菜宮雪の空想箱

23.お着替え


 

 眠れないエディンは、廊下で複数の足音がするのを聞いた。どうやらエディンの代わりに呼ばれた兵が持ち場についたらしい。耳を澄ませば会話が聞こえて来る。
「なんだ、こんな人数がここに必要なのか?」
 驚いたようなドルフの声。
「今夜は特別にジーク様のお部屋をしっかりお守りするようにと、陛下のご命令だ」
 会話ははっきりとは聞こえないが、いつもはエディンとドルフしかいないそこの扉の前に四、五人いることはわかった。
 エディンは、ゆっくりと起きあがると、ドルフたちがいる扉の内側に静かに張り付いた。知っている声ばかりだ。
「ドルフは聞いたのか? やつらの最期」
「おう、全滅だって?」
「そうだよ。あんなに殺人に手慣れていたのに、簡単に使い捨てられた。おそらく城内に入って来たやつらは、自分たちがあんなふうに仲間に殺されるとは思ってもいなかったに違いないよ」
 複数の声が、うんうん、と相槌を打つ。別の兵が裏門へ駆けつけた時の様子を語り、言葉を詰まらせた。犠牲者の名前がいくつかあがり、すすり泣いている者もいる。
「まったく誰のさしがねか知らんが、ひどいやつらだ」
 ドルフが語気を強めた。本気で怒っているようで、賊と通じているとはとても思えない。
 エディンは一言も聞きもらすまいと、さらに扉に耳をつけた。ドルフは怒りを込めた話し方で、少し声が大きめになっている。
「やつらは手際が良すぎる。あれですぐに応援が来てくれなかったら、今頃俺もあそこで死体になってころがっていたな。連れのエディンは怪我でこの中で休んでいる」
「その服の汚れはエディンの血なのか? 彼は大丈夫か」
「当分仕事はできそうもないが、自分で歩くだけの元気はあったからたいしたことはないと思う。ここはまた俺ひとりになったから、おまえらの中からここ専属の夜警が選ばれるかもしれないぜ」
 ドルフは王女の血だとは言わず、話をうまく逸らしていた。
「そうだな、ドルフの言うとおりだろう。明日から配属が大きく変更されるに決まっている。陛下の宮と裏門の配属者はかなりの数がやられた。これでは人が足りない。もうすぐ結婚式の特別警備体制に入る予定だったのに」
「結婚式? そんなの延期か中止だろう」
 そうドルフが言ったが、誰かに否定された。
「それは無理だ。国同士の結婚をこの城の事情で簡単に変更にできるわけがない。この城の兵の人数が少なくなってしまった今、国賓が多数来るなんて気が重いね。賊め、こんな忙しい時期に入って来なくてもいいのに。何をしに来たんだ? ジーク様を狙ったにしてはお粗末だ」
 
 エディンは、ドルフの発言に特に注意を向けていたが、彼は王子に言われたとおり、王子の花嫁が怪我をしてここにいるとは一言ももらさず、兵たちの話に溶け込んでいた。扉の向こうの兵たちの話し声は延々と続く。
 傷が痛くなってきたので、扉に張り付くのをやめてソファへ戻って横になった。話を聞いている限りでは、ドルフに怪しい様子はない。親切にしてくれているドルフを疑いたくない。彼にどうしても頼まなければならないこともあるから、今は、彼は賊ではないと思うことにした。
 そうと決めて目を閉じると、緊張し続けていいた筋肉がゆるやかにほぐれていく。傷は痛むがそれよりも強い眠気が来て、やがて眠りに落ちて行った。



「起きろ」
 軽く体を揺すられてゆっくり目を開く。目に入った豪華な天井。天板の一枚一枚に木の葉を模った彫刻が刻まれている。一瞬どこにいるかわからず、目をしょぼしょぼさせる。窓の外は明るい。日よけの隙間から、すでに朝の光が入り始めていた。
「エディン」
 誰が自分を起こそうとしているのかわかると、エディンは、ガバッと身を起こした。肩に走る痛みよりも、驚きの方が大きかった。栗色の長い髪をたらした男が、覗きこむようにしてエディンを見ている。
「あ、わ、わ、ジーク様! おはようございます。失礼しました」
 王子の空色の瞳が、おかしそうに細まった。
「よく眠れたならよかった。傷は痛むか?」
「大丈夫でございます」
 本当は痛いがそんなことは言っていられない。できるだけ元気よく立ちあがり、深く礼をする。王子はすでにきちんと着替えている。王子のつややかな長い髪はすでに櫛を通したらしく、乱れもなくさらりと肩に流れていた。

