9.桃が流れてきたから(桃太郎)
あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは九十歳、おばあさんは八十五歳。要するに、二人ともかなりの高齢者。おじいさんもおばあさんも杖をついて腰を曲げて歩いています。
二人は仲よく川べりを散歩していました。川幅は十メートルほどで、浅く小さな川ですが、澄んだ川の水はよどみなく流れています。二人はこのあたりを散歩することが日課でした。
その日も、二人は川に沿ってゆっくり歩いていました。川の様子はいつもと変わらず、水は涼しそうに流れていきます。
突然、おばあさんが「あれまあ」と声を上げました。
上流から大きな桃が、岩にぶつかりながら流れてくるではありませんか。桃の大きさは直径四十センチほどで、浮いたり沈んだりしつつ、ゆっくりと流されています。
「おじいさん、桃ですよ。大きな桃が」
「おお、あれは桃太郎の桃に決まっておる。あの桃はわしらの子になってくれるに違いない。神様のお告げみたいなもんだから、さっさと拾うのじゃ」」
子どもがない二人は、大急ぎで少し下流へ戻り、服がぬれるのも構わず川に入り、死にもの狂いで流れる桃を目指しました。腰の深さぐらいのところまで入水したとき、ちょうど桃がおじいさんの正面に流れてきました。
「おじいさん、そんなに慌てるところびますよ。あれえ、杖が流されて」
「わしの杖なんかどうでもいい。ほれ、桃を捕まえたぞ。わしらの子じゃ」
「ああ、よかった。これでうちにも跡継ぎができますね」
おじいさんは、水に浮いている桃を大切に抱きかかえ、岸に上がろうとしましたが。
「ん?」
「おじいさん、どうしたんです?」
「重い。重いのじゃ」
「水に浮いているのに、そんな重いわけがないですよ」
「いや、本当に重いぞ。水から上げようとすると、石のように重い。これは桃太郎が入っているのではないのかもしれん」
「ええっ? どこからどう見ても、これは桃太郎に決まっていますよ」
「重すぎて運べん。これはひょっとすると、桃太郎じゃなくて、いたずらかもしれん。この表面の皮も、なんとなく作りもの臭いぞ。布地をかぶせたような手触りじゃ。やめておく方がよい」
「でも、おじいさん、せっかくの桃ですよ。作りものなら、誰が何のためにこんなものを作って流すんですか。中を開けてみましょうよ。絶対に桃太郎が入っているに決まっています。私も手伝うから」
おばあさんは、自分一人で桃を抱き上げようとしました。
――ゴキっとにぶい音が。
「ぎゃぁぁあ!」
「どうした」
「腰が、腰がぁ」
おばあさんは腰に激痛が走り、川の中でひっくり返ってしまいました。おじいさんがあわてておばあさんを助けます。桃は、その間に、下流へ流れて行ってしまいました。
「ああ、桃が。うちの子が行ってしまう」
「それよりも、おまえ、またぎっくり腰か」
「ひいい、痛い、痛い。せっかくの子どもを逃しちまって、しかも、また腰が」
「あきらめるのじゃ。きっと、あれはうちの子ではなかったのじゃよ」
おじいさんは、ひいひい泣くおばあさんを助けながら、家へ帰りました。
それから数か月後。
とある大学の研究室が、あの老夫婦に訴えられたことが話題になりました。
あれは、桃の形をしていましたが、桃太郎ではなく、某大学が流した水流研究実験機械だったのです。
おばあさんは今も腰が治らず、寝たきりになってしまったのだとか。
夫婦が住む家では、今日もこんな会話が。
「元はといえば、おじいさんがあれは桃太郎だなんて、ありえないことを言うから、こんなことになったんじゃありませんか」
「わしは知らんぞ。重いからやめようとわしが言ったのに、おまえがどうしても拾うと言いはったからだ」
「いばってないで、さっさとごはんを作ってください。私は腰が痛くて動けないんだから。そうだ、桃が食べたいです。おじいさん、桃を買ってきてくださいな」
「ふん、桃なんぞ、見たくもないわい」
「だからこそ、桃にうらみを込めて、歯を突き立てて、すっきりしたいんですよ。種まで噛み砕いてやりたい」
「おまえ……」
おじいさんは、あわれみの入った目でおばあさんを見つめました。
「総入れ歯のくせに、できもしないことを言うな」
「……そうでしたね……」
(おしまい)
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