菜宮雪の空想箱

31.本当は



 ジーク王子は、普通の口調で話を進める。
「父上に内密に相談したところ、ガルモ伯爵邸ならどうかと意見をいただいた」
「陛下が……」
 エディンは、汗を握りしめたままの手で膝をつかんで、心のあせりを抑えた。
「父上はそちらへ訪問したことがあるから、どんな屋敷かは知っておられる。高さがあるしっかりした塀に囲まれているだけでなく、塀沿いに木が茂って外から見えにくいらしいね。ここから歩いてすぐの距離にあり、近いということが、隠れ場所に適していると思う」
「拙宅を考えていただいたことは、たいへん光栄なことでございます。ですが……」
 唇が震えそうになる。慎重に、慎重に。
「私の父が生存中は、陛下と親しくしていただき、個人的なお越しもあったようですが、それは昔の話で、今はもう……建物も古く、用心が悪いのでございます」
 王子の空色の目がじろりとエディンを捕えた。首をすくめたくなる気分を味わいながら、エディンは続けた。
「しかも、恥ずかしながら、使用人が極端に少なく、隣国の王女様をお預かりできるような、充分なおもてなしはできないのです」

 ――って言うか、使用人などもともといませんよ。ニレナネズミの為に使用人を二人借りただけなんです。

 心のつぶやきをおさえ、エディンは座ったまま深く頭を下げた。
「申し訳ございません、私の屋敷では不適切だと思います」
 しかし、王子はエディンの必死の断りを全く無視し、安心させるようなやさしい言い方で諭そうとする。
「もてなす必要はないのだよ。彼女は犯罪人の仲間だ。彼女の怪我が回復し、すべてが解決するまで、密かに預かってくれるだけでいい」
「しかし、使用人が少ない我が家では、目を離したすきに、ニレナ様が逃げてしまうかもしれません」

 ――あのいまいましいネズミのニレナのように。しかも、何をしてくるかわからない凶暴で美しい王女様を引き取るなんて、とんでもない!

「そうだな、エディン。その可能性はあるが、たぶん、彼女は逃げない」
 王子は「想像の範囲だが」と付け足した。
「逃げないのならばありがたいのですが……なぜでございますか。ニレナ様は私を殺してでも帰りたがっておられます。だから今、縛ってお待ちいただいているのでは……」
「誰も傍にいない時は、縛っておいた方がいい。あれこれひっくり返されると困るからね。寝室には勝手に触れられたくない大切なものも置いてある。彼女は、今はそれほど帰りたいとは思っていないはずだ。今朝、彼女に詳しく話したのだよ。彼女と共に城内へ侵入した賊の末路を。それを聞いた彼女は、顔色を変え、約束が違うと言って本気で泣いていた」

 王子はその後しばらくの間、口を閉じて考え事をしていたが、また話し始めた。
「誰に命じられたのかはどうあっても言えないようだったが、やはり彼女は誰かの依頼で城へ侵入したのだと、私は確信している。もしもそれが、私たちにそう思わせようとする彼女の策略だとすれば恐ろしいのだけれどね。でも、私にはあの泣き方は、最初と違い演技とは思えなかった」

 ――それは嘘泣きです。ジーク様、だまされてはなりません。あの嘘泣きで僕は、あやうく殺されそうになったんですよ! 
とは言えなかった…… 
 
 とにかく今は絶対に断わるのだ。顔を上げる。
「ジーク様、実は、私の家は今、ドルフさんの家から使用人を借りています。あの方の息がかかった人物が二人もいては、王女様をお預かりしても賊に秘密が漏れてしまうかもしれません」
 王子は眉を動かした。
「何! 使用人がドルフつながりか。それは困った」
 王子は自分のあごに手を当てて、考え込んだ。
「では、他に彼女をかくまえる場所はどこにある? 事情をうち明けてもいい人物の家で、主人は口が堅く、信用できる者でないといけない。もちろん、疑いがかかっているドルフの家ではだめだ」
 エディンはほっとして無意識に入っていた体の力を抜いた。
 いい感じだ。ドルフの家の使用人が手伝いに来ていたおかげで、王女のガルモ邸滞在を断わることができる。あとは、自宅に代わる滞在場所を考えればいい。
「エディンはどこがいいと思うか? 父上とも散々案を出し合ったが、いい場所が思い浮かばなかった。彼女の肖像画が国中に出回っている今の状態では目立ちすぎるうえ、怪我を負っているあの体だ。長い移動は無理だと思うから、できるだけ近くがいい。ガルモ邸なら最適だと思ったが……」
 エディンがうつむいて考えていると、王子は急にソファから立ち上がり、エディンに、このまま待つように命じて、廊下へ出て行った。

 王子は長い間戻って来なかったが、戻った時は大勢だと思われる複数の足音も一緒だった。廊下は一気に騒がしくなった。
「ドルフ・ハウマンを連行せよ」
 廊下に響いた王子の声に、室内のエディンの方が飛びあがった。
 ――ドルフさん?
「ジーク様! どうして私が」と驚いているドルフに、連行に来た兵が冷たく返す声が聞こえた。
「陛下のご命令により身柄を拘束する」
「身に覚えがない」
「調べればわかることだ」
 エディンが捕まった時と同じような会話が交わされている。王子と数人の兵がドルフを囲んでいるらしい。そのままドルフは連れて行かれたようで、複数の足音と共に彼の声は聞こえなくなった。
 
