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彼と展望台へ行ってから二週間ほどが過ぎた。私たちは、あれ以来予定が合わず、二人だけのデートはしていないけれど、メール連絡は毎日とり、結婚へ向かって少しずつ話を進めている。両方の親同士を合わせる日程を調整中。
今日は市民フェスティバルが開催される日。多くの市民団体が参加するお祭り。ナチュラルこと、ナチュラル・アース・プロジェクトは北極を舞台にした着ぐるみ劇を披露する予定になっている。公演が午前中に終わったら、彼と二人で昼食を食べに行き、いろいろ決めることにしていた。
結局、私は今回はナチュラルの手伝いはせずに、一般人として観劇することに決めた。熱心に『勧誘』されたとはいえ、彼と正式に婚約していないのに、家族面してメンバーにいきなり入るのは気が引ける。
彼は早朝から準備に出かけているので、私はひとりで電車に乗り、会場の南川畑公園へ向かった。
コンクリート製の屋外ステージ前には、見学者用のパイプ椅子がたくさん並べられており、今は子ども太鼓クラブが演奏を披露していた。席は三分の二ほどが埋まっている。前列付近には参加者の関係者と思われる親たちのビデオ撮影隊がずらりと並ぶ。私は目立たぬよう、後ろから二列目の端に腰かけた。湿度が低いさわやかな晴天。屋外ステージの見物は暑いほどだ。
ナチュラルの参加順はこの次。彼は姿は見えないが、舞台裏にいるのだろう。舞台の両横には白い段幕が張られており、一か所だけ段幕が切れている場所には、関係者以外立ち入り禁止の立札がある。舞台裏がどうなっているか、こちらからは見えない。
やがて太鼓演奏が終わると、前の方にいた太鼓関係者たちがどやどやと席を立ってしまった。私がいる位置が舞台から丸見えになってあせったが、数列目に座っていた十代後半ぐらいに見える若い女の子たちが何人も、空いた前の席へ移動してくれた。
ラッキー。これで私は目立たなくなった。
舞台上の太鼓は大急ぎで片づけられ、入れ替わりに、アンプなどの音響関係の機材が運びこまれていく。そして北極っぽい背景画が立てられ、氷や岩のセットが置かれた。機材を運んでいる茶色いベスト姿の男性……あれは彼のお父さんだ。そのうち礼也さんが出てきて、シンセサイザーの音量調節を始めた。こちらは帽子だけアザラシ姿。よくお似合い。
「れいやー! こっち向いて―」
前を占領した女性集団から黄色い声が飛び、スマホやケータイのカメラが舞台に向けられてる。
そっか。
芸能人っぽい外見の礼也さんには、ファンクラブもどきの人たちがいるわけだ。
すぐに舞台準備は整った。マイクを取った礼也さんに、前列から大きな拍手が沸き起こる。
「こんにちは。ナチュラル・アース・プロジェクトです。今日は、小さいお子さんも一緒に楽しめる短い劇をやりますから、最後まで観て行ってくださいね。終演後、この劇の内容に関するクイズに答えてくれたら、解答用紙と引き換えに、もれなくこちらの手作りケータイストラップをプレゼントします」
礼也さんが小さなペンギンストラップを掲げる。
――あ、あれもお母さんの手作りだ。手芸部屋でちらっと見た記憶が。
「では、はじまり、はじまりぃー」
にっこりと笑った礼也さんのシンセサイザーの演奏に合わせて劇が始まり、着ぐるみの俳優さんたちが舞台袖からぞろぞろ出てきた。
音楽はすべて礼也さんの生演奏。バックミュージック、効果音だけでなく、ドラマの挿入歌のような歌詞がある生歌もあり。
歌のおにいさんのような高めのいい声だ。動画を見せてもらったときには気が付かなかったけれど、シンセサイザーの操作も正確でうまい。礼也さんなしではこの劇団はやっていけないだろうと思った。
私の彼はどれだろう。舞台上には白クマやアザラシなど、動物の着ぐるみが何人もごろごろしている。顔の部分だけは出ているとはいえ、似たような顔の若い男の人が多く、わかりにくい。お父さんは劇の中でも人間のお父さん役ですぐにわかったけれど、お母さんの姿も確認できない。
事前に何の役をやっているのか聞いておけばよかった。着ぐるみで出演しているとは限らず、今日は二人とも裏方にいる可能性もある。
