菜宮雪の空想箱

ジーク王子の寝室で、ああっ!

1.初仕事


  
 その城の中では、使用人たちの間でおかしなうわさが流れていた。

『世継のジーク王子が、夜な夜な寝室で怪しげな行為に没頭しているらしい。寝室からすごい声が……』

 ある者は、王子が寝室に女性を隠して住まわせているのだと言った。別の者は、王子は正気ではなく、夜になると病状が悪化して、意味不明な大声を出してしまうのだと力説した。いや違う、王子は同性愛趣味で、寝室を守る兵を連れ込んで騒いでいるのだと言う者もいた。

 うわさは城内でじわじわと広がり、ついに王の耳に入り、王は激怒して、城内で働くすべての者を集め、王子を侮辱するような無礼なうわさを広めるなと一喝した。それ以来、ジーク王子の寝室の話題は、誰もおおっぴらには出さなかったが――


 十八歳のエディンは、兵舎で真新しい兵服に着替え、ゆるい癖のある栗色の髪を、きれいに整えた。前髪は少しおろし、残りは後ろへ撫でつける。壁にかかっている顔の大きさほどの鏡で、自分の姿を総点検。薄緑色の兵服が、自分の青緑の目によく合っていると思った。
 初仕事。今夜からジーク王子の寝室の夜間警備を務める。失礼のないようにしなければいけない。
 緊張の中、先輩のドルフ・ハウマンに連れられて、ジーク王子の部屋へ案内され、就寝前の部屋の安全確認を行った。ドルフは数年この仕事をやっているらしく、手順も慣れている。彼は、王子の衣装箱や寝台の下など、点検すべき場所をエディンに教えながら手際よく終えると、エディンをうながして廊下へ出た。
 槍を持って王子の部屋の扉の前に二人で立つ。これからが仕事本番。間もなく王子が湯あみから戻ってくるはずだ。

 長く伸びる静かな廊下。まだジーク王子は戻ってこない。王子はいつごろここへ戻るのか、とエディンが聞こうとした時、ドルフの方から話しかけてきた。
「エディン、『ジーク様のアレ』の話を聞いているか?」
 ドルフの厚めの唇が、心なしか笑っているように見えた。
「いえ、ジーク様が何か?」
「しっ、声が大きいぞ。ジーク様の悪口を言っているのを見つかると牢獄行きだ」
 ドルフは、制服の胸ポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。エディンに、ほい、と突き出されたドルフの掌の上には、綿で作られた丸く小さな白玉が二つ。
「この耳栓をおまえにやるから、まともでいたいなら使え。前のやつは、これを着けずにがんばっていたが、頭がおかしくなってやめちまった」
「え、どういうことですか」
「『ジーク様のアレ』が始まったら着けた方がいい。装着していても少しは聞こえてしまうが、ひたすら我慢だ。賊のことなら心配ないぞ。俺はここで数年この仕事をやっていても、賊に出くわしたことは一度もない。ここは安全だ」
 ドルフの大真面目な顔が、エディンの不安を呼ぶ。
「何が……始まるんですか?」
「すぐにわかる。それを使いたくなるってことが」
 エディンは、心の中で首をかしげながらも、先輩の手から耳栓を受け取った。王子を守る兵としては、耳栓をして物音を聞こえにくくするとは職務怠慢だと思ったが、何年も務めている大先輩が必要だと言うならば、とりあえずもらっておいた方がいい。
 エディンは、やわらかな耳栓の綿をつぶさないように、そっと胸ポケットにしまった。

 やがて、湯あみから戻ってきたジーク王子が、侍女や兵を従えて廊下の向こうから歩いて来る姿が目に入った。エディンとドルフは、王子の部屋の、両開きの扉を開いて左右に分かれて立ち、頭を下げる。
 部屋に入りかけた王子は、エディンに気が付き、足を止めた。
「新しい者か?」
「はい。今日からここで警護を務めさせていただきます、エディン・ガルモと申します。よろしくお願いします」
「そうか、よろしく頼む」
 複数の燭台に照らされた湯上りの王子。まだ水を含んでいる長い栗色の髪が、つややかに肩に広がる。エディンに真っ直ぐに向けられた空色の瞳。すっと通った鼻筋に形のいい唇。王子の顔立ちや歩き方には、育ちの良さがにじみ出ており、ゆったりとした夜着姿でも非の打ち所はなく、全身が磨き込まれた宝石のようだった。

