菜宮雪の空想箱

9.

 友達になることを強要された日から、夜遅い雨の日になると、アリマセは待っていたように友香の前に飛び出してきて、ひと時の会話を楽しむようになった。カメのように甲羅に手足を隠して桜の陰に待機し、他の人間の姿を遠くに認めると、さっと水に隠れてしまうが。

「こんばんは、友香さん」
 仕方なく教えた名前。河童に名前を呼ばれることには慣れたが、突拍子もない会話には時々戸惑う。
「僕は、今日はですね、カエルを十匹も食べたんですよ。この池のカエルはとっても粋がいい」
「へー、そんなにたくさん? それじゃあカエルがいなくなってしまうんじゃない?」
「嘘ですよーん」
 アリマセは、してやったりという笑い顔をみせる。
「こらっ、また嘘ついたわね」
「僕らは池底に沈んだ落ち葉を食べて生きています。生きたカエルなんか食べるわけがないでしょう。気持ち悪い」
 ――いや、あんたの存在そのものもかなり気持ち悪いけど。
 そう言いたくなるがそこはぐっとこらえる。この河童、怒らすとなにを言い出すかわからない。
「あんたねえ、いつか、仲間があたしを殺すかもって脅迫したじゃない。肉食じゃないの?」
「それも嘘ですよーん。僕らはおとなしい生き物です。そんなひどいことしませんよ」
「変なの。次々嘘を作るなんて」
「嘘は河童の常識です」
 彼との会話はあいかわらず一方通行で、どこまでが嘘なのか本当なのかさっぱりわからない。真実であろうがなかろうが、彼にとっては関係ないようだった。人間の常識で測れない世界。彼は嘘を楽しむ世界に住んでいるのだ。


 それなら、こちらも嘘をついてやろうか。
「ねえ、アリマセ君、この池、もうじき埋め立てられるんだよ」
 もちろん嘘。
「ひょぇぇぇ! そんなああ! 僕らは死んでしまう」
 アリマセはひどく驚き、皿の付いた頭を大きく左右に振る。あまりの驚きように、友香はすぐに否定した。
「嘘だよーん。これ、あんたのまね」
 河童の動きはぴたりと止まった。
「うぅぅ……変な嘘はつかないでください。その通りになってしまったら怖いじゃないですか」
「あははっ、あんただって、あたしに嘘をいっぱいついたじゃない」
「そうですが、そんな現実っぽい嘘、だめですよ」
「あんたの口からそれを聞けるとはね。嘘つきのくせに」
「はい、僕は嘘つき河童です」
「河童の王子様ですものね」
「それも嘘でした。そろそろ退散します」
「もう帰るの? おやすみ、嘘つき王子様」
 アリマセは都合が悪くなるとすぐに撤退だ。でもそんなところがかわいかったりする。まるで子供だ。小さな子供の友達ができた気になる。
 彼が退散すると、友香はすぐに池を離れる。誰かに見られては困る。一応、ひとりで電話していると見せかけるために、いつも携帯電話を耳に当てながらアリマセと話すように工作。
「疲れる付き合いだね」
 そこまでして河童の相手をしている自分に苦笑い。


 開き直ってアリマセとたまに会話するようになって、約半年が経過。
 雪交じりの雨が降る寒い日、アリマセは突然告げた。
「僕らは引っ越しします」
「あんたの嘘、慣れちゃったから、あたしは何も驚かないよ」
「本当ですよ。この池、最近、水質が悪くって苦しいんです」
「現実になると怖いような嘘はついちゃいけないって、あんた、自分で言ったじゃない」
「だから、嘘じゃないんです。こんな毒水では僕らはそのうち全滅してしまいます。どこかへ引っ越さないとダメなんです」
 アリマセは真剣だったが、嘘の可能性もあり、友香は心で身構えながら会話を続ける。
「今までそんなことはなかったんでしょう? どうして急に」
 友香はそこまで言いかけて、はっ、と思い出した。
 つい最近、この公園で数羽の野鳥の死体が発見され、鳥インフルエンザの疑いがあるということで、付近の土手一帯が自治体の手で消毒された。どんな薬をまいたか、友香の知るところではないが、池に住む生き物たちにとっては、それはよくないことだったと容易にわかる。

「友香さん、今までありがとうございました」
 いつになくしんみりとしているアリマセ。
「マジ? でも、引っ越すってどうやって、どこへ行くのよ。まさか、あたしにどこかの池まで運べって命令するつもり?」
「ギクッ、ばれてましたか」
 アリマセはペロリと舌を出した。あきれた笑いが友香の口から漏れる。
「あんたねえ……どこへ連れて行ってもらうつもりなのよ。この辺りは池っていくつかあるけど、深さとかわからないし、それにね、あたしは車持ってないから無理」
「そう言わずに、お願いしますよ。おうちにお車あるじゃないですか。あれ、借りてきてください」
「出た、あんたの無理なお願い。車は親のだからあたしは勝手に乗れないの」
「そこをなんとかお願いします。このままでは僕らは全滅です。お願いです、友香さん。友達のよしみで、僕を助けてください。車で僕らを新天地へ運んでくださいよ」
「うーん……」

 河童は未確認生物ゆえ、一族の引っ越しは極秘に行われなければならない。カルガモ親子の行列みたいに、ぞろぞろと列をなして道路を歩いて行くわけにはいかないのだ。
「あたし、気持ちとしてはなんとかしてあげたいけどねえ、親に車を借りたとしても、ちょっと難しいなあ。もう少し水がきれいになるまでがまんしたらどう? 飲めないほどひどい? 魚も浮いてないから最悪の汚染レベルではないと思うんだけど」
「行く先はおまかせします。明日の夜、迎えに来てください」
「ちょっと、あんた、人の話聞いてる? 明日って、急すぎ」
「一日も早く引っ越ししないと、このままではみんな死んでしまうんで」
「そっか……それはわかったけど、明日はたぶん雨降らないよ」
「明日ですよ、雨が降っていなくてもいいですから、何時でもかまいませんから、絶対にここに来てくださいね」
「う、うん、わかった。どこかいい池を探しとく」
 この河童め。考える暇を与えず、自分の都合のいいように話を進めるのがうますぎる。そこまで切羽つまっているのか。

 河童のペースにすっかりはめられてしまった友香だった。



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