菜宮雪の空想箱

9.夜間訪問計画案



「私がおまえの家に出向けばすべてうまくいく。名案だと思わないか? もちろん、訪問は公務がない日の夜だ。おまえとドルフがついて来てくれればいい」
「ぁ……」
 エディンは青くなったり赤くなったりしながら、言葉を詰まらせた。このままでは、本当にジーク王子が、さびれた自分の屋敷へ来てしまう。
 ――だめだ……
 ごくりと唾を飲み込んだ。
 
 一国の王子が訪問すると言っているのを拒める理由など、どこにもない。だが、ここで引き下がって訪問を認めれば、ニレナネズミを逃がしてしまったことがばれ、今後、ガルモ家がどんな悲劇に見舞われるかわからない。
「……王女様の動物の種類が判明してからでもよろしいかと思います。王族の方が私的に当家へお越しいただくことは、この上もなく幸せなこととは存じますが、警備の上では大変危険でございます。私とドルフだけでは、非公式訪問の伴としては心もとないと感じております」
 エディンは丁寧に言った。これが精一杯の断わりの言葉のつもりだった。
「うむ。秘密の訪問には危険が伴う。それは間違いないだろう」
 王子は、飲み物を口に運び、手にしたグラスを軽く揺らした。
「だが、それでは、私はいつまでもあの子に会うことはできない。確かに、夜間の外出は危険を伴うから、護衛兵がエディンとドルフだけでは無謀かもしれない。やめた方が無難だろうな」
 エディンは、ほっとして、少しだけ肩の力を抜いた――が。

「夜間が危険なら、昼間の公式訪問、という形にすることもひとつの案だが……」
「えっ!」
 落ち着きかかったエディンの心臓が再び速まる。
 昼に公式訪問など、もっととんでもない。
 公式訪問となれば、昼の警護兵だけでなく、侍従や御者など、余分がぞろぞろ付いて来る。その方がよけいにまずい。さびれた屋敷が、王子だけでなく、白昼に多くの供の目にさらされるだけではなく、ニレナネズミの逃走を知った王子が大勢の前で激昂し――
 想像しただけで恐ろしい。
「もちろん、公式訪問となると父の許可がいる。どういった用件でガルモ家へ訪問するのかをはっきりさせないと実現しないだろうね。あの子のことで訪問すると言えるわけがないから、困ったものだ。エディンと私が親友関係になり、ガルモ家の晩餐に招待されたことにしてもいいが、結婚後すぐにそれでは不自然だ」
「おっしゃるとおりでございます……」
 エディンはうつむいたまま、適当に相槌を打った。
「そう考えると、危険でも非公式の夜間訪問の方が、私としては都合がいいような気がする」
「おっしゃる……とおりで……ございます……」
「よし、やはり非公式の夜間訪問としよう。もちろん、父には内緒だ。できれば、結婚式が済んだら、数日以内に訪問したい。ドルフにも伝えておけ。私からの用件はそれだけだ」
 王子は一方的に話を切り、部屋からエディンを追い出した。

 廊下で待ち構えていたドルフは、エディンが出て来るなり、声を潜めて話の内容を聞いてきた。
「おいっ、どういう話だったんだ。いい話か?」
「すばらしいお話なら、笑いながら出てきますよ。最悪の方向へ転がりそうです」
 エディンは、眉間にしわを寄せ、小声で話を伝えた。


「はぁ? ジーク様がおまえの家へ夜間訪問? それはまずくないか」
「思いっきりよろしくないです。ジーク様のお目当てのニレナネズミは逃げてしまいましたし、ジーク様じきじきのご訪問となれば、夜の非公式訪問とはいえ、出迎える使用人が数人は必要です。明日仕事が開けたら、ご訪問に備えて準備をします。無理をしてでも屋敷で働いてくれる者を集めないといけません」
 
 ――これでは仕事をやめるどころじゃない……

 あと少しで仕事をやめようと、心を躍らせていたことが夢のように遠く感じた。家計を切り詰めれば、日雇いの使用人を雇えないことはないが、人を使う以上、今の仕事をやめて安定した収入を失うことはできない。
 
 ドルフは、エディンの話が終わると、ふ〜ん、と考え込んでいたが、またにやり、と唇を伸ばした。
「そんなに重く考えなくてもいいだろう。さっきも言ったが、そう悲観するな。ジーク様が訪問なさるのは、どんなに早くても、王女が輿入れしてからだ。王女の動物のことはまだわからないのだし、王女がネズミを認める可能性もある。それにだな」
 ドルフは愛想よく目尻にしわを作りながら続けた。
「ジーク様が必ずしもおまえの家を訪問すると決まったわけではない。予定はあくまでも予定だ。もしそうなったとしても、まだ日はある。ネズミをそれまでに捕まえれば問題ない。捕まらないと決めつけるな。あきらめず、人をたくさん雇ってここ数日のうちに探させればいい」
 ドルフは力強くエディンを励ました。
「そうですね……でも、僕の家は、恥ずかしながら、とても貧乏なので、大勢の使用人を雇う事ができないのです」
 エディンがうつむくと、ドルフは、歯を見せてゲラゲラと笑った。その声の大きさに、エディンは、中に聞こえたかと首をすくめたが、王子は出て来なかった。
「おまえが貧乏? 王子の夜警がそれを言うのか。この給金のよさは破格だ。人をたくさん雇うには足らないかもしれないが、他で仕事をしてみろ、この待遇がどんなにいいかおまえにもわかる」
「確かに……待遇はとてもよいと思いますが……」
「人を雇う金なら心配するな。どうしても人が必要なら、俺が格安で雇える人間を手配してやろう。そいつらにネズミ探しを手伝わせればいい」
「そちらから人をお借りしてもよろしいのですか?」
「俺の家は一応商家だからな。市場に行けば、人を集めるぐらいは簡単だ。おまえがかわいそうになってきたから、少しぐらいは協力してやる」
「ありがとうございます!」

 城からそう遠くない場所にあるドルフの家は、城下町でも屈指の商家で、市場に流れる物資の量と金額の管理をする重要な役目を王室からまかされていた。
 ドルフはその家の二男で、幼い頃から家に人が多く出入りする環境で育った。子ども時代の遊び場はいくつもの店が立ち並ぶ市場。にぎやかな城下町の市場へ、職を求めて人が集まってくる場所は把握している。

「ま、そんな顔するな。なんとかなるだろう」
 明るいドルフの声で、少しだけ元気が出たエディンだった。


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