1.
※出てくる名前などは実在の人物や団体等と一切関係ありません。
「今日は暑いなあ。この部屋、むっとするぞ。入部希望者って誰か来たか? まあ、こんな暑苦しい部屋じゃあ誰も入ってくれないだろうけど」
開いたままの扉から入ってくるなり、幹雄は伸びたふぞろいな前髪をかき上げ、暑いを連発した。
大学構内のサークル棟一階にある十畳ほどの部室は、窓はあるものの風が通らない。クーラーのない部屋の真ん中にある長机には、三年生の綾と日南子、二年生の巧が腰かけていた。ここにいるメンバーが文芸部の全部員。
「今更新入生なんて来るわけないでしょ。もう五月半ばなんだし」
部長で、幹雄と同じ三年生の綾は、ポニーテールを揺らして首を横に振った。
「あーあ、今年も新入部員ゼロだよね。来もしない新入部員を待つのはもうやめようよ。次の春の勧誘にかけるしかないね。それよりも『文笑』用の原稿できた?」
「おう、あの雑誌の公募なら、一日で完成した。家で印刷してきたから見てくれないか。もしも入賞して三十万入ったら、みんなにおごってやる」
「入賞できる? この中の誰かひとりでもどこかの公募で入賞できれば、文芸部としてはいい宣伝になるんだけどね。『文笑』は刊行されたばかりの雑誌だからねらい目だけど、私、いい案が浮かばない。締め切りまであと十日もないのに」
男女二名ずつ、たった四名のこの部は、来年も部員が入ってこなければ、人数が少なすぎて部として認められず、この部室を維持できなくなる。そんな状況の中で目を付けた小説公募が雑誌『文笑』の小説大賞だった。ジャンルも字数も不問で書き手にはとても都合がいい。
幹雄はカバンの中を探り、持ってきた原稿を取り出した。
「ジャーン! これだ。題名は『トマトの情熱』」
コピー用紙に縦書き印刷された原稿を見るなり、綾は眉を寄せた。
「一枚だけ? 何文字なの」
「もう少し加筆して千字以上にするつもりだけど、今これで八百弱」
「いくらなんでも短すぎない?」
「長さって関係ないんだろう? この字数で大賞もらって三十万ゲットできたらラッキーじゃないか」
「それはそうだけど、こんな少ない字数で簡単に大賞が獲れるものかな」
「みんなで読んでみてくれ。おかしいところは直すから。何を書いてもぱっとしない俺の作品としては、まあまあだと思うんだけどなあ。題名は『トマトの赤は情熱の赤』に改題してもいいんだけどさ」
「なんでトマト?」
「夕食の赤いトマトをみているうちに案が浮かんだ。赤は血の色でもあるけど、情熱のシンボルのような色じゃないか。公募のテーマ【情熱】にぴったりだ」
部員たちは幹雄が出した原稿を覗き込んだ。
◇
『トマトの情熱』
とうとうこの日がやって来た。
この体が赤くなるにつれ、その日が近づいてきたことはわかっていた。先に逝った兄弟たちがうわさしていたのだ。赤くなった者から順に、無理やりちぎられて離され、その後は、なにやら恐ろしい目に遭い、この世での生を終えるという。子孫を残せると判断された者は、しわができるぐらいまではここに残れるらしいが、そんなやつはごくまれだと聞いていた。
その情報が嘘か真実なのかは誰にもわからない。しかし、俺のこの体が包まれるようにやさしく持たれ、ヘタの先から切られた瞬間、俺は覚悟を決めた。いよいよここから旅立つ日が来たのだ。
複数の仲間と同じカゴに放り込まれた俺は、青空が見えない暗い場所へ連れて行かれた。
そのまましばらく放っておかれ、忘れられたのか、と思っていたら。
いきなりつかまれて水を浴びせられた。俺の最後の砦であったヘタが取り除かれる。
くっ、いよいよこれで終わりか。それならば、俺らしく逝ってやるのだ。根性だ。じたばたせず、美しく。
ぐほっ。もうだめだ。体に――。
