42.それはないだろう
その日、王子の結婚祝いに朝から城へ向かったルイザたちは、結局謁見できなかったと、夜になってから戻ってきた。
「さんざん待たせておいて、三日後にまた来いなんて酷いわ」
ルイザはまだ怒りが収まらない様子だ。
「謁見を締め切られるほどすごい人数が来ていたのか?」
エディンがたずねると、母親は「そうなのよ」と穏やかに言ったが、静かな中にくやしさがにじみ出ていた。
「お父様さえ生きていてくだされば、このガルモ家がこんな扱いをされることはなかったかもしれない。でも、今それを言っても仕方がないわね。ルイザ、さっさと着替えるのよ」
「こんなことなら朝から行くんじゃなかった。今日謁見する貴族は、最初から決まっていたようなものだもの。くやしいわ。どんどん後回しにされていつまでたっても呼ばれなかった。うちは馬鹿にされたのよ。うちよりも後に来た人だって謁見できた人はいたのに」
エディンはやさしく母と妹をなだめた。
「そうだったか。母さん、ルイザ、機嫌を直して。僕の代わりに行ってくれてありがとう。三日後に、また謁見日があるのなら、もう一度城へ行けばいい。もし、その時も謁見できなかったとしても、うちはジーク様から大切な任務をもらっているから王室の信用がなくなることはないよ。アリシア様のお世話をし、ニレナネズミを飼っていれば、きっといつかいいこともある」
「お兄様はいつものんきなんだから。ガルモ家が侮辱されたのに、よく平気でいられるわね」
ルイザはぶつぶつ怒りながら、母親の方はかなり疲れた様子で、それぞれの部屋へ引き揚げた。
三日後に、母と妹が留守に。そうなれば、またアリシアと二人きりの時間が持てるかもしれない。甘いひとときの余韻はまだ残っている。
エディンはそんな期待がいっぱいで、謁見を後まわしにされた屈辱など頭になかった。
その夜、そろそろ就寝準備をしようとしていたエディンは、客人の訪れを告げるバイロンの声に、眉を寄せた。
四十歳になっているかどうかぐらいのこの黒髪の男、取り乱したことなど一度もなかったが、今夜はかなり早口になっている。
「門の外で待たせてあります。追い払おうとしたのですが、まだ居座っているようでございます。どうしても伯爵様にお会いしたいと引きません」
「なんだって」
相手が名乗ったという名前に、いよいよ不審さが増す。
――まさか。
絶対にそれはないだろうと思う名だった。
「本当にそう名乗ったのか」
「はい。おそらく偽名でございましょう。門を開けず、放っておきますか?」
そうしたいところだが、門のところに一晩中居座られて騒がれては困る。
「私が門を開けずに話をして、帰ってもらうようにしよう。一緒に来てくれ。相手が襲いかかってくるかもしれないから気をつけろ」
こんな夜にこの屋敷に人が訪れるとは、どう考えてもおかしい。アリシアを狙った賊の一味の可能性は高い。屋敷内にいる男はたった四人。アリシアを守りきれるだろうか。
エディンはまずアリシアの部屋へより、シュリアと一緒に地下室へ隠れておくように言うと、ドルフとレジモントも呼び、アリシアの守りを頼んだ。そして、剣を握りしめ、バイロンと共に大急ぎで屋敷の正門へ向かった。
正門は街灯の明りに照らされているものの、暗く、物陰にたくさんの人間が潜んでいてもわからない。エディンとバイロンは、静かに門に近寄り、門の向こうの気配を確かめた。
馬の鼻息が。話し声は――何も聞こえない。これでは向こうに何人いるのかはわからない。勇気をふりしぼり、声をかけた。
「お待たせしました、エディン・ガルモです。申し訳ありませんが、行商の方はお断わりしております」
「行商ではない。早く開門をお願いしたい」
門を隔てた声は、あせりを感じさせる言い方だったが、だからと言って開門できるわけはない。
「どれだけ待っていただいても、大声を出しても、無駄です。時間をお考えください。用心が悪いので門を開くことはできません。何か緊急の御用ならば、このままここで伺います」
エディンは、相手を怒らせないように、できるだけ穏やかに言った。うっかり門を開けて、賊の仲間が待ち構えていたら、アリシアを危険にさらすことになってしまう。
門の向こうでは、エディンの声を受けて、ひそひそと話し声がしている。何を言っているか聞き取れないが、やがて別の声がした。