劇は童話風で、小さい子にもわかりやすいように作られていた。
動物の声が聞こえる少年が白クマの子どもと仲良しになり、氷が解けて困っている彼らの危機を救うために、大人たちを動かして巨大な筏を北極海に浮かべる、というストーリー。北極に浮かぶ大陸のような大きな筏。筏の上に雪が降り積り、固まった雪が氷になって新しい氷の大地になる。
ラララ みんなが力を合わせれば
ルルル なんでもできるさ ほらごらん
できたよ できた おおきないかだ
ラララ ラララ〜
礼也さんの歌が耳に残る。動物たちは溶けない島ができて大喜び、というところでエンディングになった。
出演者たちが両手をつないで横一列になってそろって頭を下げている。現実では、巨大筏は資金面も技術面でも無理かもしれないけれど、出演者さんたちの充実感たっぷりの笑顔がまぶしかった。
舞台はすぐに次のダンスグループの準備に入った。礼也さんとお父さんなど、着ぐるみでないメンバーは舞台上の楽器などの道具搬出作業をし、舞台の下では着ぐるみ隊が浅い箱に入れたクイズの用紙を配り歩く。
「どうぞ。クイズの解答用紙をお取りください。この用紙と引きかえにあちらでマスコットを配っています」
案内している白クマ姿の女性の顔を見れば、汗びっしょり。着ぐるみが暑いんだ。それでも苦しそうには見えない。
――ああいう活動なら、そう毛嫌いすることでもないかも。
見ている私もすっかり和んでいた。
まあ、今度は参加してもいいかな。楽しそうだし。
結局、最後まで彼が確認できなかったことは残念。
もしかして、彼は風邪でもひいて、今日は出演していなかったのかもしれないと思い、劇の途中でメールを確認したけど連絡は来ていなかった。お昼ご飯を共にする約束をしているのだから、連絡なしで休むということはない。裏で何をしていたのか後で聞いてみよう。
私は彼宛てに連絡メールを送った。
【お疲れさま。暑いから正面にある公民館のロビーで待っているね】
私は公民館のロビーへ移動し、そこからガラス越しにダンスグループの演技を眺めて彼を待ち続けた。
やがてダンスグループの演技が終わり、屋外ステージはお昼休憩となった。アンケートを集めていたナチュラルのメンバーの姿も消え、パイプ椅子に座っていた人々がばらばらと散っていく。一瞬だけ礼也さんが、関係者入り口の段幕の間から顔を覗かせたが、純也はまだ出てこない。
「遅いなあ」
腕時計を見る。もう十二時半すぎ。再びメールを入れた。
【今、どこ?】
待っていても一向に返信が来ず、ロビーにひとりで居づらくなった私は、段幕の隙間の関係者入り口から勝手に裏へ入った。お父さんの姿はステージの真裏に設置された関係者テントの中で発見。会場関係者らしいネームプレートをつけた男性と話し中だったので、挨拶せずに通り過ぎる。
礼也さんはさらに奥にある関係者の駐車場内で軽トラックに機材を積みながら、ファンもどきの女の子数人と話をしていた。礼也さんは、私を目ざとく見つけると、小走りでこちらへかけてきた。
「礼也ぁ、待ってえ」
黄色い声の集団も一緒についてくる。
「彼女いたの」
女の子たちのきつい視線が私に集まる。
「違う、兄貴の彼女だよ、ちょっとそこで待ってて」
――なんか、いや〜だ。居心地悪っ!
だけど、彼と連絡が取れない以上、居場所をこの人に聞くしかない。お母さんもいないみたいだし。
「礼也さん、お疲れ様でした。素敵な劇でした。あの、お忙しいところすみませんが、純也さんは……」
礼也さんは彼女たちに聞こえないよう、口元に手を添えて小声でささやいた。
「亜来さん、よかった、来てくれたんですね。それが……兄貴、今日は来ていないんですよ」
「ええっ!」
まさかの裏切り? 結婚の約束をしたばかりなのに連絡なしでデートすっぽかしなんて!
私がこの前メール連絡を絶ったことへの仕返し? 酷いじゃないのよ。
そんなことを一瞬で考えてしまったけれど。
礼也さんはさらに声のボリュームを下げた。
「兄貴、昨夜、事故を起こして市民病院に入院したんです」
「事故……」
時が止まる。全身を巡る血液もなにもかもが無理やり停止してしまった感覚。