48.エピローグ
それから半月ほど過ぎたころ、エディンは、夜間兵として復帰すべく、久しぶりに城へ入った。いつもより早めに屋敷を出て、城内で兵服に着替えると、仕事場へ直行せず、早足で厨房へ向かった。
開いたままになっている厨房の入口からのぞくと、夕食後の片付けをしている数人の女性たちの中に、捜していた顔を発見した。
「シュリア、話がある」
「あ、伯爵様! 怪我、もうよくなったんだね? よかったぁ」
シュリアは笑顔で近寄ってきた。
「今、いいか?」
「長くはだめだよ。忙しいもん」
「すぐに終わるから、今言わせてもらおう。どうしてあんなうそを教えた」
「うそって何のこと?」
「とぼけないでくれ。アリシア様のことだ。彼女には夫も子もいない。年齢も二十六ではない」
「だから?」
「調べはついている。君がうそを言ったんだね?」
エディンの怖い顔に、シュリアは首をすくめて小さい声で返した。
「だってぇ……あの女がそう言えって」
「アリシア様が?」
「伯爵様さ、あの女のこと、好きだったんだよね? なら、あたしにそう言うよう頼んだあの女の気持ちを考えてやったらどう?」
「どうって……」
シュリアはうつむいて、エプロンを握りしめていたが、忙しいから、と話を終わらせようとする。
「待て。あの人の居場所は知っているのか? もしも連絡できるなら、四人とも墓を確認した、と伝えてほしい。あの人には何の話かわかるはずだ」
「あたしにそんなことを頼まれても困るよぅ。伯爵さまは、女の気持ちなんか、なんにもわかってないね」
「女の気持ち?」
「好きだったらさ、相手にとって何がいいか、普通考えると思うよ」
「どういう意味だ」
「それがわからなきゃ、どうしようもないね。自分で考えてみなよ。なんであの女が逃げなかったかもわかる? ごめん、あたし、仕事があるから。今度ここへ来る時は、あの女の話なんか聞きたくないね」
シュリアは仕事に戻ってしまった。厨房の他の女性たちは、仕事をしながらも、エディンとシュリアのやりとりに興味深げで、いくつもの目がちらりちらりとエディンに向けられる。耐えきれず、エディンは厨房を去った。
――女性の気持ち……わかるわけないだろう。
頭の中に、怖い顔のアリシアと、花のような笑顔のアリシアが交互に出てきてしまう。重ねた唇の感触があざやかによみがえる。頭を左右に振った。
――忘れろ! 終わったんだ。救えなかった以上、おそらく会うこともない。こんなやりきれない思いなど、二度と味わいたくない。
唇をかみながら、ジーク王子の部屋へ向かった。今夜、夜間警護の相方になる兵はまだ来ていなかったが、先に寝室点検をやっておこうと思った。王子の部屋の扉をたたく。返事はなく、静かに部屋に入りこんだ。この時間は、王子はここにはいない。
あの肖像画は片付けられており、少しだけほっとした。今は、アリシアの肖像画など見たくない。
アリシアが休んでいた王子の寝台は、ひとまわり大きい物になり、寝具もすべて新しくなっていた。
殺傷事件があったあの日、怪我を負い、真っ青な顔でここに横たわっていたアリシアを思い出す。
エディンを脅してここから逃げようとしたアリシア。ここで長い時間を共に過ごすうちに、次第に打ち解けて、やさしい顔を見せてくれるようになった彼女。春の庭での幸せなひと時の思い出が、またしても心を熱くさせる。
――アリシア様……あなたの気持ちは。
廊下に誰かが来た気配に振りかえると、開いたままの戸口には、見覚えのある黒い髪の男が立っていた。
「よう、エディン、肩はもういいのか? また今夜からよろしく頼むぜ」
そこにいるはずがない男。でも間違いなく知っている顔。
「あ……」
「はん? 幽霊でも見たような顔になってるぜ」
男はきちんと兵士の服を着ている。見間違いでも幻でもない。
「どうして……クビになったんじゃぁ……」
「そう驚くな。俺はやめさせられたわけじゃない。実はな、あれはうそだった。おまえの家に居座る為、ジーク様に命じられてそう言ったのさ」
そこにいるはずのない男ドルフは、エディンの耳に口を寄せてささやいた。
「誰にも言うなよ。俺はジーク様の私兵が本業だ。隠していてすまん」
「えーっ!」
シュリアのような、国王の私兵は複数いることは知っていたが、王子の私兵まで城内にいるとは。それならドルフの行動のすべてに納得がいく。エディンは周りを見て、近くには誰もいないことを確認すると、ひそひそ声で返した。