 王子は、エディンに軽く微笑むと、室内へ姿を消した。

――『ジーク様のアレ』ってなんだろう……

 ぼんやりしていたエディンに、ドルフが声をかけた。
「どうした?」
「あの、ドルフさん、ジーク様って、たしか、僕より三つ年上ですよね? 落ち着いておられて同性ながら憧れます。直接お声をかけてもらえただけでも嬉しくて、夢みたいです。こんないい仕事に就けてよかったです。でも、どうして耳栓が」
 エディンは、ハッ、と言葉を止めた。つい先程までエディンがいた王子の部屋から人の声が。
「ドルフさんっ」
 これに耳栓? と訴えるエディンの顔に、ドルフはプッとふき出し、慌てて自分の口を押さえている。
「ほれ、あれが合図だ。今のうちに耳栓をしておいた方が身の為だと思うぜ」
 ドルフはさっさと耳栓を着けてしまった。

 エディンは先輩の行動に戸惑い、槍を握りしめたまま突っ立っていた。室内から流れて来る音。それは、耳を塞ぎたいような騒音ではなく、やわらかな歌声だった。


 いとしの姫 ニレナ〜
 この花束を大好きな君にぃ〜
 愛しているよ ニレナ
 受け取ってくれるかい
 この愛の花束 僕の気持ちを


 エディンも知っている恋歌で、まぎれもなくジーク王子の声。『ニレナ』とは、王子の政略結婚予定の相手で、隣国キュルプの王女の名。この曲の元の歌詞は『ニレナ』ではないので、王子が替え歌にしているのだろう。

 エディンはうっとりと目を細めて、感嘆のため息をもらした。この歌声に耐えられず仕事をやめた人がいることが不思議だ。王子の透き通る声は、まるで夢に誘う媚薬。眠くなるから耳栓が必要かもしれないが、この美声を聴かないのはもったいない。
 やがて歌は終わり、室内は静かになった。

 ――ジーク様はおやすみになられた……はず……えっ?

 エディンは呼吸を忘れ、槍を握り直した。王子の部屋からなんか声がする、と思ったら、それは大声になり静寂を切り裂いた。

『うっ! あぁ……』

「お部屋の中からうめき声が!」
 エディンは、ドルフに飛び付くように訴えたが、ドルフは、驚いているエディンを見ると、顔中くしゃくしゃにして、短く刈り込んだ自身の黒髪をかきむしって笑っている。
「ジーク様の声だろ? 放っておけ。いつものことだ」
 ドルフは、大声を出さないように口を押さえて、肩を震わせながら笑い声をこらえている。
「でも、ジーク様のご様子が」
 その間も、王子の奇声が室内から聞こえてくる。

『はうっ……!』

「ドルフさん!」
「我慢だ。あれこれ想像すると、頭が変になる。長くこの任務を続けたいなら、耳栓をすればいい」
 エディンは震える手で耳栓をした。それでも少し聞こえてしまうが、何もしないよりまし。驚きが招いた汗がこめかみから流れ落ちる。

 ――確かにジーク様のお声。お相手はニレナ王女でないのは確実。婚約した姫の名を楽しそうに歌っておきながら、どなたと乱れておられるのか……

 そこで考えが止まる。戸口の警護に着く前に、室内に賊が潜んでいないか、ドルフと家具の中まで点検したのだ。もちろん、寝室には誰もおらず、付き添ってきた兵はここで帰り、侍女が退室したことは確認済み。出入り口は今立っている一ヶ所のみ。王子の寝室には他に誰もいない!

 声が聞こえなくなると、エディンは耳栓をはずした。扉に耳をつけて中の様子をうかがう。そんなエディンを、ドルフは大きな黒い目を意味ありげ動かして、ニヤニヤと見ている。
「何も気にするな」
「だけど、ジーク様が」
 エディンが言いかけた時、またしても王子の辛そうな声が耳に刺さった。苦しげなあえぎ。彼が助けを求めているような気がした。
「もう我慢できません。ジーク様はお具合が悪そうですから、僕が見てまいります」
「おい、よせ」
 エディンは、止めるドルフを振り切って王子の部屋に入り、その奥にある寝室へ飛び込んだ。
「ジーク様!」


