菜宮雪の空想箱

21.汗だくの大嘘



  飛びあがらんばかりに驚くエディンにはかわまず、王子はどんどん話を作る。
「エディン、おまえも大変な目にあったものだな」 
 エディンは、頬までひきつらせながら、落としてしまった上着を拾った。注がれる医術師の視線が痛いが、王子は動揺の欠片も見せない。
「想像もつかなかった。急に父上のところへ呼びだされたと思ったら、中庭にいたエディンたちと偶然会い、ドルフも交えて四人で話をしていたところに賊が入って来て、戦闘になるなんてね」
 王子は口角を少し上げ、もっともらしく話し続ける。
「賊たちも酷いやつらだ。何もエディンが恋人と会っている現場へ駆けつけて、斬りつけることもないだろうに。ちょうど、私とドルフが通りかかったからよかったが」
 エディンは、大汗をかきつつ、返す言葉に困り、軽く頭を下げた。

 ――いえ、違いますけど……ああ、ジーク様、どんな嘘でも肯定しろってこういうことですか……でも、この嘘はちょっと……

 エディンが王子に困った目を向けると、王子は魅惑の微笑を作って、エディンに返した。さわやかな王子の微笑の中に、強力な圧力が潜んでいる気がする。

 王子の話を聞いていた老いた医術師は、しわの入った眉間をよせてエディンを上から下まで見た。
「なんと! 王子の警護兵が勤務時間中に任務を放り出し、恋人と密会とは。それで殿下までお怪我をしたとおっしゃるのか。なんたる失態! 殿下のお怪我が大事には至らなかったからよかったものの、兵としての責任は免れぬ」
「ぼ、僕は……いえ、私は、その、そのようなことは……」
 湯気が上がりそうに真っ赤になった顔で、ドキマギしているエディンに、王子がすかさず助けに入る。
「ロムゼウ、エディンに無礼な口を利くな。エディンは、かつて父の片腕を務めていたガルモ伯爵の長男で、今は彼が正式なガルモ伯。おまえもガルモ家の名ぐらいは知っているだろう。エディンが兵だからと言って、見下した態度をとってはならない」
 医術師は、失礼しました、とエディンに頭を下げたが、目は愛想笑いのひとつもない。エディンに不快感を抱いていることがまるわかり。
「しかし……殿下をお守りすべき兵が、勤務中に逢引とは……」
 王子は、クスッ、と笑った。
「ロムゼウ、そうカリカリする必要はない。私は無事だったのだから。この女性とエディンのことをとり持ったのは私なのだよ。だから、この寝室へ彼女を運んだとさっき言っただろう。納得できないか?」
「それはいいとしても……」
 医術師は、目尻のしわを動かしながらエディンを見ている。エディンの動揺を全く無視して、王子はしゃあしゃあと続ける。
「エディン、心配はいらない。おまえと彼女の逢引は私が勧めたことだから、私が責任を持っておまえを守る。おまえの『秘密』は守られ今夜のことで処分をうけることは絶対にない」
「ですが、ガルモ伯爵様がなさったことは明らかに兵としては――」
「ロムゼウ、エディンの失態は私の責任だ。彼を責めないでほしい。不審に思うのは当然だが、彼とこの女性が、今夜の賊とはなんの関係もないことは私が証明しよう」
「お言葉ですが、このような例を認めれば、城内の規律が乱れましょう。勤務中の逢引で殿下の安全がないがしろになるとは。ガルモ伯爵様の失態は、陛下にきちんと報告すべきです。爵位があろうがなかろうが、罪を犯したならば裁かれなければなりません。これは大罪です。殿下はお怪我をなさった。一歩間違えば、命までとられていたかもしれませぬ。それに、この女性も同罪です。侍女の分際で夜中にうろつくとは」
 医術師はゆずらない。
「しつこいぞロムゼウ。この女性はね、キュルプ王家から遣わされた者。ニレナ王女の遠縁にあたり、王女の輿入れの為に数日先にここへ来て、これからは王女に仕える予定だった。侍女と言っても、この城の正式な侍女にはまだなっていない。この城の規律を知らなくて当然だし、彼女の罪を問うと、キュルプ王家との関係にひびが入る」
「そうなのですか……ですが、殿下、侍女は罪がないかもしれなくても、ガルモ伯爵様の職務怠慢はどうしようもない事実でございます」
「見逃してやれ。事を荒立てるな。ロムゼウ、おまえを信用している。私はニレナ王女から、この女性のことを頼まれていた。一足先に入国する侍女が、早くこの国に慣れるように、彼女に友人を紹介してほしいと。だから私は年の近いエディンを紹介しただけだ。幸い二人はとても相性がよかったらしく、数日ですっかり恋仲になった。エディン、彼女と出会えて、よかっただろう?」
「……はい……」
 エディンは顔を真っ赤にしながら、かすれた声で話を合わせる。もう、なにがなんだかわからない。この老医術師がひとこと上へ報告すれば、エディンはあっけなく罪人に落ちてしまうだろう。
 エディンは膝ががくがく震えているのを必死でこらえた。医術師は、それでも納得がいかない様子で、しつこく王子に抗議している。
「殿下、では、陛下にはどう説明なさるおつもりですか」
「それはロムゼウが心配しなくても、きちんとやる。私の口から真実を父に話すから問題ない」
 
