菜宮雪の空想箱

12.人の使い方



「今、ここで歌うのでございますか?」
 赤毛のレジモントがたずねた。
「そうだ。君が歌ってくれるのか? 君が駄目ならバイロンに頼もう。よし、準備をする。服を脱いでくれ」
「脱ぐ……?」 
 レジモントは唇のすみをひくつかせエディンを凝視している。バイロンも檻を抱えたままで、主人の命令の意図を汲み取ろうとして、無言で固まっている。
「脱ぐ、といっても、上半身だけでいい。バイロンは檻をそこへ置いて、すぐに使えるように包装を取ってくれ」
 バイロンは黙って指示に従った。レジモントの方は、おずおずと自分の上着に手をかける。
「レジモントに風邪をひかせてはいけないから、さっさとやってしまおう。えさの用意をするから、ちょっと待っていてくれ。すぐに戻る」
 エディンは、二人の男を居間に残したまま台所へ向かった。

 ほどなく、エディンがチーズの塊を皿に入れて戻って来ると、男たちはおとなしく準備を整えて待っていた。エディンは、自分が席をはずしていた少しの間に、この二人の間でかわされたであろう会話を考えると、笑いそうになったが、真面目に言った。
「レジモントの体にこれを塗りつけろ」
 こんなことを命令している自分も自分だと思いながら、エディンは笑いをこらえて真剣な顔で、そう言った。拳の半分ほどの大きさのチーズの塊を、バイロンに手渡す。バイロンがエディンの言葉を確かめてくる。
「これを……レジモントの体に直接塗るのでございますか?」
「おかしな命令ですまない。僕が君たちに期待しているのは、ネズミを捕まえることだよ」
 エディンは、動かしたままになっている本棚を示し、ネズミの穴を確認させた。
「よく見ろ。ネズミはこの穴の中だ。まずは、レジモントの体にチーズを塗りつけ、彼自身がえさになってもらう」
「わたくしがえさ……でございますか」
「そうだ。そして、その格好で歌ってもらう。『いとしのニレナ』の歌を。歌を知っているだろう?」
 上半身の服を脱いだ姿のレジモントの、ひそめた赤毛の眉が、気狂いのエディン伯爵のたわむれに付き合わされる悲運を嘆いているようだった。
「ご主人さま、その歌は存じておりますが、ニレナとはまた……」
「ちょっとした訳があるんだ。いいから、言うとおりにしてくれ。後で風呂を使っていい。体が気持ち悪い事はわかっている。でも、どうしてもネズミを捕まえないといけないんだ。バイロンはそこに落ちている箱を手に持ち、ネズミを見つけたら即座にそこへ放り込め。うまく捕獲出来たら、ネズミは買ってきてもらった檻へ入れる」
 エディンは、ためらうバイロンを促した。
「早くチーズ塗りをやってくれ。レジモントが風邪をひいてしまう」
 バイロンはしぶしぶレジモントの背に回り、固形チーズをこすりつけ始めた。レジモントは冷たさに顔をしかめながらも穏やかに言った。
「ご主人さま、ネズミ退治ならば、他に方法がございましょう」
「このやり方が一番いいと思うから、やっているのさ」
 エディンは、二人のしかめ面に気が付いたが、知らないふりをした。


「よし、塗り終わったな。歌ってみてくれ。ネズミが出てきたら、バイロン、捕獲を頼むぞ。言っておくが、絶対に殺すな。殺せば、僕の首だけでなく、君たちの首も、胴体とつながっていられなくなるかもしれない」
 話が全く見えない二人は、また顔を見合わせた。
「いいから、早く歌え」
 あきらめたレジモントの低い歌声が、居間に流れた。

「いとしの姫ニレナ この花束を大好きな君にぃ〜」

 エディンは壁に張り付くように耳を澄まし、ネズミが動く気配を探る。捕獲役のバイロンも目を光らせ、中腰になり、ネズミが出てくるのに備えた。
「……」
 歌が終わる。それぞれに緊張した姿勢のまま無言の時が過ぎる。
「……」
 何も変化はない。二人の使用人は、うんざりと視線を交わし合う。

「それなら今度は風呂場だ。こっちへ付いて来い」
 バイロンもレジモントも、おかしな主人の命令に失望を隠せない様子だが仕方なくエディンに従う。
 風呂場でも、歌が終わった後、一同からため息がもれた。


 その後、半裸のレジモントと箱を身構えるバイロンは、屋敷内のあちこちの部屋へ連れて行かれたが、ネズミの気配はなく、姿すら発見できなかった。
「ご主人さま、恐れながら、ネズミを捕らえるだけならば、なにもわたくしがこのような格好をせずとも――」
 十部屋目になった時、レジモントがおそるおそる口を利いた。
「粘着紙を通り道に置き、くっつけて捕まえる仕様になったものも市場で手に入ります。今すぐに買ってまいりましょうか」
「普通のネズミならそうする。だけど、殺したり汚したりしてはいけないんだ。しかも、捕まえたいネズミは、人肌を好んで噛みつくくせがある。だから、えさを体に塗り込んでおびき出す、というわけだ」
「噛みつき癖ですか。歌も必要なのですか?」
「ネズミは……歌うと機嫌よく出てきて、噛みつくんだよ」
 エディンは、「名前はニレナだ」と付け足した。
「ニレナ……」
 男たちは同時にその名をつぶやき、また顔を見合わせている。
「知っての通り、『ニレナ』とはジーク王子の奥方になられる王女様の名前だ。それがどうした」
「いえ、貴い方とネズミが同じ名とは奇遇でございます」
 エディンは声を出して笑いそうになるのをこらえた。瞬きを繰り返している二人の、いぶかしげな表情は、まるであの日の自分と同じ。ジーク王子の悪癖を知る直前の、ドルフのにやついたくちびるから語られた『ジーク様のアレ』の話を聞いた時の自分と何の違いもない。
「そうか……やっぱり何もかも話さないといけないか。そんな変な顔をされると悲しい。僕は気が狂っているわけではない」
 二人とも、どう返事をしていいかわからない顔で視線を泳がせながら黙っている。

 エディンは腹をくくった。王子の秘密を全部ばらすことはいけないと思っていたが、彼らがここで雇われる以上、内緒にしておくことは無理かもしれない。

「……わかったよ。全部話そう。今から捕まえようとしているネズミのニレナとは、ジーク様から預かった大切なネズミだ」
 エディンは詳しく説明を始めた。


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