葉桜の展望台で



2.

 案内された奥の部屋は六畳ほどの縦長の洋間で、大きな足踏みミシンが壁の一部を占領するようにドーンと置かれていた。その隣には、手芸関係の材料がいっぱいに詰められた天井近くまである大きな多目的棚。そして、空いている壁のスペースには、お母さんの創作品と思われる作品たちが壁を埋め尽くすようにぶら下げられている。
 お母さんはその一つを下ろして、私に差し出した。
「亜来さん、これ……着てみてくださらない? こういう生地だから、縫いにくかったけど、きれいにできたと思うの」
 笑顔が迫る。悪気はないのだろう。息子の嫁候補にいじわるしようとしているとも思えない。
 だけど、これは。
「亜来さんは小柄な方だって純也から聞いていたから、小さめに作ってみたの。サイズが合わなかったら作り直すわ。着てみて。服の上からでいいから」
 返事に困る。
「……亜来、着てやってくれないか?」
 彼が私の背をそっと押した。『適当に合わせて笑っていればいい』とはこのことか。
 勧められた服を着るだけ。たったそれだけのこと。それでお母さんが喜んでくれるならいいことだし。
 彼と結婚するなら、初めての家庭訪問の今日はとても大事な日。将来の姑の機嫌をそこねるようなことは、絶対にしてはならない。
 ――でも……着る気にならないんだけど。
 黙っている私に、お母さんは困った顔になり、ハンガーにかけてあった別の作品を次々下ろした。
「気に入らないかしら? じゃあ、こっちはどう? どれでも亜来さんがお好きなのを選んで」
「気に入らないなんて、そんな」
 私は出された数枚を手に取った。何も考えず、最初に渡された真っ白なやつに決めた。
「では、こちらを試着させていただきます!」
 力んでしまい、必要以上に声が大きくなってしまった。一同から、おお、と喜びの声が上がる。
 ……汗が出てきた。大丈夫。これぐらいなら私は耐えてみせる。会社で上司にネチネチと嫌味を言われるよりは何百倍もいい。
「ありがたいこと。着てくださるのね」
 お母さんは、ほんの少し歯を見せたかわいらしい笑顔で、男性陣を部屋から追い出した。
 私はお母さんに背を向けると、新品のワンピースを、えいっ、と脱ぎ捨て、真っ白な着ぐるみに足を入れた。