「もしかして……バイロンとレジモントもそうなんですか? 僕を監視する為に遣わされたとか」
「あいつらは違うと思う。あいつらをおまえの家に差し向けたのは俺の親父だ。賊どもが捕まった今だからようやく話せるが、俺の親父はな、おまえの親父さんの死に関してなんらかの情報を持っていたらしい」
「父の?」
「とりあえず、さっさと点検を済ませて廊下へ出よう」
エディンとドルフは、室内点検を終えて廊下へ出た。ちょうどそこへ、一人の兵が廊下の奥から急ぎ足でやってきた。
「夜間部所属、エディン・ガルモだな。呼び出し命令が出ている。ここは自分が一時的に交代するから、今から至急で――」
エディンがすぐに向かった部屋で待っていたのは、まさか、と思う人物だった。ジーク王子の顔をそのまま年齢を重ね、目じりや額にしわを入れたような顔。頭部に乗っている黄金の王冠が、この国で最高の身分を示している。
「エディン、と言ったか。ガルモ秘書官の息子よ、堅苦しい挨拶はいらぬ。そう恐縮せず、楽にするがよい。人払いは済ませてある」
王は、ひざまずくエディンに慈悲深い笑みを見せた。
「ジークが頻繁にそちらへ出掛けていると報告を受けておる。あれは、早くに母を亡くしたゆえ、少々変わった人間に成長してしまった。妃を迎えても、悪癖は直らぬようだ。あれが何を考えておるのかはつかめぬが、そなたにだけは心を開いたらしい。一度も要望を出したことがないあれの頼みとあっては、受けぬわけにはいかぬ。これを見るがよい」
王は、手に丸めて持っていた紙を、エディンに突き付けた。
エディンがうやうやしく受け取り、開いてみると、それは、城の地下のつくりが一目でわかる秘密の地図だった。王子の寝室から延びる階段、小部屋、いくつかの枝道や扉まで示されている。
「これは……」
「そなたはこの図にある地下通路の一部を知っておることは聞いた。ならば話は早かろう」
王は、地図の一部を指で示した。
「ここから先、通路を延長する。つながる先はそなたの家。人目につく馬車で、夜に頻繁に王子が出入りすることは、きわめて危険で、異常なことである。危険を回避するには、地下通路のこの部分を延ばす秘密工事をすればよい。さすれば、ジークは地下を通って誰にも見られることなく、ガルモ邸へ出向くことができよう。それならば、余も、ジークの夜の外出をとがめることはせぬ」
エディンは、感謝の言葉を述べ、深く頭を下げた。自分の家まで地下道が延びれば、王子は危険なく、密かにニレナネズミに会うことができる。ただ、自分が留守中に王子が毎晩来ていては、母と妹が苦労しそうだと思った。
「陛下、おそれながら、私はジーク様の夜警でございます。もしも、地下通路完成後、ジーク様が内密にご訪問くださっても、自分自身でおもてなしができぬ身。それが心苦しく感じます」
「そのことについては、現在、協議中である。そなたは、近日中に夜間部所属をはずれることになるであろう。辞令は数日以内に出る」
とっさに言葉が出なかった。給金のいい夜間兵からはずされるということは……体は楽になっても経済的に苦しくなることが目に見えている。
困った、レジモントを正式にやとうことに決めたばかりなのに、とエディンが考えている間に、王はエディンから地図を取り戻して引き出しにしまうと、戸口へ行き、誰かを呼んだ。
ほどなく、あまり背の高くない小太りの男が礼をして入って来た。癖のある黒い髪は短く切られており、血色がいい丸顔。年齢は五十歳前後か。エディンの知らない男だった。
「エディン、先ほどの話とは別のことだが、この男はどうしてもそなたに話がしたいそうだ。よく聞け」
小太りの男は、王に礼をすると、次にエディンの前へ来て、同じように、深く頭を下げた。
「エディン・ガルモ様、一度きちんとお話ししたいと思っておりました。私はモーリッツ・ハウマンと申します。ドルフの父です」
「ドルフさんの! ああ、大変お世話になり、ありがとうございました。使用人の件で、こちらからお礼に伺うべきところ、このような形でお会いすることになり、失礼をお許しください」
「いいえ、そんなことはいいのです。陛下の御前で、すべての真実を申し上げたかった。うすうす知っておられるかと存じますが、先代ガルモ伯爵は暗殺されたのでございます」
