菜宮雪の空想箱

43.お許しください


「当家を信用して預けていただいたのに、このようなことになり、おわびの言葉もございません」
 エディンは床に頭をこすりつけて、緊張からくる吐き気に耐えながら、ジーク王子にわびた。すると、母フィーサがその横に並んではいつくばり、涙ながらに訴えた。
「ジーク様、どうか、息子をお許しください。罰するなら私だけを。息子の失態は母親の私の責任でございます」
 さらに、ルイザがその横にならび、同じように頭を下げた。
「ジーク様、兄は悪くないのです。こんなことになってしまったのは私のせいなんです」
 母と妹は、今は質素な室内用ドレスを身につけている。王子の急な訪問で、あわてて髪を一つに後ろでまとめただけの状態の、二人の頭が、深く何度も下げられる。
「本当に、本当に、申し訳ありません」
 エディンは、泣きそうな母と、妹を小声でたしなめた。
「母さん、ルイザ、黙って」
「でもエディン……」
 エディンは少し顔を上げた。
「母も妹には何の罪もありません。ニレナ様に傷を付けてしまったのは、私の管理が行き届かなかったからです。私自身は、どんな処分でも受け止める覚悟はできております。母と妹は関係ありませんから、二人の罪を問わないでいただけたら、これ以上の幸せはございません」
 黙っている王子に、フィーサはしつこく訴えた。
「息子の罰はこの私が受けます。数年前に主人が亡くなってから、親子三人だけで静かに暮らしてきたのです。息子がいなければ、この屋敷は回っていきません。どうか、息子をお許しください」
 身を小さくしてわびる三人を、ジーク王子は見おろしている。

「ジーク様」
 少し離れて立っていたアリシアが、突然口をはさんだ。
「そのネズミを故意に傷つけたのは、私です」
 室内にいる全員が「えっ」と、驚きの息をもらした。エディンが何か言う前に、アリシアは近寄って来て、エディンたちと王子の間に入った。
「アリシア様、何をおっしゃいます」
 アリシアは、エディンを手で制すると、王子の顔を正面から見据えた。
「そのネズミ、私が怪我をさせました。ガルモ伯爵がネズミばかりをかわいがるから、腹が立ったので」
 王子が目を細める。
「君は……とんでもないうそつきだったな。うそをつく癖は直っていないか」
「うそと思われてもかまいません」
 シュリアが、何かを言おうと数歩前へ出たが、アリシアににらまれて、口をパクつかせるだけになってしまった。
「ではアリシアに問う。エディンがネズミを大切にしてどこが悪い」
 アリシアは動じず、堂々と王子に返答した。
「私は伯爵様に思いを寄せていました。ですが、伯爵様はネズミのことばかりで、私を見てくれませんでした。ですから、憎いネズミを殺すつもりで傷を付けました。罰を受けるべきなのは私です。伯爵様には罪はありません」
 エディンはアリシアの言葉が切れると、強く否定した。
「ジーク様、それは違います。アリシア様は関与しておられません。アリシア様、なんてことをおっしゃるんですか」
「違うよ! あたしがやったの」
 シュリアがエディンの横に飛び出して頭を下げた。
「あたしがうっかりしてハサミを――」
「シュリア、黙っていろ」
「だってぇ、伯爵様ぁ」
 シュリアは泣き出してしまった。

 室内は堅い空気に包まれていた。
 真っ青な顔でうつむくエディン。檻の傍にしゃがんだままで成り行きを見守るニレナ妃。思いがけないアリシアのうそに、手を取り合ってうろたえる、フィーサとルイザ。背中を丸めてすすり泣くシュリア。一歩も動かない、ドルフを含む男性の使用人たち。戸口を守る王子の警護兵たちも、落ち着かない様子で、目だけをキョロつかせる。
 王子は、緊張を破るように、長い髪をかきあげると、ふっ、と笑った。
「もういい。アリシア、シュリア、別室で話をしよう。それからドルフにも聞きたいことがあるから、一緒に」

 その後、別室に移ったアリシアたちが、ジーク王子とどんな話をしたのかは、エディンにはわからなかった。

 別室で話を終えた王子は、ネズミ部屋に戻ってくると、ルイザたちと話しながら待っていた妃に、やさしく声をかけた。
「待たせたね。今日はもう帰ろう。ここへ遊びに来たことを父上に知られたら大変だ」
「あら、ニレナちゃんと遊ぶのではなかったのですか?」
「ああ、そのつもりだったのだけれどね、長くはいられない。話をしているうちに、すっかり遅くなってしまった。今日はこれまでだ。かわいいニレナ、また会おう」
 王子は、檻の中のニレナネズミに、チュッ、と投げキスをすると、寒気がするほど美しい笑いを浮かべながら、エディンの肩を軽く叩いた。
「エディン、誰が私のかわいいニレナに怪我をさせたか、誰に責任があるのかは、今後も問題にすることはないから安心しろ。アリシアに感謝するがいい。だが、私はその子が心配だから、しばらくの間、毎日ここへ通うことにする」
「えっ、あっ」
 驚いて、おかしな声を出しているエディンにはかまわず、母と妹が深く頭を下げた。
「ありがとうございます! ジーク様の寛大なるお心、ガルモ家は決して忘れません」
 王子は、うむ、と満足そうにうなづいた。
「明日また来る。よろしく頼むぞ」
 ――ウゲッ!
 処罰なしで安心したのもつかの間。汗が滴る。
「……感謝いたします。明日もお待ちしております」 
 エディンは苦々しく頭を下げた。
「それから、エディン、先ほどアリシアには言っておいたのだが」
 王子は声を小さくして、エディンに耳打ちした。
「三日後だ。賊の始末は三日後に終わる。賊のことが終わったら、アリシアの身柄を引き取るからそのつもりでいろ」
 ジーク王子とニレナ妃は、来た時と同じように、馬車で静かに帰って行った。


