菜宮雪の空想箱

40.誰が犠牲者?



 そして、夕食の時間になった。
 全員が一緒に食事をするガルモ家の食卓。使用人も一緒に、全員が同じテーブルに着く習慣は、エディンの父親の代から続いている。
 エディンは、シュリアが作ってくれた料理を黙々と食べながら、アリシアの方をちらっと見たが、彼女は、ルイザとの話に夢中になっており、今は怒った顔をしていなかった。
 アリシアは、傷の手当てなど身の回りの世話を担当していたルイザとすっかり仲良くなったようで “あの菓子店”の話で盛り上がっている。秘密の通路の終点だった「ジェランの店」という焼き菓子店は、ルイザが大好きな店だった。
 アリシアは、あの時店に並んでいた丸い菓子についてあれこれ質問していた。ルイザが得意げに答える。
「お店で焼きたてを食べると、すっごくおいしいんですよ。今度一緒に食べに行きませんか? お母様とシュリアも一緒に」
 母フィーサは、時々二人の会話に入りながらニコニコしている。シュリアもお菓子の話題となれば興味をひかれるらしく、アリシアに嫌味を言うこともなく、目をきらめかせながらおとなしく聞いている。
 楽しそうな女性たちとは対照的に、男性陣は黙って食事。小皿に取り分けられた野菜や、焼いた肉などを無言でほおばる。エディンはアリシアの機嫌が直ったように思えて、ほっとしながらも、今からのことに頭を悩ませていた。
 捕獲したネズミが、ニレナかどうか確かめる必要がある。はっきりさせなければ先へ進めない。できれば、あれがニレナネズミであってほしい。かみつくかどうかを調べれば、はっきりするだろう。だが、ニレナでなかったら。
 ――その時は、シュリアの案をすすめる。だけど、どっちにしても……
 お菓子の話に夢中になっている女性たちは、エディンの悩み顔には気がつかない。
 シュリアの案……屋敷内にできるだけ多くのわなをしかけてネズミを捕獲し、ジーク王子のネズミとして通用するように調教すること。つまり、何匹ものニレナネズミを作り上げる計画。うまくいけば、本物のニレナネズミが死んだとしても、代わりがたくさんいれば何の問題もない。しかし、ネズミの調教が必要なシュリアの案には、多くの犠牲が必要だ。
 ――問題は、誰がその役をやるかだ。

「よし、くじで決めよう!」
 女性たちは話を止め、皆が一斉にエディンに注目した。
「食事が済んだら、あのネズミがジーク様のものかどうか確かめる。今から犠牲者をくじで選ぶ」
「お兄様? 犠牲者って何のこと?」
 エディンは妹の質問には答えず、話を進めた。
「くじを引かなくていいのは、アリシア様と母さんだけだ。他の全員は引いてもらう」
 犠牲の意味を察したドルフが、口をはさんだ。
「女性にも、あれを? それはいくらなんでも……」
「誰が痛い目を見るか、というくじだが、女性だからと言って特別扱いはしない」
 エディンは、疑問符だらけの顔になっている女性たちにそう言い捨てた。男性陣はなんとなくわかっている者ばかりなので、誰も何も言わない。
 エディンは、ブーブー言っている、妹とシュリアを無視し、すでに食事を終えていたドルフに、くじの用意を頼んだ。


