たちは全員死んで、彼らを手引きして者もわかったのだから、ここまでしなくてもいいだろう。朝の料理の準備をしなければならない時間に拘束するとは。陛下のお食事が間に合わなかったらどうしてくれる。あなたもそう思いませんか?」
「えっ、手引きした者が誰かわかったのですか!」
 声に力が入ってしまったエディンをみて、料理人は、近づいてきてエディンの隣に腰を下ろすと、丁寧な言い方で返してきた。
「夕べのことをご存知ですよね」
 料理人は、深夜に部屋まで王直属の兵が入って来て、持ち物すべてを調べられたと、早口で言った。
「部屋の衣装箱をひっくり返して、やりたい放題。いくら陛下直属の兵のやることだと言っても、なんでもやっていいわけがない。あれでは強盗と同じ」
 料理人の不満は延々続く。エディンは、自分が知りたい「賊を手引きした者」の話になかなか進まないので、話の途中で質問した。
「手引きした者って、誰かわかったのですか」
「なんでも陛下付きの小姓だとか。名前は忘れましたが、まだ子どもらしいですよ」
「小姓……?」
 驚きは顔に出さずにはいられなかった。王の傍にいる小姓と言ったら――思い浮かぶ夕べの少年の顔。王子を呼びに来た彼は、中庭で死んだと確かに聞いたが。

 ――あの小姓が、賊を城内に入れた? 
 
 エディンより数年若く、背格好も大人になりきっていない細身の少年だった。別人の話なのだと思いたい。しかし、知っている小姓で、王の傍にいる者といえば、夕べの少年しか思い浮かばない。彼が、王の名を借りて王子を部屋から呼び出し、案内するふりをして、賊に襲わせた、と言えば辻褄が合う。
 エディンは思わず身を乗り出すようにして、本当かどうかを問うと、料理人は、少し声をひそめた。
「死体のかたづけを手伝わされた連中がそう言っていましたよ。小姓の体には傷がなくて、顔色がどす黒くなっていたと。その死体だけが様子がおかしかったんで、医術師に見せたら、服毒したらしいと言ったとか。賊どもを城内に入れて、任務を終えて自殺したのでは?」
「彼が自分で服毒って……誰かに毒を飲まされた、とは考えられないでしょうか。彼が賊を手引きしたという話は推測ですよね? 彼は僕よりも若いのに、そんな大それたことをするなんてありえないです」
「さあ、それはどうだか。そのうちに調査でわかるのではないでしょうか。誰がやったにしても、こんなところへ関係ない私たちまで放り込まれて迷惑極まりない。いったいどうなっているのか」
 料理人はまたぶつぶつと、怒りをつぶやき始めた。
 
 エディンはすっかり気が沈み、料理人と話すのをやめて床に再び横になった。
 賊の侵入は、あの小姓がやったことなら、ドルフは関係ないのかもしれない。しかし、まだまだ先が長い少年が、どうしてそんな犯罪行為に走らなければならないのか。
 意味がわからない。

 いくら考えても答えは出ないので、これから自分はどうしたらいいのかを考えることにした。目を閉じて頭を整理する。
 ジーク王子は、すでに自分の部屋を出ているかもしれない。そうだとするならば、王女は、今は?
 ニレナ王女の肖像画を思い浮かべた。あの絵と同じ顔の女性が、血にまみれて王子の寝台で眠っている。いや、眠っていないかもしれない。時間はどんどん過ぎている。もうすっかり朝だ。彼女はすでに目覚めているだろう。目覚めた彼女の傍に、王子がいなかったとしたら。
 エディンは身を起こし、格子にしがみつくようにして大声で叫んだ。
「早くここから出してくれ。頼む、急ぐんだ」
 廊下の見張りは、一瞬、エディンの方を見たが、無視した。