 王子たちが帰ると、エディンはすぐにアリシアを部屋に連れて行き、他の者を追い払って二人きりになると問い詰めた。
「ジーク様にいったい何をおっしゃったんですか。あんなうそ丸出しの話で、僕を守ろうとするなんて、なんて無茶なことを」
「特別なことは何も言っていないわ。ネズミは目障りだから、ちょっといじめてやった、という程度の話」
「ジーク様があんなうそを簡単に信じてお許しになるはずがない。僕を許してもらうことに対し、どんな条件を出したのですか」
「条件?」
「何か取引をなさいましたね?」
 アリシアは、エディンに背を向け、寝台へ向かって歩き出した。
「疲れたから出て行って。もう寝るから。ジーク様と何を話したのかなんて、エディンには関係のないことよ。忘れているみたいだけど、私は賊として城に侵入した女。ニレナ王女になりすまそうとしたことや、ジーク様の手を傷つけたことは真実なの。数日以内にここを出て行くことは決まったのだから、それでいいでしょう? もう恋人ごっこは終わり。これ以上、エディンに言うことは何もないわ」
 彼女の声は泣いて震えているわけではなく、きっぱりと、はっきりしていた。取りつく島もない。
「アリシア様……」
 昼間の幸せな時が、バラバラになってちぎれた気がした。
「わかりました。失礼します」
 エディンは唇をかみしめながら、アリシアの部屋を出た。これでは気持ちが収まらない。次に向かうはシュリアのところ。彼女は客の食器の後片付けで台所にいた。

「なあに? あの女のこと?」
 シュリアは、クスクスと笑うと、エディンの腕をギュッとつかんだ。
「もうやめときなよ、あんな女。うそをつく度胸は認めてもいいけどさ」
「ジーク様とどんな話をしたんだ」
「どんなって、べつに、たいした話はしなかったよ。あたしがお城へ帰る時期については話があったけど。あたしは一応、あの女の守りだからね、あの女がこの屋敷を出るなら、お城の仕事に戻らせてもらう。あたしは陛下の私兵であって、あの女があたしの主人ってわけじゃないから」
「アリシア様は城で保護されることに決まったのか」
「それは知らないよ。ジーク様は、はっきりと言わなかったもん」
 シュリアの話でも納得がいかない。次にドルフの部屋へ向かう。

 ドルフは、厳しくもやさしくエディンをなぐさめてくれた。
「ガルモ家の旦那のくせに、そんな顔をするな。アリシア様にほれちまったのか?」
「……かもしれません。彼女は僕の為に、なんらからの自分に不利な条件を提示したのではないのですか?」
「落ち着け。彼女はすでに罪人だろうが。罪がひとつぐらい増えたところで、そう変わらないと思うぜ。彼女はそれをわかっていた上で、自分がネズミをやったと言ったんだろう」
「ジーク様はどうして許してくださったのですか」
「アリシア様の訴えに負けたのさ。ジーク様とて人間。たかがネズミのことで、大切な兵を処分することなど愚かだとわかったんだろうよ」
「そうですか……それならよかったです」
「なんだ、その顔は」
「少しさみしくなりました。アリシア様が、もうすぐここからいなくなるかと思うと」
「それは仕方がないだろうが、どうしても一緒にいたいなら、彼女を連れ出して今すぐここから逃げたらどうだ? そういうことなら、俺が手を貸してもいいぜ」
 ドルフは、いつのように、嫌味のない笑い顔を見せる。彼の黒く丸い目が、まっすぐをエディンを見つめ、エディンは思わず息を止めていた。
 アリシアと逃げる……そんな選択、思いもしなかった。
「逃げるなら三日以内だ。ジーク様は三日後に賊の一味が捕まることをほのめかしていたからな。三日後の賊討伐がうまくいけば、アリシア様は賊から狙われる危険がなくなり、普通に牢獄行きだろうよ。賊が全滅して、裏で手を回す者がいなくなれば、牢獄は安全だ」
「それは……」
「ま、逃げるなら早い方がいい。逃走資金なら、王子が最初にくれた金を全部持っていけば足りるだろう。檻を買ってもずいぶん残っている。ニレナネズミのことを忘れて、どこか遠いところであんな美人と暮らすのも悪くないかもしれないぜ」
「ドルフさん、僕はそんな――」
「いつでも協力してやる。遠慮はいらない。俺は暇だからな」
「……少し考えさせてください」


 エディンは、自室へ戻り、寝台へ身を投げ出した。
 王子が別室でどんな話をしたのか、結局、ドルフにもはぐらかされてしまった。王子の機嫌が直ったことは良かったが。
 ――アリシア様はこのままでは囚人に。別れてしまえば、もう会うこともないだろう。ならば、すべてを捨てて、今から彼女とどこかへ。
 そうできたら。

 しかし、アリシアと逃亡すれば、エディンの為に必死で頭を下げてくれた、母と妹はどうなるだろう。爵位はく奪はもちろんのこと、この屋敷もおそらくは取り上げられる。
「僕は……」
 エディンは暗い寝台の中で、毛布を握りしめた。

 ――彼女と逃げたい。だけど……


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