45.増えた
「こんばんは、ガルモ伯爵。きのうは嫌な思いをさせてしまい、ごめんなさい。でも私はとても楽しかったです」
ニレナ妃のキンキン声が、静かな夜に響く。翌日の夜も、ジーク夫妻はガルモ邸へやってきた。楽しそうな笑顔で馬車を降りてきたニレナ妃は、布で覆われた大きな荷物を大切そうに抱えていた。
「今夜は、私のピパを紹介しますわ。ガルモ伯爵もきっと好きになってくださるでしょう」
「えっ、は、はいっ!」
――ピパって……なんでそんなの連れてくるんですか! 中身は? まさか、凶暴なネズミの仲間じゃないですよね?
ジーク王子は、いかにも王族という顔になってほほ笑んで付け加えた。
「急なことで悪いのだが、城でピパを飼ってはいけないと、父上に言われてしまって、ここに連れてくるしかなかったのだ」
「陛下に反対されたのですか?」
「これから子を望む者は動物を身近に置かない方がよいらしい。禁止されたからと言って、捨てることはできないから、ここで私のニレナと一緒に面倒を見てほしいのだよ」
覆われている布の中身はまだわからない。エディンは、冷たい汗をかきそうな予感に胸をざわめかせた。
――またなにか来た。しかも……これでニレナネズミはここに永住決定ですか……
決まってしまったことは、受け止めなければならない。口先だけの礼を述べる。
「当家にまかせていただくとは、ありがたいことでございます。そちらは、どのような動物でしょうか」
「見てのお楽しみだ。なかなかかわゆいやつだぞ。エディンもきっと気に入ってくれると信じている」
王子は、いたずらを仕掛けた子どものように、目を輝かせている。
――なんだ? またネズミ? ネコではなさそうだ。凶暴でなければいいけど。だけど、何が持ち込まれても、僕は逃げないぞ。どんなことがあっても耐え抜く。アリシア様を心配させないために。
エディンの心の声が聞こえたかのように、王子は続けた。
「噛みつくことはない。昨夜は私も悪かったと思っている。エディンにはこれからも世話になりたいから、無理をさせるようなことは二度と言わないし、やらない。アリシアと約束したのだから」
昨夜、ニレナ妃にネズミを肩に乗せられ、大声をあげてしまったエディン。あの時、別室で休んでいるはずのアリシアが、怪我人とは思えないほどの速さで部屋に飛び込んできた。アリシアは、ものすごく不機嫌そうな怖い顔で、エディンの頭に登っていたネズミを捕まえると、ニレナ妃の顔の前に突き付けた。
『ニレナ様、おたわむれはおやめください。ガルモ伯爵が怪我をしていることは聞いておられないのですか。自由に動けない人になんてことを』
突然現れたアリシアに、いきなり叱られたニレナ妃は、驚きすぎて、声も出せず、唇を半開きにして、自分に似ているアリシアを見つめるだけだった。
『アリシア様、いいのです。私なら大丈夫ですから』
エディンがあせってそう言ったが、アリシアは態度を改めなかった。
『ジーク様、なぜ、このようなことをお許しになりますか。お妃様に何を教えたのか知りませんけど、そんなにガルモ伯爵を苦しめたいのですか。それならば、私はこのネズミを捨てます』
『アリシア様! 失礼なことを言ってはなりません』
『何も失礼ではないでしょう? 困っている人を助けようとして、どこが悪いの?』
二人のやり取りを見ていた王子は、むっとした様子で、アリシアの手からネズミを取り上げた。
『この子を……私のニレナを捨てるだと?』
『はい、そうです。こんなネズミがいるから、彼は大変だったのです。ネズミさえいなければ――』
『黙れ。この子は私の癒しだった。自由に暮らしてきた者には、私の気持などわかるまい。どれほどたくさんの心の重みを、この子が救ってくれたか』
王子は苦いものでも口に入れたように、顔をしかめてため息をつくと、感情を押さえながら静かに語った。
