46.さようなら
ガルモ家に新しい家族、大型のオウム「ピパ」と、城の地下にいたネズミたちが増えた翌日。
その日は、特別謁見日だった。フィーサとルイザは朝から着飾り、今日はバイロンとレジモントを連れて城へ出向いた。ジーク王子夫妻への結婚祝いは、すでにここで内密に終えているが、ガルモ家として正式に人前で謁見する必要がある。
二人を送り出したエディンは、落ち着かなかった。動物が増えたこともあるが。
――アリシア様の迎えはいつ来るのだろう……
心はそればかりを考えていた。今日ではないかもしれない。だが、王子が明言したからには、その日は近いうちに必ず来る。別れの時がせまっているなら、少しでも彼女のそばにいたい。今日は母と妹もおらず二人きりになれるいい機会。
アリシアの部屋を訪ねると、シュリアがいた。二人は徐々にけんかの回数が減ってきており、ソファに向かい合って腰かけ、熱心に何か話し込んでいたようだった。
エディンが入っていくと、シュリアが、パッと立ち上がった。
「伯爵様ぁ、いいところに! あたし、もうすぐお城に帰るからさ、伯爵様に話があるんだ。ちょっと外へ出ようよ」
「今日はアリシア様と話がしたい」
エディンはやんわり断ろうとしたが、シュリアは強引にエディンの腕を引っ張った。
「ねぇ、大事な話なんだからぁ」
「後で聞くよ。夜にしてくれないか」
またしてもシュリアの言いなりになって、アリシアを怒らせるようなことはしたくない。エディンがシュリアを離そうとすると、アリシアが口をはさんだ。
「いいのよ、エディン。シュリアと話をしてきたら? 今日はあまり体調がよくないから、ひとりで休みたいの」
アリシアにそう言われてしまうと、引き下がるしかない。二人きりになりたくても、体調が悪いと言っている女性の部屋に、召使いでもなく、恋人かどうかもわからない男が、いつまでも居座るわけにはいかない。シュリアに連れられるまま、廊下に出た。
「何の話だって?」
廊下をだいぶ進んだあたりで、シュリアはようやく立ち止った。アリシアの部屋からは話し声は聞こえない距離まで来ている。
「あのね……あたし、前から言おうと思っていたんだけどさ……あたし、あの女に酷い事いっぱい言っちゃったけど、言いすぎちゃったかなって、ちょっぴり反省したんだよ」
「そうか。でも、どうして急にそんなことを言う?」
「だってさぁ、あの女のことすごいと思ったから。ジーク様にも遠慮しないで、意見をちゃんと言ったよね。ニレナ妃にだって物おじしないでさ。だから、許してやることにした」
「よかった。仲良くしてくれればそれでいい。ただ、みんなの前では『あの女』と言うのはやめろ。アリシア様と呼んでほしい」
「うん、わかってるよぉ。今度からちゃんと呼ぶから。あのね、あたし、伯爵様には言っていなかったけど、どうしてもあの女のことが好きになれない理由があったんだよ」
「理由?」
「あたしね……小さい頃にね、突然家に入ってきた強盗に両親を殺されたんだ」
シュリアには、今日はいつもの笑顔はない。
「ご両親が……」
「そいつらは、あの女をけしかけた集団とは別だよ。あたしは自分を守る為に剣を憶えた。けどさ、本当は人殺しは大嫌い。だから、あたしには、どんな理由があっても殺傷事件に手を貸したあの女を許しちゃいけないって気持ちは今でも持ってる。だけど、あの女、にくたらしいけどやっぱりキュルプ王家の血を引いている。王家とのつながりを証明できなくても、あの女はすごいもん。伯爵様が本気になってしまうだけのことはあると思うんだ。でも、あの女はね――」
シュリアは驚くべきことを告げた。
「なっ……本当なのか!」
「ごめんね、伯爵様。このことだけは、伯爵様に言っておいた方が絶対にいいと思ったから」
エディンは、心の奥まで刃物で刺されたような衝撃を感じ、すぐにシュリアと別れると自室へ走り戻った。
寝台へ埋もれる。
――そんな! 信じたくない。
アリシアが男性の扱いには慣れているかもしれないと、思わなくもなかった。自分とのキスはおそらく初めてではないだろうと。
――キスの意味は? どうして僕をかばってくれた? アリシア様! 僕はただの遊びのお相手ですか? なぜ、夫がいるあなたが、僕の気を惹くようなことをしたのですか? 僕はあなたを――
せっかく二人きりになれる機会に恵まれたその日、エディンは、夕方まで自室から一歩も出ることができなかった。
アリシアに何を期待していたのだろうかと自問する。美しすぎる人妻の毒に、単純な頭をやられていただけなのかもしれない。キスだけで、それ以上の深い関係にならずによかったと思うべきだろうと、自分で自分を何度も納得させようとした。
ドルフが扉をたたく音に、気だるい身体を起こした。ルイザたちが帰宅したわけではなく、どうやらアリシアの迎えが門のところに来ているらしい。ということは、賊の一味は全員捕まった、ということなのだろう。情報が入って来ないのでわからないが、今はそんなことはどうでもよかった。
