菜宮雪の空想箱

37.話し合い



 エディンは、アリシアを休ませると、すぐに屋敷内の他の者を一部屋に集め、長方形のテーブルに着かせた。エディン自身も骨折の影響で体調は万全でないが、自分の体調にかまっていられる場合ではない。この館の主としてしなければならない大きな仕事がある。
 ニレナネズミ逃走事件。未解決。
 ここで暮らす者には、この重大事を秘密にはできない。

 エディンが皆を見渡せる主人の位置に座り、右手に母親のフィーサ、妹のルイザと並んだ。テーブルをはさんだ向かいには、ドルフが連れてきた使用人である、赤毛のレジモントと黒髪のバイロンが、そして、シュリア、一番遠い席にドルフが座った。
 母親は、ドルフが、前に城からエディンのことを伝えに来た男と同一人物だとようやく気が付き、驚きの声をあげた。
「あなたは! てっきりアリシア様のお付きの方と思い込んでいました。エディンに着替えを届けてくださった方ね。お礼も言わずごめんなさいね。お怪我をなさったのですか」
 顔がまだはれぼったいドルフは黙って軽く頭を下げる。エディンは、ドルフの怪我のことを聞きたそうにしていたレジモントとバイロンの視線を感じたが、細かい事情は告げず、彼がここでしばらく手伝ってくれる予定だと一同に簡単に説明してから本題に入った。

「ジーク様がこちらへお越しになる前に、なんとしてでもアレを見つけなければならない。今日から手伝い人が増えたから、場所を分担して細かいところまで探そうと思う。シュリアは、なるべくアリシア様のそばにいられるような場所で出来る範囲で手伝ってもらう」
 ルイザが不服そうに口を尖らせた。
「分担したって見つからないわよ。お兄様は、何日も探し続けることがどんなに大変なのか、わかっていないわ。いそうな場所は全部探した。これからどこをどう探せばいいのよ。あのネズミのことはあきらめて、ジーク様に事情を話して、謝った方がいいんじゃなくて?」
 ルイザの意見に、母親は「そうねぇ……」とため息をついた。
「エディン、見つけるのはもう無理かもしれないわね。ジーク様に謝りましょうか。謝罪は後になればなるほど印象が悪くなるから、今すぐにお城へ出掛ける用意をしましょう」
 エディンは首を横に振った。
「ジーク様からアリシア様のことをまかされたばかりなのに、今、混乱している城へ出向いて謝罪は、絶対によくないと思う」
 エディンの言葉に、事情を知りぬいているドルフが軽くうなずいた。
「奥様、今は城によりつかない方がいいです。自分は、賊の仲間の疑いをかけられてこのありさまです。城の兵たちはみな、気が立っております」
 母親は息を飲み、恐ろしいものを見るような目つきで、ドルフの腫れた顔を見たが、すぐに目をそらした。
「……今は、お城へ行ってはいけないの?」
「残念だけどね。ドルフの言うとおりで、少しでも怪しいと連行され、暴力をふるわれることもある。あのネズミが見つかれば謝罪に行かなくてもいいのだから、とにかく探すしかない。どうしたら捕獲できるか、皆で知恵を出し合って考えよう」
 エディンは主人らしく、一同に意見を求めた。先輩のドルフのことを偉そうに呼び捨てにするのは気が引けたが、彼が屋敷内では使用人の扱いにしてほしいと言ったので仕方がない。

「どんな意見でもかまわない。どんどん出してほしい」
 チーズ男にさせられた二人の男たちは、エディンに意見を求められても、二人でちらっと視線を交わしたきり黙っている。ドルフよりも年上のこの二人は、チーズ男になるのはもうごめんだ、と言いたげだ。
 誰も何も言わない。皆、口を閉じ、テーブルの上に視線を落したまま。

