3.
彼が運転する車が動き出してしばらくの間、私たちは無言だった。私は笑い顔を作りすぎてすっかり疲れてしまっていた。
車のライトが路面を照らす様をぼんやり目に映していると、ハンドルを握っている彼がぼそりと言った。
「うちの家族、どう思った?」
「素敵なご両親だね。私、とても歓迎されているみたいでうれしかった」
波風を立てないよう言葉を選ぶ。
「本当にそう思ったのか? 無理しなくていい」
ご両親、礼也さん、みんな心はまっすぐ。とても真面目で悪い人はいない。でも、みなさんの楽しいツボが、私の感覚とかなりずれている。私は、思わず出そうになったあきれた溜息をかみ殺した。
『変』の度合いは想像していたよりも軽度で、ああいう人もいる、という程度だったけれど、少なくとも私の周りにはあんなタイプの家族はいない。
礼也さんの部屋へ入り目についたのは、ギター、アンプなど、音楽関係のもの。いかにも音楽好きの大学生らしく、大量のCDが無造作に床に積み上げられていた。私は、壁際に固められているそれらの横を通り、奥の勉強机の上にあるパソコンに案内された。
『この動画を観てほしいんです。僕らはこういう活動をやっていて、今日はその打ち合わせで遅くなってしまいました』
礼也さんのパソコンに保存されていた動画が始まる。映像はどこかの小さな舞台の劇を撮影したものだった。
『これは……』
『そうです、全部おふくろが作った衣装ですよ。ほら、ここにいるトドが親父。兄貴は……これには出てなかったかな』
十五分ほどの動画が終わると、礼也さんは熱心に劇団の説明を始めた。
礼也さんが所属しているアマチュアの劇団【ナチュラル・アース・プロジェクト】通称【ナチュラル】は、地球温暖化を題材にした子ども向け着ぐるみ劇をすることで、地球の現状を訴える活動を行っているのだという。手芸を得意とするお母さんが衣装を作り、イベント企画系の会社に勤めているお父さんが礼也さんの活動の場を作り――もちろん、私の彼、純也もその一味。礼也さんの仲間たちと一緒に、一家全員が着ぐるみで出演していることもあるのだとか。
動画観賞の後、地球温暖化を示す写真などを掲載したパンフレットやチラシなどを渡され、まるで弁論大会のような礼也さんの熱い説明攻撃を浴びた。
『僕たち人間は、はっきり言って地球の害虫ですよ。生きていれば空気も汚すしゴミも出る。それでも僕たちは地球が壊れてしまったら生きていけない。だから、地球を少しでもいい状態に保てるよう、個人ができる範囲で何かをしよう、という気持ちを広めることが僕らの活動の目的です。たとえば、節電とか、朝シャンをやめるとか、何か一つでもいいからできることを』
礼也さんの言うとおり、確かに地球は大変な時を迎えているのかもしれない。自分のことばかりしか考えない人が多い世界で、こういう活動に情熱を注ぐことはすばらしい。だけど。
『おふくろが作った衣装もぴったりだったことだし、よければ僕たちと一緒にナチュラルの活動をしませんか?』
――とりあえず、適当に笑っておく。彼の言った通りに。
『うふふ、ねえ亜来さん、そんなに難しく考えないで。私と一緒に衣装係をやってもいいし、劇の練習に出ることが時間的に無理なら、着ぐるみ姿で公演案内のチラシを配ったりする仕事もあるの』
『そ、そうですか。大変ですね』
答えになっていないと自分でもわかっていても口がうまく動かない。
『パソコンがお使いになれるのでしたら、チラシ作成やインターネットで宣伝という参加の仕方もあります。ぜひ――』
――あの……私、活動って、無関係でいいんですけど。
延々と一時間近く、そんな話ばかりだった。まるで悪夢。思い出すだけで車に酔いそう。結局、何枚も作られていた着ぐるみは劇に使うため。つまりは、私もその劇団に入れってことのようで。
「亜来、正直に言えよ。やっぱり変だと思ったんだろう?」
ハンドルを握る彼が、ちらっと私を見たのがわかった。
「……思ったほど変じゃない。みなさんが熱心すぎて、特に、弟さんが熱くてびっくりしたけどね」
「あいつらはあれが生き甲斐なんだよ」
「私、純也がああいう活動をやっているって、今まで知らなかった。だから、日曜日は都合が悪くて会えない日があったんだね」
言い方に嫌味が入ってしまった。ほんとうに知らなかったんだから。