「エディン、私だ。いつまで待たせておくつもりだ。きちんと名乗ったのだ。いいかげんに門を開けろ」
「あっ!」
その声は。よくとおる低い声。思い浮かぶのは……だが絶対にその人物ではないと思う。
「エディン、私がわからないのか。私のニレナに会いに来た」
エディンは、ひっ、と口から出そうになるのをこらえた。顔から血の気が引いて行く。ありえない。その声の人は結婚したばかりなのだから。
しかし、ニレナの名が出た以上、もはや疑う余地はない。門の外に来ているのは。
「も、申し訳ありません。今、開門します! バイロン、間違いない、ジーク様のお声だ。開けろ」
バイロンも悲鳴を上げそうなぐらい引きつった顔になっていたが、大慌てで大きな鉄門を開いた。
門の外で待っていたのは、ジーク王子本人と、左右を守る男兵が二人。男たちは兵士の服を着ていないが、エディンとドルフの代わりに夜間警備についた者だと思われ、エディンも知っている顔だった。
「よ、よ、ようこそお越しくださいました。疑って開門せず、お待たせして申し訳ありませんでした」
頭を下げるエディンに、王子はにっこりとほほ笑んだ。
「急に来て悪かったが、どうしてもあの子に会いたくなってね。誰かに見られたら大変だ。急いで馬車を入れてくれ」
王子は背後を振り返り、すぐ後ろに止まっていた馬車を示した。馬車は王家の物ではなく、普通に町中を走っている辻馬車と同じ。御者も城内の兵らしく、守りの兵と同様、城の兵舎でよく見る顔。たったこれだけの人数しか連れずに王子はここに来たのか。
信じられない現実を目の当たりにしながら、エディンは馬車を招き入れた。先ほど不快そうな声をしていた王子は、すぐに気分を変えてくれたらしく、機嫌よさそうに魅惑の笑みを浮かべながら門を通る馬車を指差した。
「実はね、妃も一緒に連れてきているのだよ。私のニレナをどうしても見たいと言ってくれてね」
「ひえっ!」
――妃って……本物のニレナ王女まで!
結婚したばかりのジーク王子とニレナ妃の突然の訪問に、屋敷は騒然となった。
とりあえず、王子たちを客間に案内し、バイロンがお茶の用意をしてくれている間に、母親と妹はジーク夫妻の話し相手をした。エディンは、地下室に隠れているアリシアたちを呼びに走った。
地下室の四人は、それぞれに思った通りの反応を示した。
「ええー、うそぉ」
とシュリア。
「妃殿下まで?」
レジモントは、信じられない、と言わんばかりに赤毛の頭を左右に振る。
「ジーク様がここに……」
アリシアはおびえた顔をした。
「俺はジーク様は絶対に来ると思っていた。ちょっと時期が早まっただけのこと。大丈夫だ、普通に接すればいい」
ドルフは先輩顔になり、うろたえているエディンを励ましてくれる。
「ですが、ニレナネズミは負傷しています。まだ傷が癒えていないのに。もう隠しようがありません」
「まあ、捕まえられただけよかったと思っておけばいいだろう」
「ため息が出そうですよ。とにかく、あちらへ行きましょうか。こんな地下室でみんなが集まっていても何の意味もありません。取り急ぎ、おもてなしの用意を」
「伯爵様ぁ、あたしは何をすればいいの?」
「シュリアは、用心棒として、とりあえずアリシア様と部屋に戻ってくれ。けんかするなよ」
エディンは、アリシアたちを部屋に戻すと、他の二名を連れて王子のところへ戻った。
エディンが戻ると、ジーク王子は、機嫌良く新妻を紹介した。
「エディン、これが私の妃になったニレナだ。アリシアとはだいぶ違うだろう?」
「はじめまして、ガルモ伯爵」
ニレナ妃がエディンに向かって会釈する。
「ご成婚おめでとうございます。ご挨拶が遅れ、失礼いたしました」
祝い言葉を型通り告げたエディンは、顔をあげると、ついまじまじと見つめてしまった。
――確かに、似ている。だけど……全然違う。
明るい髪の色、紺色の目はアリシアと同じ。ぱっちりとした目元も形がそっくり。だが、体つきは本物の方が小柄に見え、首の真ん中に大きなほくろがあった。ごく普通の町人が着ているような、首周りがゆったりしたワンピースをまとっているので、首のほくろが余計に目立つ。胸はアリシアの方が絶対に大きいと――
エディンは、軽くせき込んだ。
――そこを比べてどうする!
