5.
「ちょっと、河童さんってば」
浴槽の中の河童は、目を白黒させてひっくり返ってしまった。
「また水切れ? まだ濡れているのに」
河童は友香の問いかけにも答えることもできず、口をパクパクさせ、手足を震わせる。
友香は懐中電灯を浴槽の扉の外へ置くと、シャワーを勢いよく出し、先ほどのように河童の頭から水をかけてやった。
懐中電灯を遠ざけてしまったため、河童の顔色などはわからないが、浴槽内で彼のうめき声が止まらない。
「しっかりしてよ。大丈夫? キャッ!」
いきなり浴槽の中で、ポンッ、と何かが破裂するような音がして、友香は思わず飛び上がった。
はずみで放り出してしまった水シャワーが洗い場で上を向き、友香に容赦なく水を浴びせる。
「冷たっ!」
友香は悲鳴をあげながらシャワーを止めた。急ぎ、懐中電灯を取って河童に向ける。
苦しがっていた河童は、浴槽の中で普通に立っていた。なにごともなかったかのように。
「河童さん……」
友香はありえなさ感と恐怖が入り混じって、ひきつった笑いをもらしてしまった。
河童は一瞬で大きくなっていた。立ち姿は五十センチほどに成長している。甲羅だけでもさっきの倍近くの大きさ、長いところで二十センチほどもあり、その右手の先には、この瞬間に作業を終えたと思われる彼の薄皮がぶらさがっていた。
「もしかして脱皮したの? 信じられない。マジで瞬間脱皮芸って。つか、大きすぎ!」
先ほどまで無理やり引っ張り伸ばしても、二十五センチもないぐらいの大きさだったのに。
成長した河童はにっこりと笑いを返した。
「これで最後の課題が終わり、ついに、僕は大人になれました。あなたが僕に触ってくれたからです」
「へっ? あたし、触ってなんかいないよ」
「いいえ、先ほどシャワーをかけてくださるとき、僕の頭に少し触れたではありませんか」
「そうかな」
「脱皮が始まるときに、人に触れてもらうと、生命力が高まって脱皮が楽にできるのです。感謝します」
よくわからない理屈だが、ここで議論しても無意味だ。超現象は納得できないが適当に飲んでおく。
「あのさ、なんでもいいけど、あまりびっくりさせないでね。河童って脱皮するのにポンって音がするって知らなかったし、脱皮するの、速すぎ」
「すみませんねえ。そういう生き物です」
河童は皿の付いた頭をペコペコと下げた。
「では、お世話になりました。胸を張って帰ることができてうれしいです」
玄関扉の内側で、河童は、丁寧に感謝の言葉を述べた。
「こっちこそ、窓の修理に手を貸してくれてありがとう。池のみんなに認めてもらえるといいね。外はすごい風だけど大丈夫かな」
友香は玄関の扉を細く開け、河童を外へ出した。風に押し戻される扉に隠れるように風雨を防ぎながら河童を見送る。停電はまだ回復しておらず、辺りは真っ暗だ。懐中電灯のあかりだけが光るすべて。
河童はカメのように四足歩行になり、数歩進んだところで首を回して振り返った。
「僕の指輪のことですが……」
「どうしたの? 人に見つからないうちに早く帰んなよ」
「いえ、なんでもありません。ありがとうございました」
嵐の中をぺたぺたと早足で帰っていく河童の後ろ姿を、扉の間から懐中電灯で照らす。すぐにその姿は見えなくなってしまった。
相変わらずのひどい風雨だが、この天候なら誰にも見つからずに無事に公園の池までたどりつけるだろう。
「王子様、気を付けて」
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