33.自白
自称ニレナ王女は、覚悟を決めた様子で、淡々と話し続けた。彼女はアリシアと名乗り、ニレナとは別人であることを認めた。
ジーク王子が時々質問をはさむと、彼女は素直に答えた。
王子は頭で情報を整理しながら、ネズミを握りしめた手を時々左右に動かす。そのたびに『アリシア』は顔をしかめた。
「そうだったのか。予想ははずれたな。君は、ニレナに似ているから、もしかして、現キュルプ王ネウディ四世の隠し子ではないのかと思っていたが……」
「現国王は私の叔父です。前王ジェニマヌス様が、私の本当の父なのだと母から聞かされています。でも、父は生まれた私を認めてはくれず、親子として会ったことは一度もありません。その人が王だった当時、踊り子をしていた母は、城で舞を披露した時、一度だけ王のなさけを受け、私を身ごもったそうです。母は女手ひとつで私を育て、苦労ばかりして、十年ぐらい前に体を壊して亡くなりました。それから何日か経った時、突然、私あてに王家の紋章が入った短剣が送られてきました。それがあの剣です。贈り主はわかりません」
「あの剣を調べさせたが、紋章は本物だった。贈ったのはだれかを考えると……君と母上の消息は、キュルプ王家の誰かに把握されていたようだが、前王が君の存在を知っているかどうかはわからないということだな。君が王の子だと知っている人物がキュルプの王宮内にいることは確実だろうね」
自称王女は、疲れた様子でうなずいた。
「前王はなぜ退位し、今どうしているのか」
「知りません。私も家族とは思っていませんし、興味もありません。今、家族と呼べるのは、母亡き後、一緒に暮らしてくれた農夫の一家だけですから」
エディンはずっと黙って傍に立っていたが、この告白で、少しだけ状況がわかってきた気がした。
キュルプ国の、前王の娘アリシアは、人質をとられて脅迫され、この城に侵入。
命じられた任務は、顔がそっくりなニレナ王女になりすまして城へ侵入し、ジーク王子を殺すか傷つけるかして、結婚式を挙げられない身体にした後、城内の人間に顔を見せて、王女が犯人と関係があると思わせること。無事に城外へ逃げきれれば、任務は完了で、人質として捕まっているアリシアの家族は開放される約束になっていたらしい。
彼女が元からの盗賊ではないとわかり、エディンは、ほっと胸をなでおろした。
ジーク王子は、ううむ、と考え込んでいる。その手には依然として生きたネズミが握られている。
「君を使ってそんな手の込んだことをする理由は……いろいろ考えられるが、キュルプの中でも王家転覆を狙う陰謀が練られていて、この城の者と通じているやからがいるようだね。首領の名は?」
「本名かどうか、知りませんけど、ラノと呼ばれていた背が高い男がなんでも指示していました」
「ラノ……あだ名か偽名だな。どんな顔だ?」
「短い黒髪で、口ひげがあって、目つきが鋭いんです」
「黒髪に口ひげ……か」
王子はその後も彼女から情報を引き出した。
「死んだ賊たちは、君の知り合いではなかった、ということか」
「私はあの人たちがなにをやっている人たちだったのかはわかりません。会ったのはあの晩だけ。一緒に城へ侵入する仲間だと紹介されただけです。覆面で顔もよくわかりませんでした。私が出せる情報はこれで全部です。もう私に用はないでしょう。さっさと牢獄へ送ってください」