ニレナ妃は、そんなエディンの気持ちには気がつかず、愛想よくほほ笑んだ。
「ガルモ伯、わたくしにそっくりな女性はどこにいるのですか? 殿下からお話を聞いて、ぜひお会いしたいと思いました」
彼女の声は、子どものようにキンキンした高音だった。
「アリシア様は、お怪我をなさっているので、お部屋で休んでいただいております」
「会えないのですか? 楽しみにしておりましたのに」
「申し訳ありません」
エディンがそう言うと、ジーク王子が口をはさんだ。
「エディン、少し会わせるぐらいなら大丈夫だろう。妃が会いたいと言っているのだ。すぐにアリシアを連れて来い」
どうやら王子は新妻の言いなりのようだ。王子の要望となれば、逆らうわけにはいかない。エディンは、気のりしないままアリシアを呼びにやった。
やがて、アリシアがシュリアを従えて客間に現れると、ニレナは「まぁ!」と驚きの声を出した。
「驚きました。殿下がおっしゃる通り、私と姉妹のように見えますわ。伯父上がこんな方を隠しておられたなんて」
その場にいるルイザたちは、アリシアの出生の事情を詳しくは知らなかったが、なんとなく状況を察し「よく似ていらっしゃる」と同意だけ示した。当のアリシアは無表情で、黙って頭を下げる。
「傷の具合はどうだ」
王子がアリシアに声をかけた。
「おかげさまで、だいぶよくなりました。エディン、いえ、ガルモ伯爵様はとてもよく世話してくださいます
王子は「そうか」と、何か言いかけて、後ろのシュリアに気がついた。
「君が……腕利きの兵とは君のことだったのだな」
シュリアはうれしそうに、えへへっ、と笑顔を見せた。
「ちゃんとがんばってます! この件が終わったら、またお城へ戻りますからね。よろしくお願いしますっ」
シュリアはいつもの自分を保っている。
王子はアリシアやエディンにいろいろと質問をしたが、途中でニレナ妃が王子の腕をつついた。
「殿下、怪我のお話はもういいです。お時間があまりないのでしょう? アリシア様だけでなく、ネズミさんにも会わせてくださるお約束ですよ」
「ああ、そうだった」
王子は、妻の頭を、よしよしと撫でた。ニレナ妃はくったくのない顔をして、王子の腕を軽く引っ張る。
「早く、かわいいネズミさんを見せてくださいませ」
「わかった、わかった」
心なしか、王子の美しい顔がデレデレに崩れている気がする。王子は隣に座っているニレナ妃をぐいと抱き寄せると、熱烈な口づけを与えた。長いキス。長すぎ。時間があまり取れないのではなかったのか。
それでも、一同は喉が凍ってしまったように何も言えないまま、その光景を眺めていた。
やがて、気が済んだ王子は、ニレナ妃と唇を離すと、彼女の頭をまたしても大切そうに撫でまわした。
「そんなにすぐにネズミが見たいか? すごくかわいい子だから、きっと君も気に入ってくれることだろう。エディン、今すぐ私のニレナに会わせてくれ」
「かしこまりました」
エディンは、胸のむかつきを我慢した。いよいよ、恐れていたいやな瞬間が来る。
『ニレナ』という名のネズミだと、妃には言ってあるらしく、彼女は顔色を変えはしない。ネズミと自分の名が同じでも平気そうだった。
――さすが、ジーク様のお相手。並みならぬ御方なのだ。いや、感心している場合じゃない! 怪我をしているニレナネズミに会わせないといけないのだから。
エディンは精一杯、普通に行動しようとした。屋敷内の皆は心配そうに、顔色が悪いエディンを見ている。
「ご案内いたします。こちらへどうぞ」
緊張に包まれながら、一同はぞろぞろと移動し、ネズミ部屋へ王子たちを連れて行く。そして――
「かわいいニレナ、会いたかったぞ」
王子が檻に駆け寄る。ニレナ妃も一緒に檻の横にしゃがみこんだ。
「この子がニレナちゃんですの? あら、毛がはげていて?」
「む」
王子の眉がピクリと動く。
エディンを始めとするガルモ家の者たちは、少し離れて、戸口付近に直立不動でかちんこちんに固まっていた。
しゃがんでいた王子は、さっと立ち上がると、つかつかとエディンの前に来た。
「どういうことだ。この子は怪我をしているではないか。説明しろ」
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