エディンは、無意識に両手にこぶしを作っていた。モーリッツは、何度も頭を下げながら、話を続けた。
「自分は殺害に使われたと思われる毒薬を受注しました。少量でも死に至らしめることができるあの薬を何に使うのかいぶかしみながらも、商売が大切で取り寄せて売ってしまいました」
エディンは、しばらく呆然とモーリッツの告白を聞いていた。衝撃が大きすぎて、言葉が頭に入って来ない。モーリッツは、涙ぐみながら、エディンに詫びている。
「どんな言い訳をしても、見苦しいとわかっているのです。ですが、あの毒薬を売らなければ、我が商会はつぶされていたことでしょう。最初は断ったのですが、なさけないことに、脅しに屈し……」
モーリッツの口から、先日耳にしたばかりの、捕まった財務官の名が出された。
「四年前、先代ガルモ伯爵様の突然の訃報を聞いた時、あの毒薬のことをすぐに思い出しました。針先に塗ってすれ違いざまに刺せば、一瞬で相手に毒を注入することができます。半日ほどで標的の心臓は止まり死ぬ。恐ろしくてたまらず、それでも誰にも話すことはできず」
エディンは、呼吸することすら苦しく感じた。落ち着こうと息を何度も吸い込む。半泣きになっているモーリッツは、申し訳なかったと何度も謝ってくれた。
やがて、王が仲裁に入るように、エディンとモーリッツの間に立った。
「エディンよ、モーリッツ・ハウマンは当時の証拠書類なども持参している。これでそなたの父は殺害されたのだと証明できる。悪のたくらみに加担していた疑いは完全に晴れた。ガルモ秘書官は本当に誠実な男であった。彼は、常に真っ直ぐであり、心の濁りがなかった。余はよき相談相手を失ったのだ」
エディンは王に頭を下げた。
「……父を信頼してくださり、ありがとうございました」
「ジークがそなたを気に入ったのは、そなたにもそういう面があるからに違いない。あれは長い間、誰も信用することはなかった。あんな性格ゆえ、付き合いにくいとは思うが、どうか、末永くあれを支え、見捨てず、そばにいてやってくれ。あれが最も必要としているのは、こびることなく自分に接してくれる、心を許せる友人なのだ」
王の話が終わり、エディンは退室してジーク王子の部屋へ向かった。歩きながら、王に感謝すると同時に、やさしかった父の思い出が胸にあふれ、涙が出そうになった。瞬きをくりかえして涙がこぼれるのをこらえた。
エディンが仕事へ戻るなり、廊下に立っていたドルフが、王子が待っていると言う。
まだ涙が乾ききらないエディンは、気持ちを切り替える暇もなく、ドルフは王子の部屋の扉をたたいた。
「ジーク様、エディン・ガルモが戻ってまいりました」
「入れ」
すでに部屋に戻っていたジーク王子は、さわやかな笑顔で近寄り、涙目のままのエディンを見おろした。
「具合が悪そうだ。怪我が完治していないなら、もう少し休暇を延ばしてもよかったのだぞ。父から話を聞いたと思うが、私の提案がそんなに衝撃だったか?」
「いいえ、そうではなく、大変ありがたいお話でした。父のことがいろいろわかり、びっくりしただけです」
「そうか。今日は妃から話があるから呼んだ。聞いてやってくれ」
「ガルモ伯爵」
居間のソファに腰かけていたニレナ妃が、にっこりとエディンに微笑みかけた。
「今日はわたくしからのお願いがありますのよ」
「はい?」
――お願いですか……なんでしょう……また動物持ち込みでしょうか……これ以上動物はいりませんよ。何匹増えても、今さら同じですけど。
エディンは嫌な顔にならないよう気をつけた。
ジーク王子もちょっと変だが、この妃もどうも常識に欠けているようだ。頼みごとならエディンの家に来た時でもいいのだし、急ぎの用なら、自分の侍女にでも命じれば済むものを、仕事に復帰したばかりの兵を呼びつけてお願いとは、なんと考えのない女性だろうと思ってしまう。
「ガルモ伯爵、そちらの妹君、ルイザをわたくしの侍女にほしいのです。今日、陛下の正式なご許可をいただきました。侍女は、わたくしが国から連れてきた者もおりますが、この国の常識はなにひとつわからずで困っておりますの。どうせこの国の侍女を付けるなら、よく知っている女性がよいのです」
何を言われるかと身構えていたエディンは、力が抜け、自分の頬まで下に延びたような気がしてしまった。
「そ、そのようなことでしたら、どうぞ妹を自由にお使いください」
――動物増殖じゃなくて、よかった!