寝室へ入って来たドルフが、心配そうに、エディンの顔を覗きこむ。
「いいのか? 彼女をこのまま行かせて」
エディンは、寝台からなかなか立ち上がれなかった。
「はい……アリシア様は罪人ですからね、引き渡します。御本人もそれでいいとおっしゃるし。これですっきりしますよ。ドルフさんも、バイロンとレジモントも、明日にでも荷物をまとめて家に帰ってください」
正直なところ、ドルフたちに屋敷内の仕事を手伝ってもらえることはありがたい。しかし、ドルフのことを恐ろしく感じ、距離を置きたくなった、ということもある。なによりも、アリシアがいなくなれば、こんなに多くの手伝い人を置く必要などない。
「俺は、いつまでもここにいてもかまわないぜ」
「いえ、ドルフさんは次の仕事を探してください。今までありがとうございました。母と妹だけの、元通りの静かな生活に戻りたいのです」
「わかった。明日あいつらと帰ることにする。また手伝いが必要ならいつでも言えよ」
「……ありがとうございます」
アリシアの迎えの箱馬車は、建物の玄関先に停められた。シュリアも一緒に乗せて行くことになっていると、馬車の兵が言う。兵は城から来た者。エディンも知っている顔なので、ジーク王子の使者に間違いない。
やがて、支度をすませたアリシアが、シュリアと共に玄関に現れた。
アリシアは、ここへ来た時の、城の地下にあった服を着て、髪を後ろで一つに束ねており、普通の町娘に見える。シュリアは使用人のエプロンのままだが、違和感はない。
アリシアは、シュリアを先に乗せ、自分はなかなか乗らなかった。兵が乗車をうながしたが、アリシアは助けを求めるように、エディンを振り返った。
エディンが手を取って乗せてやろうとすると、アリシアはエディンの手をぎゅっと握り返してきた。ぱっちりとした紺色の目が、エディンを見上げる。それがうるんでいるように感じたのは、春風が強いせいかもしれない。
「エディン……ありがとう。本当にありがとう。あなたのことは生涯忘れないから」
握られた手から伝わる温かさ。この手をとり、暗い城の地下を一緒に抜けた。しかし、エディンの首を絞めようとした手でもある。
あの日が遠く感じる。彼女の手をとるのはきっと最後。抱き寄せたくなる衝動をこらえる。
「アリシア様、僕は……いえ、私は……」
風が舞う。ちぎられた若葉が飛び、口が渇く。声が枯れそうになる。
――あなたが好きでした。恐ろしくも美しく、どこかたよりなげな、あなたのことが。
「……どうか、お元気で。不思議な御縁でしたが、お会いできて光栄でした」
しばらく二人の視線は絡み合っていた。周りには、馬車の兵や、ドルフもシュリアもいることを忘れているのかと思えるほど、二人は長く見つめ合い、やがて、アリシアの方からゆっくりと手を離した。アリシアはエディンの手を借りずに馬車に乗った。
「エディン、さようなら」
エディンは黙って頭を下げた。箱馬車の扉は閉じられ、馬車はゆっくりと動き出す。今、門を通り抜けた。すぐにドルフが門を閉めにかかる。
――さようなら、アリシア様。本気であなたのことを思っていました。あなたに夫がいるなんて、考えもしないで。僕は……幸せだったんですよ。かなわぬ夢とわかっていましたけど、あなたがずっとそばにいてくれたらって……
ドルフが強風に逆らいながら、大きな門を閉めている様を、エディンは、視界がぼやけた目で見ていた。門は完全に閉じられ、馬車は見えなくなった。
夜遅く、母親たちが城から帰宅し、城での逮捕劇を聞かされながらも、エディンはうつむきがちで、いいようのない感情から脱出できずにいた。アリシアとシュリアは去り、明日には使用人の男三人もいなくなる。ぬぐえないさみしさが、胸に落ちてくる。
ルイザは、沈んでいるエディンには気がつかずに、城での出来事を興奮気味に語っている。
「大広間に兵が入り乱れて、すごい騒ぎ。怖かったわ。机や椅子が倒れて、乱闘で怪我をした人が何人もいたの」
城の財務官とその下で働く者が何人も、見ている前で捕まったのだと言う。今日の謁見に来ていた貴族の一部も検挙となり、城はまた緊急体制がしかれ、帰宅しようにも、すぐには城門を通過できなかったらしい。
「お兄様、本当に酷い話だわ。ガルモ家は、関与を疑われていたから謁見を今日にされたのよ」
ルイザは、口をとがらせて怒っている。
「それは違うだろう。どうしてうちが疑われるんだ」
「想像だけど、お父様が秘書官だったからじゃなくて? 財務官と秘書官とはつながって仕事をしているものね。とにかく、財務官逮捕のあの場で抵抗をした人は全員捕まったわ」
十人以上が捕まったと母親が付け加え、ルイザは話し続けた。
「それでね、騒ぎが静まってから、陛下がお出ましになって説明なさったの。財務官が反キュルプ王家の勢力と通じていたとか。証拠もあるんですって。恐ろしいわ。お城の中に、他国のおかしな組織と通じていた者が何人もいたなんて」