 そして、全員の食事が終わるころ。
「用意ができましたぜ。これでいかがです?」
 ドルフは、細い木の棒が数本入った花瓶をエディンに渡した。木は、庭から調達したらしく、若干曲がっているものもある。手のひらの長さほどの丸い花瓶は、口の部分だけが細く閉まっており、中は全く見えない。
「一本だけ、先に色の付いたものが入っています」
 エディンはドルフの言葉にうなずくと、立ち上がって、花瓶を皆に見せるように掲げた。
「誰が一番に引く?」
「ちょっと、お兄様、本当に私も引くの?」
「そうだ。この家の一員ならば。ジーク様のネズミに関する大切なことだから」
「お兄様が言いたいことは、なんとなくわかる気もするけど、当たれば痛い目に遭うんでしょ?」
「当たるとは限らない。当たるのはたった一人だけだ。おまえから引けばいい」
 エディンはルイザが座っている後ろに回り、彼女の顔の横に花瓶を差し出した。
 ルイザは不服そうだったが「わかったわ、引けばいいんでしょ。えいっ」と一本引いた。
 印はなし。
「よかった」
 ルイザは安堵の笑みを浮かべた。残った者たちに緊張が走る。
「次、誰が引く? 誰も引かないなら、引くぞ」
 エディンが引いたが、これも印はない。あと四本残っている。次にドルフが、そして、バイロン。
 ……彼のくじにも印はなかった。残るはあと二本。まだ、引いていないシュリアは、レジモントと顔を見合わせた。
「そんな〜、あと二本しかないんなら、あたしに当たっちゃう」
 レジモントは、シュリアに先に引くように頼んだ。この赤毛の男は、バイロンと同様で、おとなしくよく働くが、感情を隠すのは得意ではなさそうだった。レジモントは、赤い眉を下げて困り顔をしている。
「俺が先に引いてもいいのか? だけど、当たらなかったらシュリアに決定だ。先に引いた方がいいと思う」
 レジモントが促したが、シュリアはそっぽを向いてしまい引こうとしない。
「じゃあ、先に引くぞ」
「それも、やだ」
 エディンは見かねて、花瓶をシュリアの顔前に強引に押しつけた。
「シュリア、レジモントが困っているよ。君がさっさと引かないからだ。後の方なら当たらないと思ったのか? さあ、引いて」
「やだ、やだ、絶対にやだぁ。あたし、伯爵様の考えていることがわかっちゃったんだもん」
「君の案を使うことになれば、どっちにしても犠牲者は必要だ」
「ええーそんなぁ。あたしはそんなつもりじゃなくて――」

「それを貸して」
 シュリアの言葉をさえぎったのは。
「アリシア様!」
 エディンとレジモントの声が重なった。アリシアは立ち上がると、つかつかとシュリアに近寄り、花瓶を取り上げ、棒を二本とも出した。先端に赤い印がついた棒を取り、印がない方を花瓶に戻す。
「これで私に決まり。シュリアがそんなに嫌なら、くじなんか引かなくていいわ。あなた、エディンの頼みに従えないって言うんなら、今すぐお城へ帰ったらどう? 私はエディンが何をしようとしているのかわかっているし、彼が好きでそれを望んでいるわけじゃないことも知っているもの」
「アリシア様にそんなことはさせられません」
 エディンは、アリシアの手にある色のついた木を取り上げようとした。アリシアが一歩下がる。
「いいのよ、エディン。私が当たりを引いたの。たいしたことじゃないでしょ?」
「いけません。アリシア様にやらせるぐらいなら、自分がやります」
 ――そうだ。最初からくじなんかにせず、自分がやればよかった。
 ネズミに遊ばれた苦痛を思い出して、どうしてもやりたくなかっただけのこと。当主の権限を使い、嫌な仕事を人に押しつけようとしていただけだった。
「エディン?」
 母親は、エディンがやろうとしていることが飲み込めず、困惑して息子の名を呼んだ。母親を安心させるように、エディンは笑顔を作って皆を見まわすと、やさしい口調で言った。
「皆を困らせるようなことを言ってすまなかった。最初から自分がやると言えばよかったのだね。アリシア様は大切な客人だし、怪我をしておられる。ご本人の希望があったとしても、犠牲になっていただくなんて、とんでもないことだった」
「伯爵様、ごめんね……あたし……」
 泣きかかっていたシュリアに、エディンは「いいよ」と返した。


 「とりあえず、男だけネズミ部屋に移動しよう。シュリア、食事のかたづけを頼む。ルイザと母さんはアリシア様の包帯交換をやってくれ」
 エディンは、うつむきがちにさっさと部屋を出た。
 率先してネズミにかみつかれたいわけではないが、もうどうでもよくなっていた。少し我慢すれば済むことだ。アリシアにあんなことを言わせてしまったことのショックは大きい。昼間のことも加え、いよいよ遠ざかっていく春の気配に、首が下を向いてしまう。灰色の気分を抱いたまま早足で向かうのは、仮名ニレナネズミが置いてある部屋。