 ――ああ……やってしまった……

 またしても失態。王子が寝室から出てきたのも知らずに爆睡してしまうとは。これでは賊が入ってきても何の役にも立ちそうにない。
「あの方は……」
「彼女はまだ眠っている。今のうちにこのお金で食料を買って来い。この時間ならどこかの店が開いているだろう。今も城が封鎖されていて城外に出られなかったら、厨房へ行ってもらってくればいい」
 王子は手に持っていた紙幣を渡し、声を小さくした。
「買って来るのはおまえと彼女の二人分、夜までの食事だ。おまえの好きな物でいい」
「はい、すぐに行ってまいります」
 エディンはソファの下に置いておいた槍を手に取り、出て行こうとしたが、王子に呼び止められた。
「エディン、その格好でうろつくのはどうかと思う」
「えっ……」
 エディンは自分の服を見た。
 ――あ。
 うす緑色の兵士の服は血と泥ですっかり汚れている。自分の血がついた袖口は目立たないが、腹部に大きくついた王女の血のしみは隠しようがない。夕べは薄暗かったので、こんなに汚いとは思っていなかった。もしも、人を殺してきました、と言ったら誰もが信じてしまうだろう。これでは城外へ買い物などとんでもない。
「では、兵舎へ寄って着替えてから買い物に行きます」
「その暇はなさそうだ。今日はたぶん、夕べのことで、父上から特別な話があるだろうから、そのうちに迎えがくると思う。私の服を貸してやるからすぐに着替えろ。できるだけ早く、私がこの部屋を出る前に戻って来てほしい。彼女を一人にしてはならない」
 王子は、すばやく衣装箱を開けると、適当に見つくろってエディンに服を渡した。
「大きさが合わないかもしれないが、これを着てみろ」
 
 言われるままに大急ぎで着替えにかかる。だが、固定されている肩が動きをはばむ。なかなか脱げない。
「なんだ、脱げないのか。手伝ってやろう」
「いいえ! 自分でできます」
 必死で身をよじっていると、王子の手がさっと延びた。
「ひゃぁ……じ、じぶんでやりますからっ」
「いいから、早く」
 王子の言い方はきついが、口元は笑っている。
「遠慮しなくていい」
 王子の手で服がはぎ取られ、エディンは簡単に下着一枚になってしまった。
「ジーク様にこのような手伝いをさせるとは……なさけなく、申し訳なく……」
「侍女を呼ぶわけにはいかないだろう。どうして怪我をしたエディンがここにいるのかと問われれば、またいろいろな嘘を重ねないといけなくなる。もっとつくり話を広めたいのか?」
「う……すみません……」
 王子に謝罪しながら袖のない肌着をかぶり、その上からしっかりした生地の紺色の上着を身につけた。腰が隠れるぐらいの長さの上着には、肩かざりの組み紐がいくつも下がり、上流階級の男子が城に出向く時によくみかける仕様。落ち着いた紺色で、丈夫そうな生地には地模様は入っていない。ぴたりと足を包むズボンは、上着と同じ生地でできている。
「よく似合うじゃないか」
 王子は満足そうにつぶやき、エディンに櫛を手渡した。
「そこの鏡で身を整えろ」
 部屋の出入り口の横にある姿身の前に立つ。いつも王子はここで身なりを確認しているのだろう。縁どりに絡まり合う線模様の彫刻が施された鏡。全身を映しだす大きさで、表面は磨きこまれている。
 エディンは鏡に自分の姿を映して、自分で驚いた。このところのネズミ騒動ですっかりくたびれた男がそこにいる。げっそりと黒ずんだ目の下。青緑の瞳はどんよりと濁り、まぶたは重々しくしょぼついて生気なし。王子よりも少し明るい栗色の髪は、いつもよりも強く癖が出て、今起きましたとばかりに自由な方向へはね散らかしている。
 王子は後ろからエディンを見ていて、くすっ、と笑った。
「エディンは寝癖がひどいな。おまえの父上も確かこんな髪質だった気がする。もっと伸ばして後ろで結んでおられたが、栗色でゆるい癖があっただろう?」
「はい、この髪は父譲りでございます」
「ガルモ伯爵のことはよく憶えている。いつも父の傍にいたから。おまえが彼の息子だとは最初は知らなかったけど、そうだと言われれば、確かに面影がある」
「父を憶えていてくださり、幸せでございます」
 エディンは王子と話をしながら、大急ぎで櫛を通し、くしゃくしゃになっている髪を押さえた。肩につくぐらいの長さの髪は、適度に段が付けられて量を調節しており、きちんと梳けば清潔そうに見えるがいったんはねると直すのに苦労する。
「まだだめか?」
「あとちょっとで直ります」
 エディンは必死で髪をなだめる。もう少しだ。あとひとがんばりで身だしなみは完璧になるはず。後頭部の寝癖を必死で下向きにおさえつけていると、王子が突然後ろから近づき、何かの液体を頭に振りかけた。
「ひっ!」
 いきなり頭皮に与えられた冷たさに、声が出る。王子は笑いをこらえながら言った。
「騒ぐな。兵たちが驚くだろう。これは整髪用の薬剤。おまえの家にはこういう物は置いていないのか?」
 エディンが返事をする前に、扉が叩かれた。
「ジーク様、いかがなさいましたか?」
 扉の外の兵たちが、エディンの悲鳴に反応したらしい。
「ああ、なんでもない。今からエディンが出て行くから扉を開けてくれ」
 王子は明るく答えると、開かれた扉の外へエディンを出した。
「ジーク様、おはようございます」
 ドルフを含む兵たちは、王子を見て一斉に頭を下げたが、王子はそれには答えず、早口でエディンに指示を出した。
「用が済んだらすぐに戻って来い。いいか、すぐにだ。槍は置いていけ。その服には合わない」
 エディンは命令を飲み込んで頭を下げた。扉が閉まり、王子の姿は見えなくなった。

