14.深夜の足音
「――そういうことにしたい。それでいいな?」
エディンの正面に座っているジーク王子は、あいかわらず一方的に話をすると、目尻を下げて、にっこりと笑っている。エディンは、同意を示して頭を下げるしかない。
「では、兵庁の方へ、そう伝えるように手配しておく。きちんと準備しておけ。これが愛しいニレナと再び会う為の第一歩だと思えば、心まで楽しくなる」
「はい……」
「あの子は元気にしているのだろう?」
「ぁ……はい、それはもう、すばらしく活発で、家の中を元気に走り回っておられます」
エディンはうつむきがちに答える。逃走中で行方不明だと、喉から出かかるのをこらえる。
「そうか、それはよかった。ああ、早く会いたい。計画がうまくいくように、協力を頼むぞ」
「かしこまりました」
下を向いたまま王子の部屋を出ると、扉を守っていたドルフが、待ってました、とばかりに寄って来た。
「おい、今度は何の話だったんだよ」
「ネズミの話に決まっているじゃないですか」
「正直に言ったのか? 逃げられちまったって」
「そんなこと言えるわけがありませんよ。ガルモ家にジーク様が訪問なさる計画についてですね、準備の為にあれこれと……」
「やはり夜間訪問になるのか?」
「そうなりそうです。ジーク様は、王女がネズミを認めないだろうと決めてかかっておられるので、どうしても私の家へ行きたいとおっしゃって」
「じゃあ、王女が連れてくる動物が何なのかがわかった、ということか」
「その話は出ませんでした。もうかわいいニレナネズミちゃんの話ばかりで。あれでは、ニレナネズミはいなくなりました、では済みそうにないです。どうしても見つけなければなりません」
ドルフは、ふ〜ん、と言ったきり黙りこみ、ちょっと難しい顔になって考え事を始めた。エディンは、先程、王子から言われたことを何度も頭の中で復習しては、これから自分がなすべきことを思い描き、軽くため息をついた。
夜の静寂の中で、こちらへ向かって駆けてくる足音が廊下の奥から聞こえて来たのは、エディンが部屋から出てきて、そんなに時間が経っていない時だった。
エディンとドルフは、どちらもまだ仮眠しておらず、パタパタとした足音に、おや、と顔を見合わせた。
「エディン、気を付けろ! あの足音は巡回兵とは違うぞ」
こんなことは初めてだ、とドルフは緊張気味に身構えた。エディンも槍を握りしめ、腰元の剣の存在を確認する。
大理石の廊下に響く足音は、小刻みでせわしい。音から想像すると一人のようだが、人数が少なくても完全武装した賊かもしれないので、のんびりかまえているわけにはいかない。二人はまばらな燭台の明かりでは照らしきれない闇に目を凝らした。
やがて、足音の主の持つ蝋燭の小さな明かりが、長い廊下の奥に見えて来た。
「あれは」
こちらへ向かって走って来る相手の手には武器はなく、顔がはっきりすると、ドルフは、はん、と緊張が抜ける声を出した。
駆けて来た男は、エディンも知っている少年。国王の身の回りの世話をしている小姓だった。
「なんだ、おまえか」
ドルフが身構えを解くと、少年はドルフに近づき、早口な小声でささやいた。
「ジーク様に至急連絡があります」
「お休み中だぞ。こんな時間に急ぎの用だと?」
「ジーク様に、すぐに国王陛下のところへお越し願いたいのです。陛下が――」
急いで走って来た少年は、息切れでせき込んで言葉を詰まらせた。
「陛下がどうしたって? 何があったんだ」
「とにかくジーク様を陛下のお部屋へお連れするように申しつかりましたので」
「よくわからんが、ジーク様をお連れすればいいのか? わかった。エディン、俺がここを見張っているからすぐにジーク様を起こして来い」
エディンは素直に従い、一人で王子の部屋に入った。
入ってすぐの部屋は、王子の姿はなかった。壁際にしか燭台がなく、薄暗いが人の気配はない。その部屋のさらに奥にある寝室へ向かい、弱めに扉を叩く。返事が戻って来ない。
「ジーク様」
起こすのは悪いが、王のお召しとなれば、呼ばないわけにはいかない。今度は、もう少し大きめに扉を叩いてみた。以前のように返事も待たずに急に踏み込んで、王子の怪しい場面を見るような失態を演じることはない。
「ジーク様、お休み中のところ失礼します。エディンです」
扉をもう一度叩いて、王子の返事を待ったが、いつまでも返答がないので、エディンは寝室の扉を開いた。
「ジーク様、陛下がお呼びに――ああっ!」
扉を開いたエディンは、思わず悲鳴を上げていた。
「ジーク様!」
「こんな時間に入って来るとは、どうしたのだ、エディン。静かにしてくれないか」
ジーク王子は寝台に腰かけて、魅惑の笑いを浮かべていた。その目はぱっちりと開いており、今起きたばかりだとは思えない。腰布一枚だけの姿の王子は、シッ、とエディンをたしなめた。
「返事をしなくて悪かった。いいところに来てくれたな。ほら、見てくれ」
王子は、立ちすくんでいるエディンに向かい、右手の拳を突き出した。彼の拳の中には黒い塊がもそもそと動いて……。
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