19.賊の女(2)
怪我の為、ジーク王子の寝室内に留まっていたエディンは、王子の許可を得て、王子の寝室内で上半身にまとっているものをすべて脱いだ。
肩が痛み、袖を抜くのに苦労する。鏡で傷を確認すると、右肩の裂傷から出血していた。しかし、傷は深くはない。ただ、破れた皮膚の表面よりも打たれたことによる打撲による色変わりは明らかで、腕を動かすと激痛が走る。鎖骨が折れているのかもしれない。
エディンの傷を確認した王子は、エディンの礼の言葉を受けると、椅子に腰かけるように勧めて、自分は寝台に腰かけた。無傷のドルフは、戸口の番人に立つ為、寝室から出ており、今ここには、王子とエディン、そして、眠っている『ニレナ王女』しかいない。
王子はため息をついて彼女から目をそらした。
「おまえの傷はここにいるニレナ王女にやられたと思うか? ニレナがあの場にいた全員を殺したと思うか?」
王子の声はいつになく覇気がない。
「いいえ、他に何人も賊はいました。あの時、私が戦っていた相手は女性だと確信しましたが、私の傷はこの方の持っていた剣でやられたものではありません。これはこん棒か、槍の柄で殴られたのだと思います。剣ならば、もっと斬れるはずです」
エディンは正直に言った。
「そうだな、おまえの傷は剣でつけられたものではない。状況から見て、彼女はこの剣を手にしていた、と私は思い込んでしまったが、違うのだろうか」
王子は抜いたままのその剣を目の前にかざし、方向を変えては品定めしている。キュルプ王家の紋章が入った小ぶりの剣。大人の顔の長さほどしかなく、細身で、みるからに女性向けの護身用。先の方に薄く血がこびりついている。これはジーク王子の手をかすめた時の血だとエディンは思った。
王子は苦々しくつぶやいた。
「婚約者が城に忍んできて、襲ってくるとは……私も油断していた。そんなに私と結婚したくなかったのか。それならなぜ断わらなかったのだ。断わる機会などいくらでもあったのに」
王子は剣を部屋の隅に放り投げると、開いた両手で、自身の栗色の長い髪をうっとうしそうにかきあげてくしゃくしゃにした。長い指先は癖のない髪に入り込み、毛先を握りしめてはほどく。王子はその動作を何度も繰り返す。
「ジーク様……」
エディンは、こんなジーク王子をみるのは初めてだった。王子のつぶやきには、公の場では決して見ることができない強い苦悩がにじみ出ている。
「信じられない。王女が私に刃を向けるとは。彼女がどうしてもここへ来るのが嫌なら、別の女性を出してくれればそれでよかっただけのこと。私の相手になる女性は、キュルプ王家の血を引く者ならばニレナでなくても、なんの問題もなかった。私は父上が決めた事は立場上断わることなどできないのだから、誰が相手でも同じだったのに」
王子は王女の方を見ようとはしない。エディンは、かける言葉を探した。ジーク王子は奇怪な行動をする面では尊敬できないが、今日ばかりは王子が気の毒だと心から思った。
何か明るい話題を……一瞬、ネズミのニレナが頭の中に浮かんだがその話は絶対にまずいとあわててもみ消す。今はそんなことは思い出したくない。それよりも、王子と王女のことを考えた方がいい。過去に見た、二人のこと……
エディンの記憶の隅に残る華やかな舞踏会。それは、四年ほど前のこと。その時はまだ、エディンの父親は生きており、王の傍にぴたりと付いていたが、エディンは人の多さにものおじしてしまい、母親と共に隅の方に身を置いていた。
あの舞踏会はジーク王子とニレナ王女を引き合わせて正式に婚約を取り決める為のものだったのだと、今さら思い起す。国の為に将来結ばれるべく手を取り合った二人。時にジーク王子十七歳、ニレナ王女十四歳。まだ幼さがあった王女がいずれ夫となる青年に手を取られてぎこちなく踊った様は、王女と年が変わらないエディンにとってはまぶしい思い出だった。
それから日が過ぎ、肖像画の王女はもうすぐ十八歳とは思えないほど大人っぽく成長。今夜のことがなければ、数日後にこの寝室で王女は女になり……
エディンは自分の想像に思わず顔を赤らめた。今、そこで眠っている王女の首についたネズミの手足の痕を見ると余計におかしな想像が走る。夫婦になった二人が、この寝室で着衣なしで仲良くネズミ遊びをしている妄想まで現れて、噴き出しそうになった。
王子がネズミとたわむれて変な声を上げていたこの部屋で、王女はジーク王子と。そして黒ネズミがちょろちょろと二人の間を行き来して……
――おおう、寒い。僕は何を考えているんだ。ジーク様がこんなに沈んでおられるというのに!