「あのぅ」
 シュリアが沈黙を破った。
「話があんまりわかんないですけど、ネズミがこの家で逃げちゃって、ばれたらジーク様に叱られるから探しているってこと?」
 あいかわらずの口の利き方に、エディンは注意したくなったが、がまんして普通に答えた。
「簡単に言えばそういうことだよ。この身もこの家も、どうなるかはジーク様次第。探しているのはジーク様が大切にしておられたちょっと変わったネズミだからね」
 ――そう。変すぎるクソネズミ。
 エディンはこみあげる不快感に眉を寄せた。
 ――なぜ、あんな小さな不潔動物のことで、皆で話し合い、こんなに悩まなければならないのだろう。アリシア様をお守りすることが本当は一番大切な仕事のはずなのに。
 重い雰囲気にはあわないほどの明るさで、シュリアが言った。
「ネズミだったらお城の厨房にもいるよ。必要なら、あたしがお城で捕まえてきてあげる。ジーク様のネズミって、どんなの?」
 シュリアのくったくのない瞳がエディンを見つめる。
「見た目は普通の黒ネズミだけど、君は知らないのか? ジーク様の……」
 ――陛下の私兵なら、ジーク王子の寝室から聞こえる『怪しい声』のうわさは知っているだろう? 
 エディンは、それ以上言わずに、ゴホンとわざとらしく咳払いして見せた。
「ジーク様の?」
 シュリアはそのまま質問を返したが、エディンは目を細めた薄笑いでごまかした。シュリアは意味がわからない様子で、手がかりを求めて周りの人々に目を移す。
 ルイザと母親は視線を宙に泳がせ、ドルフは意味ありげに、腫れた唇を横に歪めて笑う。レジモントとバイロンはうつむいて歯を食いしばり、笑いをこらえている。
「ジーク様の……うまくは説明できないが、黒ネズミは、ジーク様にとてもなついている。ジーク様はご自分のお子のようにかわいがっておられた」
「ふーん、ジーク様がネズミを餌付けしていたんだね。それなら、あたし、今ね、名案が浮かんだ!」
 シュリアは元気よく右手をピンと挙げた。若くはりのある肌に映える、血色がいい唇が自信ありげに横にのびる。
「みなさん、聞いて聞いて。あたしの案は――」


 話し合いが終わり、エディンは皆を解散させると、ひとり席に着いたまま、テーブルに突っ伏した。他にいい案が出なかったので、仕方なくシュリアの案を採用することに決まったが。
 ――はぁ……
 彼女が出した案は、エディンの考えの中にもあった。この状況の中ではいい案かもしれない。しかし。
 あの案には問題がある。とても大きな問題が。
 ――誰がやる? ……彼女は陛下の私兵だからジーク様の寝室の秘密情報は持っているかもしれないが、たぶん実際のことは何もわかっていない。ニレナネズミの恐ろしさも。

 エディンは、机に付して、頭を抱えた。
 問題は山積み。ネズミ騒動だけでなく。
 屋敷内に人が増えることはありがたくも、頭が痛くなる問題も一緒に連れてくる。アリシアとシュリアの不仲だけでなく、先輩ドルフと彼の使用人との関係のことも考えていかなければならない。ドルフは彼らにとっては「お坊ちゃん」。
 ――やりにくい。疲れた。とにかく今は、ニレナネズミが早く捕まりますように……
 エディンは、いつの間にか眠っていた。


 エディンが目覚めた時、朝は終わり、日は高く上っていた。気がついて、顔を起こすと、肩にかけられていた毛布が、するりと落ちた。誰かがかけてくれたようだ。アリシアを一人きりにして放っておいたことを思い出し、急ぎ足で、彼女に割り当てた部屋に向かった。

「アリシア様、エディンです」
 彼女の部屋の扉をたたいたが、返事がない。
 もう一度、小さめの音で扉をたたく。
 耳をすませた。
 ……何の物音もしない。
 彼女を起こさないように、静かに扉を開け、アリシアの寝台へと近づいた。シーツはこんもりと盛り上がっているが、彼女の顔が見えない。
 ――眠っておられるのか?
 と思ったら。  
 寝台はもぬけの殻だった。窓を開け、ベランダへ出ていないのか確かめたが、彼女の姿はそこにもなかった。どこをどうみても、彼女はこの部屋にはいない。
 ――アリシア様! まさか。
 エディンは、顔から血の気が引くのを感じながら、廊下へ飛びだした。 



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