 薄暗い寝台の上には、腰布一枚の王子がうつぶせになっており、他に人はいなかった。突然のエディンの乱入に、王子はむっ、と起きあがり、枕元の剣を抜き放った。
「何用だ。私を殺しに来たのか」
「い、い、いえ、違うのです。お声がしたので……どうなさったのかと」

 ――しまった……

 顔を赤らめて立ち尽くすエディンに、王子はこのうえもないきれいな笑顔をみせた。王子の裸の上半身に、思わず下を向いてしまったエディンは、走った黒い影に気が付かなかった。
「し、失礼しました」
 何事もなさそうな王子に、慌てて背を向け、退室しようとしたが。

「ひやぁ〜!」

 ひっくり返った大声が、エディンの口から飛び出していた。
「おまえが気に入ったようだな」
「え? わぁ!」
 エディンは飛び上がった。何かが服の中に入り、背中でうごめいている。
「ひぃ、あっ!」
 肩に走るかすかな痛み。

 ――刺された?

「ぎゃあ〜、脇の下に!」
 間抜けな悲鳴を上げながら服をはだけて振りはらう。ポトリと床に落ちた、毛むくじゃらの小さな生き物。
「私の恋人、黒ネズミのニレナだ。手荒に扱わないでくれ。なかなかかわいいだろう?」
 王子は寝台から出て屈むと、慣れた手つきでニレナという名のネズミを捕まえた。
「とてもいたずら好きで、下着の中まで入って来ては所かまわず歯をたててくれる。せっかく見に来てくれたのだから、おまえも遊んでいけ。少し痛いが楽しいのだ」
 王子は、小さな噛み痕だらけの自分の体を自慢げに見せると、有無を言わさず、エディンの肩の上にネズミを乗せた。ネズミは、エディンの首筋から胸元へ潜り込んだ。
「あっ、やめっ、うわあ〜!」
 ネズミの小さな手足が下着の隙間から入り、カリカリと地肌を滑る。
 エディンは、長槍を放り出して、ひぃ、と背を丸めた。胸の先端に、ガリッと鋭い刺激。小さな動物は、下着と素肌の間を移動し、脇腹に爪をたて、さらに下へ。
「ああっ〜! そこはっ、やっ……うああっ!」


 しばらく後、ようやく『ニレナ様』から解放され、よろめきながら廊下へ出たエディン。はだけられた胸元を直している涙目の彼に、ドルフはやさしく言った。
「だからよせって言ったのに」
「……」
「ジーク様は楽しそうに見ておられただろう? 俺だってあの声に最初は驚いて見に行ったさ。俺も黒ネズミのおもちゃにされた。見てくれ、その時にやられた傷だ」
 ドルフは、自分の首元に残る古い傷痕を見せた。
「ジーク様はいつも、あの黒ネズミを歌で呼び出して、お一人で遊んでおられるのさ。すごい刺激を味わっただろう?」
「……はい……ジーク様のお声を聞くたびに、今日のことを思い出してしまいそうです」
 エディンは弱々しい声で答えた。まだ膝がガクガクする。
「おい、大丈夫か? 明日も仕事に来てくれよ。王子の部屋に乱入しなければ、ニレナの相手はしなくていいから」
 心配してくれるドルフに、エディンは無言でひきつった笑いを返した。

 ――あうぅ……そこら中が痛い。こんな変態王子を守る仕事なんか今日限りでやめてやる。ドルフさん、やられたの、首元だけじゃないですよね? 

 そう言いたかったが、口には出せなかった。



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※この第一話は、第二回恋愛ファンタジー小説コンテスト、最優秀タイトル賞受賞作品を少しだけ改稿したものです。(総合では八位でした。つまりは、中身関係なしで、タイトルだけ他作品に勝ったちゅうことです^^;

コンテストに関するお礼
制作時の仮題名は「新米警備兵の苦悩」でした。この題名ではどうもぱっとしないので、ちょっと変な題名を考えました。この題名に決めた時の家族の反応は当サイト内のここで、題名小話として出しました。
続編を書く予定はもともとなかったですが、だんだん書きたくなってきましたので、後日発表したいと思います。書いてしまいました。(2009/7/29) 追記:連載にしてしまいました(2009/12〜)
コンテストの主催者、赤西紅様および、投票してくださったすべての方に心より感謝いたします。ありがとうございました。
         2009/7/22 菜宮 雪