 扉の外にはドルフを含めて四名の兵がいた。エディンも知っている顔ばかり。王子が室内に戻って顔を上げた一同は王子の服を着たエディンの姿に、おお、とどよめいた。
「おはようございます、ガルモ伯爵様。見違えるようでございます。血は争えませんな。お怪我はいかがですかな?」
 ドルフは子どものように、いたずら顔になって、エディンの袖をひっぱる。
「ドルフさん、やめてくださいよ。ジーク様に買い物を頼まれたので、お衣装をお借りしただけです。すぐに返すんですからっ」
 他の兵たちも、エディンを取り囲んで「へー、似合うじゃないか」などと口々にはやしたてる。
「通してくださいよ。急いでいるんです」
「なんだよ、伯爵様はつれないなぁ。怪我はどうだって聞いてるじゃねえか。心配していたのに」
「すみません、大丈夫です。今は暇がないから、お話は後でします」

 ドルフたちを振り切り、大急ぎで正門へ向かった。町へ買い物に行くなら使用人たちの通用門よりも正門から出る方が近い。しかし、正門はいつもよりも厳重に監視が置かれており、やはり封鎖されていた。王の許可が下りるまでは城内外の出入りは誰もできないと、正門の兵たちは言う。エディンは仕方なく王子の宮の隅にある厨房へ向かった。

 正門から王子の宮へ向かって石畳の歩道を進んでいると、前から二人組の巡回兵が歩いて来るのが見えた。エディンは軽く会釈してすれ違おうとしたが、相手の足が急に止まり、エディンの行く手を遮った。
「お待ちを。失礼ですが、こんな時間にどちらまでおいででしょうか」
 二人ともエディンよりひとまわりほど年上の兵で、エディンは兵舎で顔を見たことがある気がしたが、彼らの名前も配属先も知らなかった。彼らは兵服を着ていないエディンのことを、城の兵だとは認識していないらしく、丁寧な物言いとは裏腹に威嚇するように槍を体の前に出した。
「どういった御用で、このような時間にここにいるのです?」
「すみません、急いでいるので、すぐに通してください」
 エディンは男たちの横を抜けようとしたが、またしても行く手を阻まれた。
「怪しいやつ。どこへ行くつもりだ」
 男たちの口調が威圧的に変わる。
「ジーク様のご命令で、厨房へ行くところです。城の外へ買い物に行くよう命じられましたが、城から出られないので、厨房へ食料をもらいにいくつもりです」
 エディンは少し頭をさげ、丁寧に答えた。
「殿下のご命令? こんな朝早くに厨房だと? それはおかしい」
 男たちは顔を見合わせ、それぞれ、変だ、と眉を寄せた。
「おかしくないです! ジーク様に命じられたんです。急いで行って来るように言われているので、さっさと通してください」
 エディンは男たちをよけて歩こうとした――

「うっ!」
 突然の耐えがたい痛み。いきなり怪我をした肩をつかまれ、その場にうずくまってしまった。
「ちょっと一緒に来てもらおう。ジーク様に連絡する。確認できるまで身柄を拘束させていただく。あなたがもしも貴族の方であっても、特別扱いはできない。怪しいやつは徹底的に調べろとの陛下のご命令だ」
「そんな……僕はジーク様の部屋の夜警を担当しているエディン・ガルモです。賊の仲間ではありません。兵舎でこの顔を見たことがあるはずです」
「確かにそんな顔をしたやつならいたような気がするが、兵なら、なぜそんな服でうろうろしている。悪いが調べさせてもらおう」
「そんなの困ります。ジーク様が待っておられる。長くはお待たせできない事情があるんです」
「確認すればわかることだ。来い」
「いやです。ジーク様がお待ちだと言っているじゃないですか。僕は怪しくない! 放してください」
「ああ、無実だとわかったらすぐに放してやるさ。一緒に来るんだ」
 両腕をがっしりと捕まれて、エディンは強引に引きずられていった。



<22へ戻る    目次へ   >次話へ   ホーム