11.
発車させようと前方を見て、はっと気が付いた。
いつの間に。
フロントガラスの上、いる、いる、十匹ぐらい。
一瞬、ゴキブリかと思ってしまったが、よく見るとゴキではなく毛むくじゃらで二センチほどの甲羅付き。
小さな河童が何匹も、しがみつくように四つんばい状態になってガラスにくっついていた。
ほっとするような、しかし、少々気持ち悪さも感じつつ、車を降りて子河童たちに声をかけた。
「待っててくれたの? よくこの車がわかったね。アリマセ君はどうしたの?」
小さな河童たちは人間の言葉が通じないのか、ざわざわと顔を見合わせてささやき合っているが、何を言っているのかわからない。友香は車の後ろを開け、用意してきたビニール袋を取り出した。大急ぎで池の水を少しだけ入れて、走って戻り、まだフロントガラスにはりついている小さな河童たちをうながした。
「ここへ入って」
ところが、河童たちは友香が手を伸ばすと怖がって、ヒィ、と身を引く。
「早く。人に見られるよ」
友香の焦りは伝わらない。
こんな時、アリマセがいてくれたら。彼が一言この子たちに伝えてくれれば、事は簡単に運ぶのに。彼はどうして来ないのだろう。友香の車がここにあることはみんなに伝えることができたようだが、本人がいない。
「アリマセ君はまだ?」
子河童たちにもう一度訊ねたが、みな、口をパクつかせているだけでよくわからない。
アリマセのことは気にかかるが、ここは自宅に近すぎる。近所の人にも、家族にも見られては困る。嘘までついて車を持ち出したことがばれてしまうと説明が面倒だ。早く作業を終わらせたい。
「ちょっとごめん」
友香は小さな河童たちを次々と強引につかみ取ると、水入りビニールの中に強引に放り込んだ。この大きさの河童しかいないことは少々ひっかかったが、この場に長くはいられない。せっかく集まってくれたなら、ここにいる子たちだけでも避難させてやろう。
さっと積み込みを終え、急ぎ車を出した。
アリマセはとうとう来なかった。
「なによ、あんたが頼んだくせに」
車のラジオの音量を上げ、地図を頭に描きながら、県境のダム湖を目指す。川沿いにくねった道。舗装はしてあるものの、街灯もなく、対向車は少ない。夜に女一人で何やっているんだろうと思う。現場付近に暴走族の集団や怪しい車がいたら、と考えると正直言って怖くてたまらない。車から降りることはできないかもしれない。その場合は場所変更するしかないだろう。
「そこまで考えてきたのにね……アリマセのバカ。つか、あたしもバカか。なんで河童にここまでしてやらなきゃいけないのよ。嘘ついて親の車借りて、河童の子をいっぱい積んで、こんなところを走ってさ。ここまで来るの、勇気が必要だったんだよ。夜のダムなんて、あたし、本当は怖くてたまらないんだよ。バカ、バカ、バカ。なんでアリマセがいないの。なんでこんなことであたしが泣かなきゃいけないわけ? アリマセなんて……」
友香は涙目で鼻をすすりながらハンドルを握りしめていた。
予定通り、ダム湖へ着いた。ダムを管理する小さな二階建ての建物の横に、防犯灯が一つあるだけで、付近は真っ暗な山に囲まれている。怖くないわけがないが、河童たちをここに放せば任務は終了だ。
建物のすぐ横にある駐車場に車を止めた。窓から付近を確認する。誰もいない。
よし、今だ。
友香は、急ぎ、車から降りると、子河童たちが入っているビニール袋を車から引きずり出した。
あわてて河童たちを詰め込んだビニール袋の中、子河童たちは中で押し合いへし合い状態になっていた。
「狭くてごめんね。今、出してあげるからね。ほらっ」
友香はダム湖の淵のコンクリートの上で袋の口を開けた。
水と一緒に、河童たちが待ち構えていたように流れ出てくる。河童たちは、ダムのコンクリの柵の隅につけられている管理者用の細い階段を、四つん這いになって我先に登り始めた。水がどこにあるのかわかるらしい。砂浜で生まれたウミガメの赤ちゃんが海へ帰っていく光景に似ていた。
「みんな、元気でね」
子河童たちはダムの水の中へ滑り込むように入っていった。
静かなダム湖でひとりきりになった友香は、車に乗り込んで時計を見た。時刻はまだ八時半すぎ。仕事の都合で終バスに間に合わないと嘘を言って両親の車を借りた手前、今帰るのは早すぎる。ため息をつき、ビニール袋を片付けて車を発車させる。
「これでよかったんだよね?」
子河童たちを助けてやって、いいことをしたつもりなのに、気持ちがすっきりしない。
アリマセはいったいどうしたのだろう。あんな小さな子たちだけよこすとは。公園池には彼よりも体が大きい河童もいたはず。他の河童は?
もしかして、あれは全部アリマセの子? 彼は自分の子を守ろうとして移住を計画したのかも。
「そうだとしても」
――もう、あたしには関係ない。
これで、あの嘘つき河童との友情ごっこは終わったのだ。彼が来なかった以上、河童と自分をつなげるものは何もない。
夜道を運転しながら不満を吐きまくる。
「なにが友達だよ。自分で散々お願いしておいてさ、すっぽかして。そういうことをやるやつは友達でもなんでもないんだよ。ま、死んじゃったんなら仕方がないけど。ううん、違うね、あのずうずうしい河童が、池の水が少々汚れたぐらいで死ぬわけがない。あいつはとんでもない嘘つきだから、突然現れて全部嘘でしたよーんって言うに決まってる」
公園池の魚や虫は死んでいない。河童にとっては耐えがたい環境かもしれないが、それほど水は汚れていないはず。
「あいつはどこかで生きている」
友香はそう思うことで気持ちを静め、道の途中にあるファミレスで夕食を取って時間をつぶし、ゆっくり家に帰った。
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