『私は大人になってから、自分の兄弟や母がどうしていないのかを偶然知り、恐ろしくてたまらなくなった。ここにいる皆は、その理由を知っていたのだろう?』
いつの間にか、戸口には屋敷中の者が集まって、なりゆきを見守っていた。誰も答えずにいると、王子は続けた。
『皆、私が物心つかぬうちに暗殺された。私は、自分はひとり息子で、母は自分を生んだ時に死んだと教えられて育ったが、大人になってから知った事実は違った。自分だけが残された後継ぎとなっている今、ひとりきりの夜の不安を引き受けてくれたのは、この子だけだったのだよ。だから、この子を殺さないでほしい』
王子の真剣な話に、エディンは身を縮めた。
『ジーク様、申し訳ございません。アリシア様、謝ってください』
『いやよ、エディンがこんな目に遭わされているのに』
『あの……殿下、私がいけなかったのでしょうか。私はニレナちゃんが喜ぶ姿を見たいと思っただけで、何も考えていませんでしたわ』
妃がおどおどと口をはさむと、王子の表情は和らいだ。
『いや、私が悪かったのだ。アリシアの言うとおりだ。困った者を助けようとするのは、人として当たり前のこと。エディン、すまなかった。ニレナが楽しそうに遊んでいるのを見ると、幸せを感じていたのだよ。エディンも身をよじって笑っている時があるから、楽しいのではないかと思っていた。その子に触れられるのは苦痛か?』
『……いいえ、苦痛だなんて、とんでもないことでございます。大丈夫です』
『大丈夫なら、大声になるわけがないでしょう』
アリシアが横から余計なことを言う。それでも王子は怒らなかった。
『アリシアのおかげで目が覚めた。もっと人の気持ちを考えるようにしなければいけないのだったね。エディンの気持ちがわからぬとは、王族として恥ずべきことだった』
昨夜、そんなことがあったばかりなので、エディンは余計に緊張していた。ニレナ妃が何を持って来ても、楽しそうに受け入れるべきだ。ジーク王子の性癖には首をかしげる点はあるが、昨夜、それも少し理解できたと思う。王子はネズミのことになると全く無防備になってしまう。王族はいろいろと大変で、何か癒しがないと、やっていけないに違いない。自分をかばってくれたアリシアの行動はうれしかったが、これ以上王子に気を遣わせるようなことがあってはならない。
「……ではお部屋に」
とエディンが言いかかった時、王子が「待った」をかけた。
「今日は荷物が他にもある。下ろすのを手伝ってくれ」
ドルフをはじめとする使用人の男三人が、急いで馬車へ走った。
馬車の中に積まれていた金属製の檻。大人が一人で抱えることはできないほどの大きさの長方形。中でせわしなく動く、複数の黒い影が。
エディンはあやうくまたしても大声を出しそうになってしまった。
「こっ、こちらは」
「数が増えてしまって悪いな、エディン。ついでにこの子たちの面倒も見てほしい。この子たちはね、私が城の地下でえさをやっているところを父上に見つかってしまってね、殺されかけていたのを救ったのだ」
――わっ……ネズミがいっぱい! しかも、なんだかわからないニレナ妃の動物も!
エディンが、うめき声を飲みこんでいる間に、複数のネズミが入った檻は、ネズミ部屋へ運び込まれた。
王子は、戸惑うガルモ家の人々には全く構わず、口元に笑みを浮かべながら、ニレナネズミの檻を開いた。
「ニレナ、出てこい」
「ニレナちゃん、ピパと仲良くしてね」
そばにしゃがんだニレナ妃が、動きを合わせるように、抱えていた布をさっと取り、檻があらわになった。ニレナ妃は檻を開けると手を入れて、動物をつかみ出し、室内に解き放った。
「クェー!」
耳が痛くなるような鋭い声。うす緑色の羽が舞った。
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