エディンは妄想を振り払おうと唇をかみしめた。王子はそんなエディンの様子にはまったく無関心で、寝台に腰かけて黙り込んだままで、眉を寄せている。城内にいるはずの医術師はなかなか来てくれない。夜はさらに深まり、日付はすでに変わった。
「遅い……医術師はまだか」
エディンが、状況を聞いてまいりましょう、と言いかかった時、廊下にいたドルフが、報告兵が来たと扉を叩いた。
戸口で報告を受けていたジーク王子は、声を荒げた。寝室にいるエディンは耳をすませた。
「なんだと、それは本当か!」
「残念ながら……」
「侵入した賊たちが全員か?」
「はい。こちらで確認できた侵入者は全員死亡です」
報告の兵が早口に説明している。
「弓の一斉射撃がひととおり終わると、門の外の賊の仲間はみな、逃走しました。今、追っております」
「なんと……最初から、やつらは侵入させた者たちの口封じをするつもりだったということか……非情なことを……」
王子が言葉を詰まらせた様子が、エディンにもわかった。報告に来た兵は、話を続ける。
「賊は、今も城内に潜んでいるかもしれず、城はすべての出入り口を封鎖して調査中でございます。安全確認ができるまでは、自室にて待機していただくようにとの、兵隊長からの指示を受けております」
「そうか……報告ご苦労だった。とりあえず父は無事なのだな。それはいいとして、だいぶ前に、医術師のロムゼウをここへ呼ぶように命じたがまだ来ない。ロムゼウも死んだか? ずっと待っているのだが」
「申し訳ございません。城内の医術師は全員あちらの治療にあたっていると思われ、現場は混乱しており、うまく伝わってないかもしれません。すぐに呼んでまいります」
兵が走っていく音が聞こえ、扉は閉められた。
王子は険しい顔で寝室に戻って来ると、いらだちを隠しもせずに、乱暴にドスンと寝台に腰かけた。
「医術師が来ないと思ったら……どうやら思った以上に事は大きい。侵入者たちは全員死亡。あの後、中庭から賊を追って行った兵たちも、何人も死傷したらしい」
「戦闘になった、ということですか」
「それが酷い話なのだが、賊の仲間は最初から侵入者たちを見捨てるつもりだったらしい。賊たちは門番を殺して裏門を開くと、門の外から弓を引き、敵味方に関係なく殺したそうだ。まだ城内で逃げている者がいなければ、侵入した賊で助かったのは彼女だけだろう」
王子は、寝台の中で眠る女に、首を向けたが、すぐにエディンに向き直った。
「どうやら、賊に口を割られると困る人物が背後にいるらしい。本当にむごいことをする。ん? エディン、顔色が悪いぞ。痛むか?」
「あ……はい、大丈夫です」
エディンは、普通に返事はしたが、本当はとても痛かった。王子はそんなエディンをいたわるようにいつもの微笑を見せたが、目に輝きはない。
「ふっ、無理をしているだろう。痛いなら、痛いと言えばいい。私もこんなかすり傷でも痛いのだから」
「じっとしていれば、そんなには痛くはありません。ただ、動かすとすごく痛いです。ご心配ありがとうございます」
エディンが頭を下げると、王子は、廊下のドルフにも聞こえないほど小さな声になった。
「いいか、エディン。今から私が言うことをよく聞け。賊どもの背後にいる人物が捕まるまでは、私以外は誰も信用するな。もちろん、ドルフもだ。もうすぐ医術師がここへ来たら、私の言うことに話を合わせてくれ。私がどんな嘘をついても、そのとおりだと肯定してほしい」
エディンがどういうことかと問いかけようとした時、医術師が到着した、とドルフが扉を叩いた。王子とエディンは口をつぐみ、医術師はすぐに寝室へ通された。
王子の幼い頃からの主治医を務めているロムゼウという名の老医術師は、王子の寝室で眠っている女の顔を見るなり息を飲んだ。
「この御方は――」
「ニレナ王女にとても似ているだろう?」
横で聞いていたエディンは、思わず王子の顔を見てしまった。王子の口から、わざわざ王女の名を出すこともないだろうに。王子は意味ありげに流し目でエディンの方を見ると、唇にかすかな笑みを浮かべた。
「だが違う。この女性は王女ではなく別人だ」
王子は平然とそう言った。エディンに向けられた王子の空色の目が合図するように、わずかに細まる。エディンはそれに同意するように首だけを小さく縦に振った。嘘をつく、とはこのことらしい。
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