「トマトを焼いてね」
そんな声と共に、俺が刺さったフォークはそのまま火の上に。青が混じったような赤い炎が近づく。
やめてくれ、熱いだろうが。いや、叫んでも無駄だ。
これはあれだな。火あぶりってやつか。でも俺は負けないぞ。かっこよく焼きトマトになって見せるのだ。根性だ、根性。歯を食いしばる。
最期ぐらいがまんをみせる。
長くがまんする必要はなかった。俺はすぐに火から救われ、白い皿の上におろされ、めくれ上がった皮をつるりんとむかれた。
こうして、俺は立派な焼きトマトとなり、きれいに皮をむかれ、おいしく食されたのである。
「おいしいね」
――俺は、幸せ……だったかもしれない。
◇
読み終えた綾は、しばらく原稿を見つめていたが、静かに原稿を机の上に置いた。
「どうだよ?」
「うーん……」
あいまいな声で返ってくる。他の二人も、同じような反応。
「夢を壊すようで悪いけど、ネタとして質量不足かな。四コマ漫画で描けるような内容しか入ってないし」
「駄目か? 題名も目を惹くと思うし、回りくどい描写を極力少なくしたつもりだ。ちゃんとできてるだろ?」
「そうかもしれないけどねえ、はっきり言って、この作品、萌えがないよ。ちょっと暗いし」
「へっ、そうか……」
「トマトがガスの火であぶられて皮をむかれて、食べられたってだけの話でしょ? どこがおもしろいのかわかんないよ。それに、私の家ではこんなふうにトマトの皮むきはしないね。トマトってそのまま切ってマヨネーズかけて食べるだけだから。なんで燃やしているのかわからない人もいると思う。この作品で自分がいいと思うとことはどこ?」
「トマトの潔さがいいんだって。かっこよさも込めたつもり」
「ごめん、この文章ではそんなにかっこいいって思わなかった。やっぱり萌えがほしいね。こんな話じゃあ色気もなんもないから共感しようがないよ。短すぎて、夜も眠れなくなるような感動がない。いくらジャンル不問で字数が自由だからって、これで無数の長編と戦うなんて無謀だね」
もう一人の男子部員で唯一の二年生の巧も、ずり落ちてきた眼鏡を直しながら、言いにくそうに感想を述べた。
「僕も綾先輩と同意見です。発想はおもしろいけど、厳しく見るならば、短すぎて食いつきどころがないと思います。もっと加筆し、周りにいろいろと人物などを入れて長くしたらいかがでしょうか」
「トマトに彼女でも作れってか」
部室内にドッと笑いが起こる。
「僕が先輩の作品についてあれこれ言うのも恐縮なんですけど、奇抜さで勝負するなら、それぐらいやってみてもいいかもしれません。たとえば、手足がついたトマトが食べられる前の最期の夜に、大好きな相手にあんなことやこんなことをするとか。そんな設定なら僕は萌えますよ」
高校時代に読書感想文の入賞経験がある巧の言うことには説得力があったが、幹雄は笑い飛ばした。
「どんな小説だよ。トマトがなにするってんだよ、変態! それこそ、共感度ゼロじゃないか」
くすくすと笑っていた綾が、そうねえ、ともう一度原稿を手に取った。
「この原稿、ちょっと手を入れさせてくれないかな? いじってみたくなった」
綾は意味ありげに目を細める。
「ちぇ、せっかく名作ができたと思ったのに、これでは落選確実か。じゃあ、綾ちゃんの好きにしてみろ。改稿して入賞したら賞金山分けってことで。まあ、ネタそのものが公募用としてはどうかってことなら、どんなに改稿しても無駄だろうけどさ。でも……無理ってわかってても、三十万、ほしいよなあ」
全員うんうんと同意。捕らぬ狸の皮算用で、もらってもいない賞金でゲームやパソコンを買う妄想を延々と続けるのだった。
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