「エディン、待たせてすまなかった」 
 王子は部屋に入り扉が閉まると、機嫌がよさそうな顔でエディンに近づき、廊下に聞こえない声で話しかけた。
「いい案を思いついたのだ。今、父上に直接頼んで、許可をもらった。ドルフを今すぐ尋問にかけて事件に関係しているかどうか調べさせることにした」
「取り調べ……」
「そうだ。私がドルフを疑っていることは話しただろう。どうせ彼は後で調べられる予定だったから早めるようにした。彼が無関係なら、使用人が彼の家の者であっても、王女の滞在先がガルモ邸で何の問題もない。ドルフが賊となんらかのつながりがあると判断されれば、彼の家だけでなく、エディンの家にいる召使二人も密偵とみなし、身柄を拘束することになる。ドルフが白なら、ニレナの滞在先は問題なくガルモ邸に決定とする」
「……かしこまりました」


 ほどなく王子は公務の時間になり部屋から出て行き、エディンは憂鬱な気分のまま王女のいる寝室で長い時を過ごした。ドルフのことがはっきりするまでは、エディンの家にこの女性が来るかどうかも決まらない。
 ドルフを信じたいが、彼が白ならニレナの潜伏先が自分の家に決定する。複雑な気持ちを抱えたまま寝台上の王女を見つめた。
 ――まるで拷問だ。ニレナ様にとっても、僕にとっても。
 エディンは王女が横たわる寝台の傍の椅子に腰かけている。王女と二人で過ごす密室。息がつまりそうだ。
 外が徐々に暗くなってきて時を告げる。王女は朝からずっと泣いている。嘘泣きかもしれないが、苦しそうで見ていられず、甘いと思いつつも口と手だけを自由にしてやった。彼女の剣は王子が持って行ってしまい、周りに危険な武器はない。
「ほどいてくれるの? やっぱり甘い兵ね。またあなたを襲って逃げようとするかもしれないのに」
 王女の言い方には最初のような勢いはなく、自虐的な笑いすら含まれていた。
「お仲間の最期をお知りになったのなら、外へ逃げることがどれほど危険行為なのか、ご理解いただけたと思っております」
「笑ってしまうわね。こんな無茶な計画……城へ侵入すること自体、危険だってわかっていた。でもどうしようもなかった。みんな殺された。私は利用された」
「あの……さしでがましいようですが、どなたに利用されたのですか。悪いのはあなた様ではなく、利用した者です。その人物を捕まえなければなりません。どうかすべて話してくださいませんか。任務とはいえ、そのように悲しまれるお姿を見続けるのは、心が痛みます」
 王女は弱々しい笑顔を見せた。
「ありがとう。エディンはやさしいのね。私に殺されかけたのに。あなたを殺してしまわなくてよかった。私は間違っていたの。なぜこんなことになったのかわからない……」
 王女は声を震わせて泣き始めた。
「ニレナ様……」
「許してエディン。私は……本当は……」
 王女は首を横に振った。
「ダメ! ごめんなさい。本当のことは話すことはどうしてもできない。言えないの。話してしまってはいけないことなの」

「――本当は、何だと言いたいのか?」
 突然どこかから男の声がして、エディンは驚いて立ち上がった。
「誰だ!」
 あわてて腰の剣を抜いて見えない敵に備える。緊張の汗が背中を冷やす。怪我をしている体で、王女を守りながら狭い部屋で戦っても勝ち目は少ないが精一杯戦うしかない。
 注意深く見まわす。寝室の扉は閉まっており、窓にも人影はない。
「どこに隠れている。姿を見せろ」
「ここだ。今、姿を見せよう」
 聞き覚えのある通りのいい声が返事をした。
 その声は――と思った瞬間にすぐそこにあった引き出し付き家具が、ゴトゴトと音を立てて床ごと左へ乗り上げるような形で大きくずれ、その下に人の体の幅しかない細い階段が現れた。見覚えのある整った顔がそこから首を出した。

「ジーク様!」
「エディン、驚かせて悪かった。ここが例の穴。この抜け道のことは、本当は王族以外に知らせてはいけないのだが」
 王子はそう言いながら『ニレナの穴』の細い階段を上がり、王女の寝台へ近づいた。
「ねえ、ニレナ。だまし合いは終わりだ。穏やかな性格のエディンが相手なら、すべての事情を打ち明けるかもしれないと思っていたけど、無理みたいだね」
 王女は怒りの視線を王子に向けた。
「盗み聞きとは、ジーク様ともあろう方が、はしたないこと」
 ジーク王子は、王女の軽蔑するような言葉の挑発には乗らず、唇だけで冷たく笑った。
「今、君が言えなかったことを代わりに言ってやろう。君は本当は……」
 王子は目を細めて手を伸ばし、仰向けになって寝ている王女の、首の真ん中あたりに指先を触れさせた。
「どうして私がここに触れるのか知っているかい?」
 王女は迷惑そうに、顔を左右に振った。
「私のニレナは……婚約者として数年前に引き合わされたニレナという名の女性は、ここにほくろがあった。君にはほくろはない。君は私のニレナではない。君は、私が間違えたのをいいことに、ニレナ王女のふりをしているだけだ。そうだろう?」
 ぴりぴりした空気が室内を満たす。エディンは驚きで、息をするのも忘れそうになっていた。



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