 数分後。
 私は完全に着ぐるみの中。丸く切り抜かれた顔の部分だけは涼しいが、頭は耳付きフードになっており、真夏でもないのに蒸し風呂のような息苦しさを感じる。
「よかった、入ったわね」
 後ろのチャックを閉めてくれたお母さんは、満足げに、うんうんと頷いている。装着完了の声に、入室してきた男性陣は私の姿を批評。
「すげー! ぴったりじゃん。母さん、よかったなあ。がんばって作ったかいがあったぜ」
 やたらにテンションが高い礼也さん。お父さんはみんなの様子を腕組みして見ている。
「亜来さん、どうだね、家内の腕はたいしたものだろう?」
「素晴らしいです。これで手作りってすごいですね」
 とりあえず褒めちぎっておく。
 お父さんの後ろにいる彼と目が合った。
「亜来……よく似合うよ……」
 心なしか、彼もうれしそうに見える。
 ――そうですか。そういう言葉は私が花嫁衣装を身に着けた時に言ってほしかった。これ、どうみても白クマでしょう。クマ姿が似合うって、なによ! 
 湧き上がる感情を言葉に出す暇もなく、礼也さんがさらによけいなことを言ってくれた。
「母さん、せっかく亜来さんの為に作ったんだからさ、そっちのペンギンの方も着てもらったら?」
 お母さんは私の顔色をうかがうようにちらっと見た。
 なんか、嫌な感じ。
「そうねえ、でも亜来さんのお時間もあるでしょうし……」
 私はつばを飲み込んだ。
 ――ちょっと待って。『亜来さんの為に』って、いったい何枚私専用のものを作ってるの。この家で私の体のサイズの話が出てたわけ?
 彼をさりげなく睨みつけるも、彼は下を向いて私の視線の刃をかわした。
 礼也さんは目をきらきらさせて母親を応援する。
「母が何日もかけて一生懸命作ったんです。ぜひこれも着てみてくださいよ」
 なにこの人。素敵な笑顔で人の気持ちも考えずにしゃあしゃあと。イケメン弟さんが悪魔に見えてきた。
 そして、私はしぶしぶ……といっても、一応、表面上はうれしそうに、ペンギンの着ぐるみを試着した。
「あら、亜来さん、これもよく似合うわね」
 何がそんなにおもしろいのか、みんなが私をじろじろ見ては満足そうに笑っている。服を着るだけでこんなに人に喜ばれたことは一度もない。人の喜ぶ顔をみることは悪いことではないけれど、体がものすごく太く見えていやだ。
「これもどうかしらね」
「すげえ、ぴったり。お似合いだ」
 勝手に話が進む。白クマ、ペンギン、その次には赤ちゃんアザラシ。
「母さん、この帽子だけのやつもいけそうじゃない」
「帽子とセットになっていた手袋も作ったんだけど、どこに置いたかしら。今、探すわね」
 礼也さんはどんどん勧めてくる。そろそろ許していただけないか、と言いたいところだが、ぐっとこらえて笑顔で対応。
 礼也さんは、かわいい、似合う、を連発。そこにいる兄の純也にはおかまいなしだ。
「女の子はいいわよねえ、なにを着せても夢があるわ」
「そ、そうでしょうか。あはは……」
「家内はね、女の子がほしかったんですよ」
 お父さん、それはわからないでもないけれど。でもね、私はぬいぐるみ扱いされたくありません!
 この人たち、こんなことで、どうしてそんなにうれしそうにできるんだろう。理解不能。着ぐるみを次々着せて喜ぶなんて、初めて家に来た息子の彼女に対する歓迎の仕方とは思えない。完全に見せ物。
 助けを求めて、ずっと黙って後ろにいる私の彼の方を見ても無駄だと悟った。彼はひとことも口を挟まず、静かに立っている。その顔がどことなく楽しそうに感じられるのだから、どうしようもない。楽しくないのはきっと私だけだ。

 悪夢のような大試着会が終了し、元のワンピース姿に戻った私に、悪魔弟が天使のようなとろける笑顔で、ついでに自分の部屋を見てほしいと言う。
 この悪党め。なかなかいい度胸じゃないか。兄が連れてきた女を自分の部屋に堂々と誘うとは。兄である純也はどう思っているのだろうと、彼の顔を確かめても、やはり先ほどと同じで、不快そうな感じはしなかった。
 まあいい。もしかしたら、ちゃんとしたプロポーズなんかされていない私は、この家族と親戚になることはないかもしれないのだし、それほど見せたいものがあるならば、しっかり観賞してやればいい。ここまで来たら、なんでも来いだ。

 二階へ案内される。彼の家族と一列になって階段を上がることが自分でも滑稽だと思う。その先に待ち構えている何かへの期待と予感に緊張が高まっていく。礼也さんの部屋を見るだけで、どうしてご両親までぞろぞろ付いてくるんだろう。
 子ども離れしていない親なのかもしれない、と考えているうちに、弟部屋の扉が開かれた。
   ◇

 そして一時間ほどが経過。
 大試着会よりも、この一時間の方が疲れた。これは苦行だ。
「遅くなってごめんなさいねえ、亜来さん。礼也の部屋にまで付き合わせてしまって」
 彼の車に乗る私に、お母さんが申し訳なさそうに私にわびた。
 礼也さんは上機嫌で、すまなそうな顔ひとつせず、タレントのようなさわやかな笑顔を絶やさない。
「さっきの話の返事は、兄貴のケータイへ送ってくれればいいですから。いいお返事を期待して待ってます」
「はい……」
「やってみると結構楽しいもので、悪くないと思いますよ。一度、体験のつもりで参加してみて、それから考えたらどうかね、亜来さん?」
 あまりしゃべらないお父さんまで援護射撃か。



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