菜宮雪の空想箱

36.ドルフの告白



 馬車が玄関の前に着くと、エディンの二歳下の妹、ルイザが玄関から出てきた。
「お帰りなさい、お兄様。馬車を使うなんて、そんなに怪我が酷いの?」
「いや、僕はたいしたことない。それより母さんの具合は」
「まだ辛そうだけど、きのうよりは良くなったみたい。今食事中よ」
 ルイザがそう言った時、玄関の扉が内側から開き、母親フィーサが飛びだしてきた。
「エディン!」
 フィーサは、エディンによく似た青緑色の瞳をうるませながら、エディンに駆け寄った。
「エディン、どんなに心配したか。ちゃんと歩ける? 不審者に怪我をさせられたって聞いて、いてもたってもいられなかったけど、体調が悪くて様子を見に行くこともできなかった。具合はどう?」
 彼女は泣きそうな顔で、エディンを質問攻めにした。
「肩をちょっとやられただけだ。片腕が思うように回らないから、少し不自由はあるけど、歩くには支障がない。母さんこそ大丈夫なのか?」
「私のことはいいから、エディンはすぐに休みなさい。怪我をしているのに家に帰してもらえないなんて、お城は今、どうなっているの。怪我人まで働かせるなんて」
「城内は特別警備体制でピリピリしているよ。後で詳しく話すから、それよりも来賓用の寝室を用意してほしい」
「お客様?」
「急なことだけど、王命で、しばらくうちでお世話する方をお連れした。すぐに休んでいただく。ドルフさんの家から手伝いに来てくれていた二人はどうしたんだ」
「レジモントたちなら、裏庭の草刈りをやってくれているわ」
「草刈り?」
「探し物は外へ逃げたかもしれないから、お庭をきれいにしないといけないと思って」
「そうか、まだ見つかっていないんだね」
 その時、アリシアとシュリアが馬車から下りて来たので、エディンは二人を紹介した。
「こちらはアリシア様。キュルプ王家の血をひいていらっしゃる。アリシア様も先日の騒動で怪我をしておられ、当分はここで静養なさる予定だ。それから、こちらの女性はシュリア。アリシア様のお世話をするために陛下のはからいで城から派遣された」
 アリシアは気分が悪そうに、会釈する。シュリアは、使用人らしく深く頭を下げたが、顔はふくれっつらだった。
 母親は、アリシアに向かって、礼儀正しく深い礼をした。
「アリシア様、ようこそおいでくださいました。わたくしはエディンの母、フィーサ・ガルモでございます」
 母親は「人手不足でお恥ずかしい事でございますが」と前置きを入れ、もう一度礼をし、娘のルイザに部屋の用意を命じた。
 フィーサはかつて多くの客人が出入りしていた屋敷の女主人らしく、突然の訪問でもあわてずに、アリシアたちを中へ案内したが、ドルフには声をかけずに建物の中へ入ってしまった。アリシアたちの対応に気を取られていただけでなく、顔を腫らして人相が変わった御者が、エディンのことを先日報告にきたドルフと同一人物だとは気がつかなかったらしい。