 ――だめか……

 ため息をつき、再び横になろうと腰を落としかけた時、廊下の奥に急に人が来た気配がして、エディンは格子に顔を寄せた。よく見えないが、女の声だ。
 兵との会話はしっかり聞こえる。
「ここに何の用だ。無許可で立ち入ることは許されない」
「城内を自由に動ける許可書はここにあるから。ちょっと聞きたいんだけど、夜警のエディン・ガルモって人、ここにいない? ジーク様が厨房まで捜しにいらっしゃったの」
 この会話が耳に入ったエディンは大声で叫んだ。
「エディン・ガルモはここにおります! 早く出してください。すぐに戻らなければ」

 兵は不満そうな顔でエディンを解放した。エディンは呼びに来てくれた厨房の女性に感謝の言葉を述べると、彼女と共に、急ぎ足で王子の部屋へ向かった。
 
 途中、王子の服を着たエディンの姿に、またしても巡回兵に呼び止められたが、今度は拘束されることはなかった。この厨房の女性は、王子の許可書を持って城内をうろつき、エディンの消息をかなり聞きまわったらしく、すれちがう巡回兵たちの中には、見つかってよかった、と女性をねぎらう者もいた。

 厨房の女性を伴ったまま、急いで廊下を進んでいくと、王子が昼間の警護兵二人を従えて、向こうから歩いて来る姿が見えた。
 エディンは駆け寄り深く頭を下げた。
「遅くなってしまい、申し訳ございません。取り調べ所へ連行されてしまいました」
 王子は、ははっ、と笑った。
「そんなことではないかと思った。あまり遅いから捜しに行かせたのだ。会えてよかった」
 王子は厨房の女性にやさしく微笑んでエディンを見つけた礼を言うと、膝を折っているエディンの顔の前に鍵を差し出した。
「これを渡しておく」
 黒光りする小さな鍵。小指の半分の大きさもない。
「こちらは?」
「寝室の鍵だ。他の誰にも渡すな。寝室内は、今、散らかっているから、その鍵で中に入ったら、片付けておいてくれ」
 エディンは、うやうやしく鍵を預かると、大急ぎで王子の部屋へ向かおうとした。
「待て、エディン。食事は何も手に入らなかったのか」
 ヒッ、と息を吸い込み足が止まる。
「……すみません」
「仕方がないから厨房へ頼むことにしよう。後で私の部屋まで運ばせるから受け取ってくれ。言い訳はおまえが考えろ。私は、今日は一日戻れないと思うから、おまえ宛ての手紙を居間に置いた。後で見てくれ」
 王子は、エディンに付いてきた厨房の女にあれこれ注文し終わると、エディンに頼む、と言って去って行った。

 その場で厨房の女性と別れ、再び王子の部屋へ急いだ。負傷した肩が痛いがかまっている場合ではない。


 たどりついた王子の部屋の前には、誰もいなかった。近くにドルフの姿もない。静かに中へ入る。居間の机の上に手紙がおかれているのを見つけたが、それを読むよりも先に、王女の様子を確認しなければならないと思った。
 寝室への扉は鍵が掛かっている。王子からもらった鍵を差し込み、そっと扉を開こうとして――
「ん?」
 扉が重くて動かない。寝室側へ開くようになっているはず。何かが引っかかっているのか。耳をすます。かすかに、う、う、と苦しそうなうめき声が。

 ――王女様? 誰か他にも中にいるのか? まさか、賊が王女様を!

 焦って力ずくで扉を押すと、少し開いた。隙間から顔を突っ込んで――

「わあぁぁぁ!」

 想像していなかった光景に、悲鳴が飛び出す。
 扉の動きをさまたげている肌色。赤いじゅうたんの上にころがっている、包帯以外はほぼ何も身につけていない状態の女性が扉のすぐ向こうに。しかも、彼女の手足は縛られ、口には布がかまされていた。
「こっ、これはっ」
 すぐそこにある女性の素肌に、頭の中で星がはじけた。一気に血が巡る。
 
 エディンは自分の鼻血がしたたっていることも気がつかず、扉に首を挟んだ格好のまま呆然としていた。



<23へ戻る   目次   >次話へ  ホーム