6.
明け方、台風は過ぎ去り、風雨は止んだ。
友香はいつもどおりの朝を迎えた。自室の雨戸を開け、空を見上げれば、昨夜のどす黒い雲はひとつもなく、澄んだ青空が広がっていた。
昨夜の出来事を思い出すと笑えてきた。
「変なの。河童の王子様なんて」
『カエルの王子様』というグリム童話は知っている。
呪いでカエルの姿になっている王子が、自分勝手なお姫様と出会って、彼女の元へ置いてもらうことになるが、嫌われて壁にたたきつけられ人間の姿に戻り、二人は結婚……という冷静に考えれば、すごいお話。
「じゃあ、あたしがあの河童を壁に叩きつけてやればよかったのかな。それで人間の王様に変身、なんてね。でも、なんか、やだ」
あの河童がきれいな男の人になるとしても、童話のお姫様みたいに結婚なんて考えられない。生理的に絶対に無理だ。運命を感じるよりもドン引き。勘弁してください。悪霊系の河童ではなかったけれど。
「なにが王子様だよ。あんな王子様、ないわー」
河童との昨夜の会話を思い出してニヤニヤしつつ、朝食のパンをかじる。
「あーあ、あたしも誰かいい人いないかなあ。あの河童に妖力があるなら、素敵な結婚相手をくださいってお願いすればよかった。そういう超能力はなさそうなただの河童。すぐに水切れで、なさけないったらありゃしない」
昨夜のことは、もしかすると全部夢で、友人の結婚話を知ったさみしい自分が、変なお話を作り上げてしまったのかもしれない。朝起きた時はそう思った。
しかし、居間のテーブルの隅に置かれた指輪は前日にはなかったもの。割れたガラスはダンボールで応急手当されている。昨夜のことはすべて現実らしい。
指輪を手に取った。
銀色の指輪。明るいところでよく見ると、金の縁取りもあった。結婚指輪のようにシンプルで、表面の模様はなく、内側に細かい文字がいくつか刻まれている。恐ろしく小さく、読みにくい字。
目をこらす。
「……」
何かの文字が刻まれていることはわかったが、黒ずんで文字は崩れ、読めなかった。
数日後、友香は、旅行から戻ってきた父に、母がいないところで、河童の指輪を見せた。
「これ、庭で拾ったんだけど」
河童が池から拾ってきた、とは言えない。
「んん? 誰のだろうな」
友香は父の顔色をしっかり見ていたが、特に変わった様子はない。女性の指からもぎとって池へ捨てたはずの指輪に見覚えがあるならば、顔になんらかの感情が出るはず。
――父さんとは無関係の指輪ってことか。
「知らない? あとで、お母さんに訊いてみるね」
いったん自分の部屋へ戻って待機。父が風呂に入っている間が母と二人きりになるチャンスだ。
この指輪の主は、どんな思いでこれを指につけて、そして、彼氏の手で外されたのだろう。池へ放り投げられた指輪に、きっと彼女は悲鳴をあげたに違いない。
想像はどんどん広がっていく。
指輪の贈り主は、指輪を捨てた男とは限らない。女性の指にあった見知らぬ指輪に、彼氏が逆上したとか。それとも、すでに結婚している女性に、ストーカーがつきまとって彼女から指輪を無理やり取り上げたとか。
とにかく、男女がもめて、指輪が投げ捨てられた。それを池からこっそり眺めていた河童。河童は池に捨てられた指輪を拾って――
果てしない妄想に口元が緩む。想像でつくるドラマの役者はもちろん、若いころの両親だ。
もし、母も知らないと言ったなら、父の元カノの指輪の可能性がある。父はなにも知らない顔をしたけれど。それとも母が元カレからもらった物かも。それとも、二人ともこの指輪を知っていてもしらばくれるか。
父が風呂へ入った気配に、友香は指輪を右手に握り込むと、台所にいる母のところへ向かった。
「お母さん、これ、お母さんの?」
母は指輪を手に取り、目を細めた。
「どうしたの、これ」
「そこで拾った」
母はこの指輪を知っている? 母が元カレからもらった指輪説急浮上!
ところが。
「誰のだろうねえ。なんて書いてあるのかわらかない」
母は見にくそうに目を細めて、刻まれた文字を見てから、友香に返した。
「お母さんのじゃないの?」
両親とも否定。
河童の指輪は、結局、友香の小物入れに納まった。
ゴミに出して捨てるとバチが当たりそうな気がして、大切に保管することに決めた。
<前話へ戻る 目次 >次話へ ホーム