「それはできない。おそらく取調室や牢獄の方にも裏の手がまわっているはずだ。生き証人の君を抹殺されては、こちらの動きが取れなくなる。君のことは引き続き内密にし、保護しよう。君の命の保証はすると約束したのだ。しかし……これが本当だとすれば……」
王子はそう言いながら、燭台を手にとった。
「こうしてはいられない。もらった情報はすぐに父上に報告し、今聞いた話について協議する。今夜は話し合いが長引いて、私はここに戻らないかもしれないが、遅くとも明日にはここを出られるように手配をするから、二人で静かに待っていろ」
王子はそう言い残すと、ネズミを持ったまま秘密階段の奥へ入って行った。中からの操作で階段はすっかり隠されてしまった。
王子が寝室からいなくなった後。
エディンは彼女の拘束をほどき、彼女を自由にしてやった。
「いいの?」
「逃げでも無駄だとおわかりでしょうし、今さら私を殺そうとはしませんよね?」
「ありがとう。ごめんなさい、エディン……あの」
「はい?」
「思ったんだけど、ネズミって、すごく不潔。あんなのにかまれたら、病気になりそう。ジーク様だって、手に傷を負っているのに、包帯を巻いた方の手でつかんだりして、大丈夫かしら」
「ジーク様は、とても……」
エディンはゴクリと唾を飲み込んだ。言葉がつかえそうになった。
「ネズミ好きな方なのです。かまれても楽しんでおられて、体が慣れていらっしゃる」
「ネズミが好き? そうなの? 王子様が、罪人から自白を引き出すのにネズミを使うなんて普通はやらないわ」
「同感でございます。それがあの方の個性であり、すばらしいところでしょう」
エディンが苦笑いを返すと、アリシアも、ふっ、と笑った。
「もしかして、あの方はいつもネズミで遊んでいるの?」
「前はいつもでしたが、花嫁を迎えるために、がまんなさって。あ、このことは口外しないでくださいね。ここでは、ジーク様の印象を悪くするようなことを言うと罰せられますから。実は、あの方が特別にかわいがっておられるネズミを、私が預かっているのですが」
エディンは、愚痴をこぼしそうになっている自分に気が付き、言葉を止めた。
この女性がすべてを告白したからと言って、それが真実であるかどうかわからない。余計な情報は言うべきではないのだ。
エディンは話を変えた。
「アリシア様。個人的に、お聞きしたいことがあります」
「何? あらたまって。もうニレナ王女じゃないってわかったんだから、そんなに丁寧な扱いをしなくてもいいのに」
隠しごとがなくなった彼女は、すっきりした顔になって、エディンを見上げている。
「失礼ですが……あなた様は、本当にアリシア様で、ニレナ様とは別人なのですか?」
「ふふ、信じられない? ネズミ怖さに、全部白状しちゃったのに」
「いとこにしては、とても似ておられるので……あなた様はやはりニレナ様ご本人ではないのかと思いまして」
「アリシアが本当の名よ。今度は嘘じゃない。もうエディンには嘘は言わないから。肖像画のことはね……この国では内緒だけど、あれは私がモデルなの。似ていて当たり前。ほとんどの肖像画は私を見て描かれた作品の模写なんだから」
「そ、そうなのですか!」
「ニレナ王女ってね、とんでもないおてんば姫で、じっとしているのが嫌いなの。それで、似ている女を探してきて、肖像画作りに協力させたってわけ。選ばれたのがこの私。本物の王女はもっと貧弱な体つきの女よ」
――だからか!