翌朝、帰宅したエディンから、ルイザが侍女に望まれた知らせを聞いたフィーサは、涙を流して喜んだ。
「ニレナ妃の侍女に望まれるなんて、すばらしいことよ。使用人同様の生活をしている貧乏貴族の娘など、このまま家に埋もれて嫁のもらい手もないと思っていたわ。エディン、きっとこれは、ネズミたちのおかげ。感謝しなければね。あのネズミたちが、我が家に幸運を連れてきてくれたの」
「そうだったね……確かに幸運を持ってきたけど、そうなるまでにいろいろあったじゃないか」
エディンは苦笑いした。当のルイザも、クスクスと笑っている。思えば、王子の寝室で、あのいまいましいニレナネズミに登られた時から、すべては始まったのだった。
「母さん、もうひとつびっくりする話。お城の地下通路がうちまで延びるよ」
ガルモ家は、後日、さらにもうひとつ、幸運な知らせを受け取ることになる。
◇
一年後。
城では、ジーク王子とニレナ妃の結婚一周年の祝宴が催された。ビーズ装飾が施された白いドレスで美しく着飾ったニレナ妃の傍には、侍女として付き添うルイザの姿もあった。
会場内は、あちこちに花が飾られたテーブルと椅子が置かれ、人々は飲食しながら自由に動き回っている。ジーク王子夫妻の傍には、エディンとフィーサがいる。招待客たちが驚いたのは、王子が、エディン親子と大変打ち解けた様子で話していること。ニレナ妃も、その談笑に加わり、社交辞令を超えたガルモ家との付き合いの深さを人々に見せつけた。
「エディン、連れてきてくださいな。こういう場では、この国では同伴するものではないのですか?」
ニレナ妃が、親しげに、エディン、と名を呼ぶ。それでもジーク王子はとがめることはせず、笑顔を絶やさない。
「ですが……」
エディンが迷いを見せると、王子がエディンの肩を軽くたたいた。
「大丈夫だろう。ここには知っている者はいないはずだ。この機会にお披露目したらどうだ? いつまでも秘密にはできまい」
「ほら、殿下もそうおっしゃるわ。お支度があるならルイザも一緒に連れて行ってくださいな」
エディンと母親は、王子に一礼し、席を外した。ニレナ妃の後ろにいたルイザも共に出て行った。これを遠目で見ていた人々は、何事だろうとうわさし合った。
しばらく時を置いた後、戻ってきたガルモ親子の姿に、人々はどよめいた。
エディンは、二十代に見える女性を連れていた。その女性はわずかなレースが袖口に入っただけのシンプルな黒いドレスを身に着け、髪は後ろで一つに結び丸め、紐飾りを付けただけの地味な姿。しかし、質素ななりをしているとはいえ、女性の顔立ちは人目をひいた。紺色の瞳はものおじすることなくきらめき、明るい髪色は黒い衣装によく映える。しかも、どことなく顔がニレナ妃に似ていた。
エディンは、女性の手を引いて、まっすぐにジーク夫妻のところへ連れて行った。
「ご要望にお応えして、連れてまいりました」
女性が礼儀正しく頭を下げ、結婚一周年の祝い言葉を述べた。
王子は、挨拶が終わると、うれしそうに距離を詰めた。
「よく来てくれた」
ニレナ妃は、ジーク王子と意味ありげな視線を交わすと、両手を伸ばして女性の手を包み込んだ。
「今日は来てくださってありがとう。こうして公の場でもお会いできることがうれしいのです。これからも楽しくお付き合いくださいね」
「ありがたいお言葉、心より感謝いたします」
女性が深く頭を下げる。エディンは、自分たちに注目が集まっていることを感じ、振りかえって、周りに寄ってきた人々に、女性を紹介した。
「妻のアリシアです。ニレナ様のご尽力により私たちは――」
祝宴が終わり、エディンたちは屋敷へ引き揚げた。屋敷内で二人きりになると、アリシアは、ふふっ、と笑ってエディンに抱きついた。
「どうしたのです?」
「みんながびっくりしていたから、思い出したらおかしくって。エディンが結婚したことを知らない人がいっぱいいたのね。ニレナ様には感謝しているわ。私を救い出してくれたんですもの」
「いいえ、これは、きっとニレナ様おひとりの力ではないと思います」
エディンには誰がどう動いたのかなんとなくわかる気がした。どういう順番で話が回ったかはわからないが、ジーク王子とニレナ妃が、おそらくはドルフやシュリアから情報を集め、キュルプ王家に働きかけたのだろう。
アリシア釈放直後、エディン宛てで一通の手紙が届いた。アリシアの剣を発注した老人、ラウレーンからだった。
『ジェニマヌス様から突然手紙をいただいたのです。あなた様がお持ちになった剣のことをおたずねになる内容でした。あの剣の存在をジェニマヌス様が知っておられるはずはないのですが――』