 エディンを前にした二人の言い合いは、しばらく続いた。エディンは、口をはさむこともできず、うつむいたままでダラダラと汗を流し続ける。王子は、頭の中で組み立てた作り話を、調子よく並べたてる。
「彼女が元気になるまでは私が責任を持って面倒をみる。この部屋が不都合ならば、別の場所も考える。彼女はニレナ王女の命で派遣された人材だから、この城で怪我をしたなどとあちらへ知られたら、王女に顔向けできない。密かに治療すべきだ。それでいいだろう、ロムゼウ? 彼女が、賊の仲間だと疑いをかけられ処刑されるようなことになってはいけない」
 処刑……王子の言葉が、針のように刺さって来る。エディンは、ぶるる、と身震いした。

 ついに黙りこんだ医術師は、渋い顔になっていた。王子は医術師とは対照的に明るい表情で微笑む。
「エディン、そんな顔をしなくてもいい。大丈夫、おまえは私が命じたとおりに、彼女を支える任務を遂行していただけだ」
「殿下は、ガルモ伯爵様には罪がないとおっしゃるのですな?」
「ロムゼウ、頼む。このジーク、これまでおまえに頭を下げて何かを頼んだことがあったか? このとおりだ。エディンと彼女のことをどこにも報告しないでほしい」
 王子は、医術師に向かって深々と頭を下げた。これにはエディンも驚いて、ジーク様、と言いかかったが王子に制された。
 医術師は、小さなあきれ声をもらした。
「殿下、なにをなさいますか。私のような者に頭を下げてはなりません。そこまでおっしゃるならば……仕方がございません。私が折れましょう。殿下に免じて、黙っていることにいたします。ガルモ伯爵様、殿下がおっしゃることは本当なのですな?」
 老医術師の黄色く濁った眼は容赦ない。エディン、肯定しろ、と王子の目が訴えている。 
「はい……恥ずかしながら、すべて真実でございます」
 エディンは、唇を震わせながら、医術師に頭を下げた。肩の傷の痛みが、一気に全身を駆け巡った気分だった。口が渇く。
「ジーク様の仰せの通りです。この女性は……キュルプ王家よりこの城に派遣され、ジーク様から直接、わたくし、エディン・ガルモに紹介していただいた方です。賊とは何の関係もありません。今夜たまたま二人で中庭にいたところにジーク様が通りかかり、その時に一緒に賊に襲われました。職務怠慢だと批判されても、返す言葉もございません。責任は自分にあります。なにとぞ、このことは彼女の名誉の為に内密にお願いいたしたく……」
 汗だくの大嘘。どうしてこうなる、と心が叫び、わめき、そして、泣く。



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