キュルプ王家転覆を狙う隣国のとある勢力は、二つの国の王家の権力を強める結果になる今回の政略結婚に強く反対していたという。財務官はジーク王子の結婚を成立させないよう、その勢力から頼まれ、かなりの資金を得て、結婚を不成立にすべく、いろいろな人物に働きかけていたらしい。
「どうして財務官はそんなことを」
「結局はお金。みんなお金に従ったのよ。私たちの陛下は、質素倹約を好む方。お金のばらまきはしないもの。財務官からお金を受け取ったと思われていた人が今日は集められていたの」
「うちもそのリストに入っていたわけか。誰もお金はくれなかったけど」
「お兄様は、そうやって軽く考えているみたいだけど、ほんっとに怖かったのよ」
「それなら、城へ侵入した賊の仲間たちは全員捕まったんだな? 小姓が手引きをした、と聞いたが、そうなのか?」
「陛下の小姓が賊の侵入に手を貸したことは間違いないらしいけど、その小姓、家族を人質に取られていたんですって。家族は全員殺されちゃったみたい。城の兵を殺した実行犯たちは、お金で雇われた外国人の刺客ばかりだったって」
家族が人質……殺された……いやでも思い出すアリシアと同じ話。今は聞きたくない。
エディンが席を立とうかと思っていた時、来訪者を告げる玄関の鐘の音が耳に入った。ドルフが門へ走っていく。こんな時間に誰が、と問うことでもない。
――そうだった。ジーク様は毎日来るとおっしゃったんだったよ……こんな日でも、何の関係もなく。
「全員でお出迎えしよう」
エディンは立ちあがった。
城で騒動があったというのに、ジーク王子は晴れやかな顔をしていた。今夜は妃は連れていない。妃は疲れて先に寝てしまったのだと王子は言う。
馬車から降りた王子は、そばに立っていたドルフに声をかけた。
「御苦労だった。これでエディンは白だ」
ドルフが頭を深く下げる。
――ドルフさん?
エディンが疑問を口にする間もなく、王子は涼しげな笑顔をエディンに向けた。
「実のところ、私はエディンを疑っていたのだよ。だから、ドルフをこの屋敷に住まわせて監視させ、私の暗殺話を持ちかけさせて反応を確かめ、逃亡案を出して様子を見るよう、密かに命じた。今日の一斉逮捕情報を先に教えたのは、組織と関係しているかどうかを調べるためだった。それでエディンがなんらかの行動をすれば、確実に黒だと踏んでいたが、どうやら見当違いだったようだ。安心したぞ」
エディンは驚いてしばらく返答できなかった。
――やっぱり疑われていた!
夜中にドルフがうろついていたことも、それなら納得できる。王子はドルフを疑っている振りをして、実はエディンの方を疑っていたのだ。
「わ、私はそのようなことには一切かかわりはございません」
エディンは必死で弁解すると、王子はやさしくエディンをなだめた。
「わかっている。エディンの性格がつくり物でないならば、私を裏切ることはないだろうと思っていたが、万が一、ということもあるから用心したまで。君の父上の死に、不審な点があったからだ」
「父が関与していたのですか!」
「関与していたか、陰謀を知って消されたかのどちらかだろうと推測されている。エディンが無関係なら問題ない。これで、ガルモ邸には安心して遊びに来られる。今夜は賊のことが片付いた。エディン、私が持参した酒で、共に朝まで祝杯をあげよう」
ジーク王子は、明け方までガルモ邸に居座り、エディンを相手に酒を飲み続けた。心の戒めが外れたように、王子は様々なことを語ってくれた。
母親や兄弟の暗殺のこと。隣国の王女を妻に迎えると勝手に決められたと知った時のこと。自分の気持ちを置き去りにして、政略結婚が進められているのに、それに反対している者も多くいたという事実。さらに、エディンが全く知らなかった、エディンの父親の死に関する様々な疑惑。
王子の話は尽きることなく続く。
エディンは、かなり酔いが回ってきていたが、王子の杯を受けないわけにはいかない。話題は衝撃的な内容ばかり。父の死に何の疑問も抱かなかった自分の甘さが嫌になる。王子につがれた杯を、迷うことなくどんどん飲み干した。
――世界がゆがんで見える。いや、違うな。回っているかも……
王子もきっと酔っている。話がしつこい。今の話題はニレナネズミ。王子らしくない酔いが回った赤い顔で、ニレナネズミとの出会いを熱く語る。暑そうに首元を弛め、まるで、エディンとは親友であるかのような打ち解けぶり。普段は非の打ちどころもない王子の、こんなだらしない姿を見た者は多くはないだろう。
恐れ多く、ありがたくもあり……
――だけど、なんでここで飲むんですか。
王子とエディンは床に座り込み、杯を重ねる。目の前には、ニレナネズミの檻。その横にはオウムのピパが入っている鳥かご。部屋の隅には、城の地下から『移住』してきたネズミたちの檻が。
ここは、どう考えても、飲み食いするのに向いている部屋ではない。
好ましいとは言いがたい動物の香りが、酔いをさらに加速させるのだ。
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