「エディン? どうしたの?」
アリシアの声に現実に戻る。
「不思議な気がしました。あなたが伯爵夫人と呼ばれて、この僕の横にいたことが」
「あら、いやだったの? 私、ボロを出さないように、おとなしくしていたつもりよ。何か失敗したかしら?」
アリシアが笑いながら片眉を上げて見せた。
「いいえ……最高でしたよ。僕はとても誇らしかった。でも、まだ、すべてが夢のようです。こうしていることが信じられないほど僕は」
どちらからともなく唇を重ねる。
――幸せです。あなたが無事に釈放されて、そして、僕の妻になってくれて。
高まる気持ちに、アリシアを強く抱きしめた。
「っ……エディン……」
「あの日、連行されていったあなたを、どんな思いで見送ったことか。奇跡のようにここにあなたがいる」
「こんなうそつき女でもよかったの?」
「それは……愚問です。もうどこへもやらない」
エディンはアリシアを抱きしめながら、彼女のまとめ髪をほどいた。
◇
エディン・ガルモ。
ジーク王子の正式な補佐官および相談役として突然抜擢され、その地位を確かなものにした彼には、その若さゆえ、実にさまざまな、よくないうわさ話が出た。
エディン・ガルモが、元は王子の寝室を守っていた兵ということもあり、王子と深い仲だといううわさ。あるいは、彼がなんらかの金品を王子に贈り、うまくとりいったのだ、といううわさ。または、彼の妹が妃の侍女という関係で、その口利きにより、まんまと役職を得た、といううわさなど。
うわさとは違う、エディン・ガルモ大抜擢の真実――最初からすべてを知っている男がここに。
王子の寝室付近から、ガタンと小さな物音がするのを聞いたドルフは、へっ、と鼻で笑った。
「またお出かけかよ。あいつも大変だ、よくやってるぜ。ま、耳栓がいらなくなったことはありがたいが」
「なんのことですか?」
「いや、昔はな、ここでは耳栓が必需品」
「はぁ?」
「今はいらねえんだから、そんな話、どうでもいいよな」
地下通路のことを知らない、新しく来た夜間警護兵は、ドルフが言ったことの意味がわからず聞き流した。
ガルモ家ではいつものごとく、『ねずみ部屋』での宴会が開かれていた。
「エディン、見てくれ。シュリアに協力してもらい、食べやすそうなエサを開発したのだ。これなら食べこぼしが少ないと思わないか? こんなに増えてはそうじも大変だろう」
「ありがとうございます。さっそく食べさせてみましょう」
「殿下ったら、わたくしのピパちゃんの分も開発してくださればいいのに。ねえ、エディン。ピパちゃんのえさも工夫したら、ピパちゃんの結婚相手を買ってきてもいいかしら? ひとりじゃかわいそう。ニレナちゃんだって、ハゲていてもほら、ちゃんとお母さんになったんだし。ピパちゃん、さみしそうでしょ」
「ごほっ……オウムの繁殖をお考えですか?」
「ニレナ様、それなら、世話係をもっとこちらへ寄こしてくださいませ。これ以上動物が増えたら主人が大変すぎます」
「アリシア、まかせていただいているのだから、こちらの都合を言ってはいけない」
「いいえ、現実を申し上げているの」
「手伝い人を出したら、わたくしのピパちゃんも結婚できるのね。そうだわ、シュリアならここをよく知っているから、手伝いに来てくれないかしら」
「シュリアに頼むですって! とんでもない。それなら私たちだけでがんばります」
「あははは……アリシアの言うことは矛盾しているな。使用人が足らないなら、誰か紹介するが、アリシアはそんなにシュリアが嫌いか?」
「はい、大嫌いです! シュリアは料理だけやっていればいいのに、どうしてニレナ様の小間使いになったのか理解できません。ねえ、ルイザ、そう思わない?」
「は、はい……でも、私はどちらでもよく……この家に手伝いが増えるなら、お兄様が楽かと……」
「いやよ。シュリアとは気が合わないから」
「シュリアは口は悪いがよくやってくれている。いざという時の守りもできるしね。彼女がここで働けるように、私から父上に頼んでみようか?」
「……ジーク様、もう一杯いかがですか」
「エディン! ごまかさないで。そんなにシュリアに来てほしいの?」
「いや、そうではなく……」
ネズミがチュウチュウ。
オウムがギャーギャー。
ニレナ妃のキンキン声。ジーク王子ののびやかな笑い。そして、当主エディンの、悲鳴に似た声も。
ガルモ家は今夜もにぎやかだ。
【「ジーク王子の寝室で、ああっ!」 完】
読了ありがとうございました。
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