６．
その日、綾は部室に姿を見せなかった。
部活の時間が終わりに近づいた頃、日南子が綾のことを口にした。
「ねえ、綾ちゃんって、今日はバイトの日だったかな。あたしは聞いてないけど、休むって誰か聞いてる？」
幹雄は小さな声で答えた。
「あいつ、もう来ない」
「えっ？」
日南子は不思議そうに大きな目を幹雄に向けた。
「あいつさ……実は、今日の昼に、文芸部をやめるって言いに来たんだよ」
「急にそんな……なんでなの」
原稿とにらめっこしていた巧も、はっ、と顔をあげた。
「綾先輩のバイトって、そんなに大変なんですか」
「いや、バイトのせいじゃない。いっそのことほんとうにバイトが忙しくてやめる方が何倍もましだった」
幹雄は苦々しく言葉を吐き出した。
「やめるって、四人しかいないのに、あたしたちに相談なし？ どういうこと？ なんで幹雄君がそんなこと知っているの」
「どうしようもない理由なんだよ。おまえら、知らないのか。俺とあいつで作ったトマトがさ――」
言おうとしてこみ上げる思いに、幹雄は詰まってしまった。
あの作品が諸悪の根源。軽い気持ちで書いた作品が、こんな結果を招くことになるとは。喜びの後の地獄。あの時、例のメールを見た自分もどん底の気分になってしまい、創作熱がすっかり冷めてしまった綾の意欲を呼び戻す言葉など思いつかなかった。
「トマトって……食べ物じゃなくて『文笑』へ出したやつ？」
「おう、あれさ、入賞取り消されたんだよ。あいつのところに編集からメールが来てさ」
言葉にする幹雄の唇はわずかに歪んでいた。
「ええー！」
「マジっすか」
二人とも大きな声が出た。
「俺、今日、綾ちゃんに呼び出されて、入賞取り消しメール見せられて泣かれた。『トマトの情熱』が、ネット小説家のなんたらってやつの作品に似てるんだとさ。俺も一緒に泣いたよ。あいつは、パクリ認定されたも同然で身ばれすると文芸部がヤバイからって、自分から身を引いた。俺に止める権利なんかない」
しんとした状態が数秒続いた後、うつむいていた日南子がぼそりと言った。
「……そうだったんだ」
「俺も苦しいからここに来てすぐには言いたくなかったんだよ。嘘だと思うなら、ネットで文笑の公式ページ見てみろ」
即座に巧がネットでページ検索してそこを開いた。
「ああ、ほんとうだ。佳作に入選した作品は作者の申し出により入賞辞退と小さく出ています」
「そこに書いてあることは嘘だ。メールでは一方的に賞を取り消すという話になっていたのにな。作者の申し出で入賞辞退なんかするやつなんかいるわけないだろ。盗作と断定できないけど、疑わしいから入賞は取り消すってよ。こんなクソ雑誌、二度と買うもんか。こんなの、雑誌を買わせることが目的だけの公募だったんだ」
日南子は唇を震わせて泣きそうな顔になっていた。
「ひどいよ……それじゃあ、綾ちゃんすごくへこんでいたんじゃない？ 入賞をあんなに喜んでいた後だけに」
「だから大泣きしてたんだって。何度も俺にあやまって、みんなにも申し訳ないって言っていた。あいつ、今後はなにも書かないってさ。つか、書けないというほうが正しいかもな。俺ですら、青春が終わった気がする。めちゃくちゃテンションが下がった」
「こんなことって……」
「先輩、盗作元と言われた作家名ってわかります？」
幹雄が答えると、巧は素早くキーを打ち、疑惑の元となったサイトを探し出した。
「ありました、これですね。うあ、並んでいる小説タイトルだけでもカオスです。『キュウリの羞恥心』とか『剥かれた玉ねぎ』とか……野菜を主役にした官能小説みたいですけど、こんなサイトがあったとは僕も知りませんでした」
「普通知らねえよ、そんな怪しいサイト。俺にも見せろ」
幹雄は移動し、巧が開いているパソコンの画面を横から覗き込んだ。
「ゲッ……確かにカオス。この『トマトの昇天』ってやつが俺のトマトと同じってか。冗談じゃない」
「もういいよ、閉じてよ。見たいなら自分の家のパソコンからどうぞ」
日南子は不快そうに男たちから背を向けた。
「綾ちゃんがもう来ないとなると、さみしいね……」
ぼそりと言った日南子の言葉の後、会話がなくなり、三人だけの部室はしめった沈黙に包まれた。
日南子は少しの間、頭を抱えて何か考え込んでいたが、ケータイを手に取り、手早くメールを打った。しばらく待っても返信着信音は鳴らない。
「だめだね、綾ちゃん、返信してくれない。普段ならすぐに返信くれるのに」
「そっとしておいてやれよ。正直俺だってきついんだからさ。きっと今頃、彼氏に慰めてもらっているって」
「そうだといいけど……」
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その日、綾は部室に姿を見せなかった。
