15
アリマセと別れて二カ月が過ぎた。
梅雨は明け、連日、猛暑が続く。
日本全国でまとまった雨がしばらく降っておらず、湖底が見え始めたあわれなダムの姿がテレビに映し出されている。友香はそのニュースを黙って見ていた。
アリマセたちを移住させたダム湖は、テレビ報道には出ていないが、例外なく水が少ない状態であることは予想できる。
移住した河童たちはどうしているだろう。ダムの水が減ったことで、悪い人間に見つかって大騒ぎにならなければいいが。
週末になっても雨はいっこうに降らない。仕事休みの土曜日、友香はたまらず親の車を借りて、あのダム湖へ向かっていた。エアコンをフル稼働させても車内は暑く感じる真夏の晴天。
――あたし、おかしいかも。
自分でもどうかしていると思う。それでも気になるから家にじっとしていられず、こうして車を走らせる。
――河童たちのことを考えるのは今日で最後にしよう。
それは自分との約束だ。あんなふうに彼を投げ捨てて交流を切ったのだから。
車を走らせている今日は、晴天の昼間のため、ひっそりと暮らす彼らと会える可能性は低いが、あんなところへ移住させてしまった手前、彼らがあの場所で無事に暮らしているかを確認したかった。
彼らがダム湖で生活しにくいなら、公園池へ連れ戻してもあげてもいい。公園一帯は古くから、枯れない池が中心にある湿地帯だった。連日の酷暑で通常よりは多少水量は少ないもの、ダム湖のように底が見えるほど渇水しているわけではない。公園池の方が住みやすかったかもしれない。
ダム湖に到着。用意してきた移住用ビニール袋を愛用のかごバックに突っ込んで車を降りた。
アスファルトの照り返しの熱気に目がくらみそうになる。
昼間でもここには人がいなかった。観光地ではなく、土曜日ということもあり、ダムの管理棟の中すら人の気配がなく、駐車場にも、他の車は見当たらない。それなら好都合。
まぶしい陽射しに目を細めながらコンクリートの堰堤の上へ歩いて行き、水に向かって大声で叫んだ。
「アリマセくーん! 友香が来たよ」
防犯カメラに自分の姿が怪しく映っているかもしれないが、気にしない。
「アリマセ君、いないの?」
渇水で低くなっている水面に目を凝らしても、河童が浮いてくるような水の波は認められない。水面あちこち底の泥が出て、川のように水が少ないダム。
真夏の堰堤の上でアリマセを何度も呼んだ。小さなダムとはいえ、端まで声が届くほど狭くはない。時々場所を移動し、かごバックを足元に置き、両手を口にそえてスピーカーがわりにして叫ぶ。
「聞こえていないかな」
何度呼んでも、水面に大きな変化はない。アメンボが、少ない水の上をすべるように移動しているだけ。トンボもいるが、河童はいない。
暑さでTシャツが背中に張り付く。はだしの足がサンダル模様にじりじり日焼けしているのがわかる。これ以上ここにいれば熱中症になりそうだ。すでに十五分ぐらい経過しただろうか。
「やっぱり出てこないよね」
あきらめて車へ戻る。炎天下の昼間に出てくるはずもなかったが、親の車を借りる時間の都合もあり、これはどうしようもない。見たところ、河童らしき生き物の死体は浮いていない。彼らは大丈夫だと思うことにする。
念のため、乗り込む前に車の周辺もチェック。もしかして、小さなアリマセが、車を見つけて駆けつけてくれているかも。
「そんなわけないか……」
雨でもない昼間。灼熱のコンクリ。渇水して下の方にある水面。たとえ声が届いていたとしても、このお天気で、水中の生物が呼びかけに答えて出てくるとは思えない。この計画自体、最初から問題があった。
――あたし、こんな暑いところでなにやってるんだろう。
ポケットに入れてきたアリマセの指輪を取り出すと、力任せにダムの中へ投げた。
「バイバイ、アリマセ君」
これで河童とのご縁は完全に切れた。
暑い車内へひとり乗り込む。ミラーで確認しても、河童らしき姿は見当たらない。
アリマセが車を追いかけてくれるかもしれないなんて、ただの妄想。
ひどくくたびれた気分で自宅へ向かった。
一応、移住先の様子を見に行き、移住を手伝った者の責任は果たした。これ以上できることもない。彼らは、自力で、ダムの水源になっている上流の方へ移住したかもしれない。世話を焼いてやる必要などなかった可能性だってある。
「なんであたしがここまで悩まないといけないのよ」
アリマセとかかわってから、何度その言葉を口にしたことか。
それも今日で終わりだった。
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