5.雪女一家
(「雪女」参照原作http://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4947_16626.html )
注意:登場人物の口調は、原作と時代を無視しております(^^;)
夫は妻に、あの日見た雪女の話をしてしまった。
「美しいが恐ろしい女だった。一緒にいた茂吉は、俺が気がついた時には、凍って死んでいた。茂吉が死んだのは、あの女の仕業に決まっている。恐ろしい雪女。そういう顔をすると、あの夜の女におまえはとても似ている」
話が終わると、妻はうつむいていた顔をあげた。
「そう? そんなに似ているの?」
縫物をしていた妻は、静かに立ち上がり、囲炉裏の傍に座っていた夫の横へ座り、顔を近づけた。
「よく見て」
「お雪?」
妻は眉を寄せ、唇の端をゆがめ、目をとがらせた。
「あんたね、似てるって、どこ見てるのよ。あたしは本人。あの話は誰にもしないと約束したでしょう。嘘つき!」
パチン、と音がして、夫の頬が赤味がさす。何が起こったかわからない夫が瞬きをしているうちに、妻は夫の肩を押してつき倒すと、さっと立ちあがって戸口へ向かった。
「お雪! おまえなのか」
赤くなった頬を押さえた夫は、大きく目を開いて、妻の顔を凝視した。
「そうよ。あれはあたし。絶対に内緒にしてって、誰にも言わないって約束したのに。もうあんたとは一緒にいられないわ」
夫はすぐに言い返すことができず、お雪、と名を呼んだだけだった。
「忘れたの? あの時の話をしたら、あんたを殺すって約束したじゃないの。でも殺したくないから、あたしがここを出て行く」
腰が抜けたように動けない夫を残し、お雪は外への木戸を開けた。真冬の外は、細かい雪の混じった風が吹き荒れている。
「さようなら」
「お雪」
妻は、振り返ったが、また背を向け、外へ出た。夫は慌てて、追うように戸口へ行く。
「お雪、子どもたちはどうするんだ」
「どうって……あんたが育ててちょうだい」
妻は背を向けたまま。開かれた戸から、冷たい風が屋内に吹き込む。
「俺ひとりでは無理だ」
「約束を破ったのはそっちでしょう。ひとりでなんとでもすればいいじゃないの。子どものことは任せるから」
「お雪」
「止めたって無駄よ」
「止めないが、どうしても出て行くなら養育費をよこせ」
妻は、へっ? と口を半開きにした。
「あんたって人は……養育費ですってぇ! なんてふざけたことを言うの」
「俺は現実的な話をしているだけだ。子どもひとりを大人にするには、いくらかかると思っている。十人もいるんだぞ」
「知らないわよ、そんなの。あんたが無計画に毎年毎年産ませるからじゃない。あんたがこんな人だとは思わなかった。じゃあね」
「おい、養育費のことをきちんと話し合ってからだ」
妻は黙って冷たい風の中へ飛び出した。彼女の体は、人間の大人の数人分ほどの高さまで宙に浮いた。着物の裾がはためく。夫は戸口からその姿を見上げ、再び呼びかけた。
「子どもたちのことが心配じゃないのか」
「本当にあたし、もう行くから。本当に、本当に、ここへは戻って来ないんだからね」
「子どもはどうなってもいいんだな。俺の稼ぎだけでは、子どもたちが飢え死にするかもしれないぞ」
一瞬の沈黙の後、妻は粉雪の渦をヒュルルと音を立ててまといながら、夫の元へ舞い降りた。
「もう! 何で行くなって言ってくれないのよ、バカ、最悪夫! 私がいなくても養育費さえあればいいってこと? あんたの心の中はお金のことだけなのね。こんな男、殺してやるわよ。絶対に殺す。許さないわ!」
粉雪が大粒に変わり、強くなった風に激しく吹きつける。妻の髪も、一本一本が生きているかのように、風に従い雪と共に踊る。
「うわああ! やめろ!」
夫の周囲が徐々に凍り始めた。氷は地面だけでなく、夫の足を登るように着物の裾から上へ伸びて来る。夫は地面に凍りつかないように、慌ててその場で足踏みした。
「このっ、亭主になにしやがる」
「あんたみたいな自己中は凍っちゃえばいいのよ」
「なにっ!」
夫は妻に突進したが、妻はひらりと身をかわした。
「うふふふ。捕まえてみなさいよ」
夫はくやしそうに唇をゆがめ、素早く石を拾うと妻に投げつけた。石は妻の膝辺りに命中。妻は、キャッと痛い足を押さえる。
「あんた……よくもやったわね」
周囲に、ゾワッと冷気が満ちあふれる。冷たさを超えた痛い風が吹き荒れる中、夫は攻撃に備え身構えた。
――その時。
家の中から、うおお、と獣が吠えるような声が上がり、ガシャン、と何かが壊れる音混じり、けたたましい子どもの泣き声が聞こえてきた。
にらみ合っていた夫婦は、動きを止めた。
「一時停戦よ」
「承知した」
夫婦は急いで、音のする室内へ入った。
「こらっ、なにをやっている」
「けんかはやめなさい」
夫婦が怒鳴りながら部屋に踏み込むと、長男の太郎が鍬
(くわ)を振りまわして、室内の物をめちゃくちゃに壊していた。
土壁に空いた穴。飛び散る床の木片。弟や妹たちは、隅の方に身を寄せ合って泣きながら震えている。
「太郎、やめなさい」
両親に気が付き、太郎は一瞬手を止めたが、再び鍬が振りあげられ、壁土の一部がほこりを立てて崩れ落ちる。兄弟たちの叫び声がまた大きくなった。
「太郎!」
「お父ちゃんとお母ちゃんが仲良くしないから悪いんだ。俺は不良になってやる。この家なんかぶっ壊してやる」
夫婦は凍った顔になった。
かくして雪女の家庭は崩壊。
その後、一家は……子どもたちは、全員が雪男あるいは雪女になって時々人を襲っていると風のうわさが流れる。夫婦は、言うことをまったく聞かなくなってしまった子どもたちに困り果て、仕方なく今も停戦状態を維持しているとか。
おしまい。
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