部活の時間が終わりに近づいた頃、日南子が綾のことを口にした。
「ねえ、綾ちゃんって、今日はバイトの日だったかな。あたしは聞いてないけど、休むって誰か聞いてる？」
幹雄は小さな声で答えた。
「あいつ、もう来ない」
「えっ？」
日南子は不思議そうに大きな目を幹雄に向けた。
「あいつさ……実は、今日の昼に、文芸部をやめるって言いに来たんだよ」
「急にそんな……なんでなの」
原稿とにらめっこしていた巧も、はっ、と顔をあげた。
「綾先輩のバイトって、そんなに大変なんですか」
「いや、バイトのせいじゃない。いっそのことほんとうにバイトが忙しくてやめる方が何倍もましだった」
幹雄は苦々しく言葉を吐き出した。
「やめるって、四人しかいないのに、あたしたちに相談なし？ どういうこと？ なんで幹雄君がそんなこと知っているの」
「どうしようもない理由なんだよ。おまえら、知らないのか。俺とあいつで作ったトマトがさ――」
言おうとしてこみ上げる思いに、幹雄は詰まってしまった。
あの作品が諸悪の根源。軽い気持ちで書いた作品が、こんな結果を招くことになるとは。喜びの後の地獄。あの時、例のメールを見た自分もどん底の気分になってしまい、創作熱がすっかり冷めてしまった綾の意欲を呼び戻す言葉など思いつかなかった。
「トマトって……食べ物じゃなくて『文笑』へ出したやつ？」
「おう、あれさ、入賞取り消されたんだよ。あいつのところに編集からメールが来てさ」
言葉にする幹雄の唇はわずかに歪んでいた。
「ええー！」
「マジっすか」
二人とも大きな声が出た。
「俺、今日、綾ちゃんに呼び出されて、入賞取り消しメール見せられて泣かれた。『トマトの情熱』が、ネット小説家のなんたらってやつの作品に似てるんだとさ。俺も一緒に泣いたよ。あいつは、パクリ認定されたも同然で身ばれすると文芸部がヤバイからって、自分から身を引いた。俺に止める権利なんかない」
しんとした状態が数秒続いた後、うつむいていた日南子がぼそりと言った。
「……そうだったんだ」
「俺も苦しいからここに来てすぐには言いたくなかったんだよ。嘘だと思うなら、ネットで文笑の公式ページ見てみろ」
即座に巧がネットでページ検索してそこを開いた。
「ああ、ほんとうだ。佳作に入選した作品は作者の申し出により入賞辞退と小さく出ています」
「そこに書いてあることは嘘だ。メールでは一方的に賞を取り消すという話になっていたのにな。作者の申し出で入賞辞退なんかするやつなんかいるわけないだろ。盗作と断定できないけど、疑わしいから入賞は取り消すってよ。こんなクソ雑誌、二度と買うもんか。こんなの、雑誌を買わせることが目的だけの公募だったんだ」
日南子は唇を震わせて泣きそうな顔になっていた。
「ひどいよ……それじゃあ、綾ちゃんすごくへこんでいたんじゃない？ 入賞をあんなに喜んでいた後だけに」
「だから大泣きしてたんだって。何度も俺にあやまって、みんなにも申し訳ないって言っていた。あいつ、今後はなにも書かないってさ。つか、書けないというほうが正しいかもな。俺ですら、青春が終わった気がする。めちゃくちゃテンションが下がった」
「こんなことって……」
「先輩、盗作元と言われた作家名ってわかります？」
幹雄が答えると、巧は素早くキーを打ち、疑惑の元となったサイトを探し出した。
「ありました、これですね。うあ、並んでいる小説タイトルだけでもカオスです。『キュウリの羞恥心』とか『剥かれた玉ねぎ』とか……野菜を主役にした官能小説みたいですけど、こんなサイトがあったとは僕も知りませんでした」
「普通知らねえよ、そんな怪しいサイト。俺にも見せろ」
幹雄は移動し、巧が開いているパソコンの画面を横から覗き込んだ。
「ゲッ……確かにカオス。この『トマトの昇天』ってやつが俺のトマトと同じってか。冗談じゃない」
「もういいよ、閉じてよ。見たいなら自分の家のパソコンからどうぞ」
日南子は不快そうに男たちから背を向けた。
「綾ちゃんがもう来ないとなると、さみしいね……」
ぼそりと言った日南子の言葉の後、会話がなくなり、三人だけの部室はしめった沈黙に包まれた。
日南子は少しの間、頭を抱えて何か考え込んでいたが、ケータイを手に取り、手早くメールを打った。しばらく待っても返信着信音は鳴らない。
「だめだね、綾ちゃん、返信してくれない。普段ならすぐに返信くれるのに」
「そっとしておいてやれよ。正直俺だってきついんだからさ。きっと今頃、彼氏に慰めてもらっているって」
「そうだといいけど……」
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