 『ネズミ部屋』と名をつけたその部屋は、すべての家具をどけ、燭台以外は、壁に何もかかっていない状態にしてあった。この部屋の壁には、ネズミが隠れるような穴はない。ここなら万が一、檻から逃げられても、捕まえることはたやすいと思われた。

 エディンの後に続いて、ドルフも食事の部屋を出てきた。追いついたドルフが、他に聞こえないようにエディンの耳元でささやく。
「無理をしなくていいんだぜ。自分が犠牲になるのが嫌なら、強引に指名すればいい。俺が連れてきた二人のうちのどちらかに押しつけろ」
「いえ、最初から自分がやると決めておけばよかったと思っています」
「伯爵様はやさしいな。偽王女の毒気に当てられたんじゃねえのか?」
「そうかもしれません」
「俺も驚いたぜ。あの偽ニレナ王女、さすが賊の女だ。度胸があるぜ」
「賊……そうでしたね……」
 バイロンとレジモントも、エディンたちを追いかけるように付いてきたので、エディンとドルフの主従関係が逆転した会話をすぐに打ち切った。


 四人の男が入室し、室内に明りが灯されると、部屋の扉は閉められた。仮名ニレナネズミの入っている檻が、何もない部屋の真ん中に置いてある。檻の中で動いているネズミの黒い毛並みには、捕獲時にハサミで傷つけられた痕がついていた。四人の男が檻を取り囲んでしゃがみ込む。
 部屋にこもる、ほのかなネズミ臭。エディンは、片腕を肘までまくると、ゴクリと空気を飲み込んだ。
「檻を開けてくれ。気を付けろ。飛び出てくるかもしれない」
 ドルフが注意深く檻の口に手をかけると、一同は緊張した面持ちで、身構えた。

「あの……やっぱり俺がやります」
 重くなった雰囲気を破るように、レジモントが遠慮がちに申し出た。
 檻を開けかかっていたドルフは、レジモントの肩をポンとたたいた。
「よく言った。さすが俺の家に長くいただけのことはある。主人が望むことがちゃんとわかっているじゃねえか」
「レジモントは本当にそれでいいのか? それなら助かるが……」
 エディンが確認すると、レジモントは首を縦に振った。
「くじに当たっていたのは俺かもしれないからやります」
 ――ありがたい。
 エディンは正直にそう思った。
「よし、それなら腕を出せ。ニレナネズミなら、人肌を好むから、腕を伝って登ってくるはず」
 ゆっくりと檻の扉が開けられた。檻の口は、上の部分にあり、ふたのようになった金網の一部が開くと、レジモントがそこへ手を差し伸べた。
 ネズミは警戒しているのか、あるいは、檻の入り口が開いていることには気がつかないのか、走り出てこない。
「おい、おまえがニレナなら出てこい」
 ネズミはエディンの呼びかけに無関心で、檻の中を普通に行ったり来たりしている。鼻を動かして食べ物を探しているように見えるが、レジモントの手には興味がなさそうだった。レジモントはネズミの目の前で指先を動かしてみた。
「無反応ですね。怖がっているかもしれません」
「これはジーク様のネズミではないのか」
 ――では、やっぱり死んだ方がニレナネズミ?

 ドルフが檻の端を軽くたたいた。
「食いついてこねえのか」
 ネズミは中をうろうろしているだけで、レジモントの手に飛びついたりはしない。
「どうやら、あいつではなさそうだな」
 そのまま待っていても、いつまでも状況が変わらないので、エディンはレジモントの手を引っ込めさせると、低い声で歌ってみた。
「いとしの姫ニレナ〜 この花束を大好きな君にぃ〜」

 突然、ネズミが狂ったように狭い檻内を走り出した。キョロキョロと首を回している。「反応したぞ!」
 一同に歓声が上がる。ネズミは、あっと言う間に開けられた檻の入口へ飛びつくように登ると、ポン、と音を立てて、床へ飛び降りた。
「逃がすな!」
 エディンが冷静に対応できたのはそこまでだった。
「わ〜!」
 エディンの足にネズミが取り付いた、と思う間もなく、ネズミはエディンの体をすばやく登り――

 『ネズミ部屋』から外に聞こえるほど大きな悲鳴が上がった。




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