 女性たちが屋敷内に入ると、エディンは、馬の手綱を持って立っていたドルフに近づき礼を言った。
「お時間があるなら、中でお茶でもいかがでしょう、と言いたいところですけど、お怪我が酷いですよね。すぐに医者へ行かれますか?」
「いや、医者は必要ない。腫れているのは顔だけだし、見た目ほど重症ではない。茶でもどうか、と誘ってくれるなら遠慮はしないぜ。俺は仕事をクビになっちまって、当分暇だ」
 さりげなく告げられたドルフの失職の話に、エディンは驚いて詳しく聞こうとしたが、ドルフは馬をひいて歩き始めていた。
「おい、どこに馬を連れていくんだ? 馬車置き場は?」
「馬はあちらに」
 エディンは、歩いて馬をひくドルフのすぐ横を歩いて案内した。石造りの正面建物を左から回り込む。
 エディンはどう言葉をかけようかと、ドルフの横顔を見た。彼の顔全体がはれぼったく、特に両まぶたは酷く、すっかり細目になってしまい、じろじろ見るのも悪い気がする。
「連れていかれて拷問にかけられたのですね」
「おう。取り調べのやつら、俺を縛りつけて手加減なしで殴りやがった。念のために言っておくが、俺は一切賊にはかかわっていない。殴られても白状することなんか何もない。それは嘘ではないけどな」
 ドルフは腫れた目でエディンをちらっと見て、ぼそりと言った。
「俺が悪かった。すまない」
「何がですか」
「俺から自白を引き出せなかったから、実際の現場で俺の動きを検証することになり、ジーク様立ち会いの元で、あの時に中庭で起きたことを再現させられた。それぞれの立ち位置や死体がころがっていた場所を確認した結果、俺は無実だとジーク様に認められて開放してもらったが」
 いつものふざけた彼らしくなかった。
「どうも……おまえを骨折させたのは、俺のようだ。すまなかった」
「えっ」
「言い訳になるが、俺は必死だった。どこへどう槍を出したかなんて憶えていない。ただ、音のする怪しい方向へ槍を勢いよく突き出したら、手ごたえがあったことは記憶にある。他にも二人ぐらいに槍が当たったと思う。そのひとつがおまえに当たったみたいだ。俺はジーク様には絶対に当てないように気を付けて、ジーク様に剣を渡してからすぐに離れた位置へ移動したが、その移動時にも誰かが襲ってきたから夢中で槍を振り回した。もちろん手加減なしの全力でだ」
 エディンは息を飲み込んだ。ジーク王子が言ったことは、半分は当たっていたのだと、思いを巡らせる。王子は確かにドルフを疑っていた。エディンに怪我を負わせたのはドルフではないのかと。
「本当に申し訳ない。俺は、おまえの怪我を知っても、まさか俺のせいだとは思ってもみなかった。だが、検証してみると、やっぱり俺がおまえを……悪かった。痛い思いをさせてしまった」
 ドルフはすっかり分厚くなってしまった唇を動かして、謝罪を繰り返す。
「俺は同志を傷つけた罪で即日解雇だ。ま、これで、ジーク様のあの声を聞くこともない。耳栓もいらなくなったからおまえに全部譲る。割のいい仕事だったんだがな」
 ドルフは痛々しい目をしょぼつかせた。
「そうだったのですか……僕の怪我は気にしないでください。ドルフさんが悪いわけじゃない。僕がぐずぐずしていたから、怪我をしただけです。僕の方こそ、すみませんでした。僕が邪魔なところにいたせいで、ドルフさんが解雇されてしまったのなら、おわびのしようもありません」
「いや、俺が悪い。すまん」
 いつになくしょんぼりしているドルフ。後輩に怪我をさせ、仕事をクビになったとなれば、元気を失くすのは当然かもしれないとエディンは思った。
「お仕事は、これからどうなさるんですか」
「おやじの手伝いでもしようと思っているが、その前に俺は――」
 ドルフは馬を引く足を止めた。
「怪我をさせたわびとして、しばらくの間、俺をここで働かせてくれないか。もちろん無報酬で」
 エディンも足を止めた。
「そんな、ドルフさん、悪いですからいいですって」
「俺がそうしたい。この屋敷、人手が足りないんだろう?」
「それはそうなんですけど……でも」
「気にするなって。俺は償いたい。それとも何だ、俺を賊だと疑っているのか? 賊の仲間かもしれないやつを屋敷に出入りさせたくないと思うのか」
「とんでもない! 僕はそんなことは思っていません。無償っていうことがダメなんです。手伝っていただくなら、きちんと給金を払いたいですけど、残念ながら今の僕にはそこまでの財力はありません。それに、ドルフさんの家からすでに二人も使用人をお借りしているのに、これ以上お世話になるわけにはいきません」
「あいつらはおやじが勝手に派遣したやつらだから、俺には関係ない」
「ですが」
「とりあえず、馬車をかたづけるとしようぜ」
 二人は止めていた足を進めた。

 やがて、建物の横を通り過ぎると、左奥に、木造の馬小屋が見えてきた。正面から続いていた石畳の道は馬小屋まで伸びているが、道の周りはどこまでも草が生い茂る。正面建物の裏庭の奥の方には、バイロンとレジモントが草刈りをしている姿が遠目に見えた。彼らの周辺だけはすっかりきれいになり、ところどころに刈られた草の束が積み上げられている。
 ところによっては腰よりも深く雑草がはびこる屋敷に、ドルフは遠慮なく思ったことを言った。
「こりゃあ酷えな。ここは伯爵家の本宅なのに、荒れ放題じゃないか。あんなに立派な門がある屋敷の中が、こんなに荒れているとは誰も思わないだろうよ。人手がいることは明白だ。俺に借りを返させてくれ」
 ドルフは、にっ、と笑い、「アレを探すんだろう?」と付け加えた。
「アレ! うぇっ」
 エディンは、ブルブルと身震いした。
 思いだす、あの小さな手足の感触……
「アレって……アレですよね……」
「ニレナネズミ。あの怖い怖い黒ネズミ。ジーク様にとっては死ぬほどかわいいネズミちゃんだ。ジーク様は変わった方だとつくづく思うぜ。将来の国王陛下ともあろうお方が、理解しがたい御趣味をお持ちだ」
 ドルフがおどけた口調になったので、エディンは、根負けして笑った。
「わかりました、お願いします。アレのことも、ジーク様のこともよくご存じなドルフさんなら何も隠すことはないから安心です。アレが見つかるまで、という期限付きで、お手伝いをお願いしてもかまいませんか?」
「まかせろ」

 ドルフはネズミ探しに協力することに決まった。
 エディンは、心に引っかかっていた塊がとれた気がして、自然に笑みがこぼれた。先輩のドルフを無償で使うことは気が引けるが、アリシアを任されている今、人手はどれだけあってもいい。彼が賊の仲間ではないとわかったことが何よりもうれしかった。賊の仲間の可能性があるのならば、釈放されるはずがないのだ。

 季節は春。
 心地よい風が流れ、暖かな日差しがふりそそぐその日、ひっそりとしていたガルモ家は一気に住人が増えにぎやかになった。



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