「仕事だって嘘をついて悪かった。あんなの手伝わされているって、どうしても言いたくなかったんだ」
「いつから」
「半年ぐらいになる」
「半年も……それならそうともっと早くに言ってくれればよかったのに」
「ごめん。最初は公演日に人が急に足らなくなって急きょ手伝っただけだから、特別報告することでもないと思った。で、あいつらがあんまりにも喜ぶから、次の時も手伝うことになって、そのままメンバーに入れられた。俺は、そんなにのめり込んでいないから、いつやめてもいい」
「そう……いつでもやめられるんだ」
だけど、もしも彼がやめると言ったら、あの人たちはどんな顔をするのだろうか。きっと私のせいで純也が仲間から抜けて、楽しいことに水を差されたような気分になるに違いない。
「親父が言っていた今度の市民フェスティバルの出演の件、どうする?」
「着ぐるみ劇ね。手伝わないわけにはいかないよね?」
「都合はいいのか?」
「参加するかどうかの返事は少し待って」
私は気持ちを顔に出さないよう気を付けた。一度でも活動に参加すればやめにくくなるに決まっている。
地球温暖化をみんなで考えるための活動。白クマになって劇に出演することで、少しでも温暖化を止める効果があるのだろうか。自己満足にすぎない気もする。こういう真面目な活動は、どちらかと言えば私は苦手。できれば避けたい。
「ねえ、私たち……」
――結婚するんだよね? 結婚を前提にした食事会だったんだよね? そう思っていいの?
あふれてくる質問を飲み込む。
「市民フェスティバルは来月の第一土曜だから、当日の詳しい情報はまた連絡する」
それきり私たちは口を閉じ、会話がなくなった車は、静かに私の家に着いた。
「亜来、今日はありがとう」
彼が降りようとする私を見つめる。私はつい目をそらしてしまい、頬に向かって伸びてきた彼の手を避けて助手席の扉を開けた。
「お母様に食事のお礼を言っておいてね。おいしかったって」
彼に背を向け早口でそう言うと、車から飛び出し、振り返らずに家に駆けこんだ。屋内で待ち構えていた母を無視して二階にある自分の部屋へ駆け上がり、ベッドにうつぶせになった。
「亜来ちゃん? 食事会はどうだったの。なんかあったんだね」
母が遠慮がちに私の部屋の扉をたたく。
「一人娘だからって、あちらのご両親に結婚を反対されたの?」
「違うの。すごくいいご両親だった。弟さんもおもしろい人でね。愛想笑いしすぎて疲れたから少し休みたいのよ。お風呂、先に入って」
私は、母が下へ降りて行く音を聞きながら毛布を頭まで引っ張りあげた。
確かに彼の家族はちょっぴり『変』だった。地球への愛が熱すぎて。それは悪いことではないけれど。
その夜、私はベッドの中でケータイを開き、彼から届いたメールをしばらくの間眺めた。
【今日はありがとう。両親さ、亜来のことすごく気に入ったみたいだった。また明日メールする。おやすみ】
何度か読み返した後、静かに閉じて枕元に置いた。
あの一家は、貴重な仕事休みをああいう活動でつぶしているのだ。礼也さんの部屋で見せられたパンフレットが脳内にチラつく。
地球温暖化を示す数々の写真。溺れる白クマ。氷が解けて大きな滝ができている南極。海面上昇で沈みゆく南の島々。マングローブの根がすっかり洗われている横で普通に生活している人々。
お父さんもお母さんも、ナチュラルの活動についてのチラシをいくつも私に見せて、礼也さんの『説明会』に全力で協力していた。あの時、彼、純也は何も言わず黙っていた。たぶん、彼もナチュラルの活動には大賛成なのだろう。
「何よ! 地球のことも大事だけど、それよりも、まずは私とのことをちゃんと話し合うべきでしょ」
にこにこしていた一家を思い出すと、胸がムカムカしてきた。
このまま彼と付き合い続けてやがて結婚し、あの押しが強い一家の一員になって、私はやっていけるのだろうか。いや、彼は結婚を考えていない気もする。私と結婚するつもりなら、彼は着ぐるみ劇をやっていたことを隠す必要などないはず。
……ということは、彼は親兄弟に頼まれて、着ぐるみ要員を増やすために私を食事会に招待して洗脳しようとしただけか。だから『変』な人たちだと先に予防線をはっておいたのか。
「最低。マザコン!」
その夜、私は、彼からのメールには返信しなかった。