エディンの心に引っかかっていたことが、霧が晴れるようにすっと解けた。
数年前に見た、当時十四歳のニレナ王女。肖像画の女性は大人の雰囲気。女性はたった数年でずいぶん大人になるものだと思ったものだ。本当は二十一歳だと言うアリシアがモデルならば納得がいく。
「モデルをやることは楽しかったわ。ある日突然、お城から使者が来て、絵のモデルになるようにって言われた。半信半疑だったけど、使者に連れられてお城へ行ったら、毎日きれいなドレスを着せてもらって、髪を整えて、しおらしく座っているだけでお金がもらえた。父が認知してくれていたら、あんな生活もあったかもしれない。画家たちは、私が本当のニレナ王女だと信じていたのよ。でもこのことは秘密。別人の肖像画を婚姻先に配ったなんて、一般に知られたら大変でしょ。内緒にする約束でお金をもらったから」
「使者をよこしたということは……では、前王は、認知はせず会ったこともないのに、あなた様がニレナ様と似ていると知っておられたのですね。密かに気にかけておられたのかもしれません」
「そうかもしれないけど、使者を送ったのは前王とは限らないし、そんなの確かめようもないわ。前王が私を知っていたとしてもありがたくもない。ジェニマヌス様は立派な国王だったって、言われているけど、私にとっては最低の男。母は生まれた私を連れて、何度も城に出向いて、王の子を生んだことを認めてもらおうとした。でも取り合ってもらえなかった。母は遊ばれて捨てられたのよ。養育費を出すどころか認知すらせず、母を不幸にして、私に絵のモデルだけやらせるなんて許せない。私がこんなにニレナに顔が似ていなければ、巻き込まれることもなかったのに」
「アリシア様……」
「私が今、大切だと思っている家族は、その人たちだけ」
アリシアは、ジーク王子が置いて行った髪の束を示した。それは今は、引き出し家具の上に並べて置かれている。
「ねえ、エディン。その髪の人たち、本当に死んでいると思う? ジーク様は死体からとったとおっしゃったけど、もしかして、みんなまだ生きていて、ジーク様の命令でどこかに保護されているかもって、希望を持ってはいけないかしら。真実を知る勇気がなくて聞けなかった」
「希望はあってもいいと思います。ここにいては何の情報も入りませんが、後日調べればわかるでしょう」
「別人の物を持って来たにしても、髪色がどれも記憶あるものと同じ。みんな殺されたんだわ。やつら、私たちを拉致した時から、そういうつもりだったのよ。私がジーク様を殺しても殺さなくても」
アリシアは悲しそうに目を伏せた。エディンが何と言っていいかわからず、黙っていると、彼女はぼそぼそとつぶやいた。
「ジーク様は、あんなにきれいな顔をしているのに底知れない人ね。さすがは王になるお方、と言うべきなのかしら。どういう方法を使って調べたのか、こんな短期間で私の身元をつかんでいた。最初の晩、ここへ運んだ直後から、私がニレナ王女ではないと知っておられたのよ。でも気がつかない振りをして、私をニレナと呼んで、私の頬に触れたり、髪を撫でたりしていた。時折、意味ありげな微笑をみせられて、寒気がするぐらい怖かった」
アリシアは、エディンを相手に、これまでの生活や母の思い出話などをしてくれたが、そのうちに疲れて眠ってしまった。
その夜、深夜になってもジーク王子は寝室には戻らなかったので、エディンは彼女のベッドのすぐ横の床で眠った。
翌朝、夜間兵の任務が終わる時刻に近い頃、王子は秘密階段から寝室へ戻ってきた。アリシアを連れてすぐにここを出ろと言う。言われるままに、エディンはアリシアの手を引いて、王子の案内で『ニレナの穴』の階段を下りて行った。
王子が持つ燭台に照らされた細く暗い階段。直線の階段は長い。レンガの壁が両側に迫り、ひどく窮屈に感じる空間。どこまで下りたのか距離がつかめないが、そのうちに階段はなくなり、平らな通路になった。
いくつも枝分かれしている道の壁を確かめながら、王子は迷うことなく歩いて行く。
「こっちだ。本当は王族以外は入れない規則なのだが、今回だけは特別だと父上の許可をもらっている。ここのことは誰にも言わず、すぐに忘れろ」
「その前に覚えられません。これは迷いそうです」
エディンが感じたかすかな風に、動物の糞の臭いが混じる。それに、カサカサと何かが動く音も。体が緊張で硬くなる。
――ここは『ニレナの穴』。
エディンは、こんな空気をなるべく吸うまいと、時々息をとめた。
思い出す、いやな感触に、肌がピリピリしてくる……
ここはジーク王子がネズミを捕まえてくる場所に違いないのだ。
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