番外編 ジーク王子、ニレナを語る
(この話は、2012/9/25のブログ記事より転載一部改稿したものです)
ネズミの話が聞きたいとは……どこでその話を聞いてここへ来たのか知らぬが、そんなに知りたいのなら教えてやろう。
ニレナと出会ったのは、城の地下だ。この城の地下のことは、あまり大きな声では言えないのだが、それを抜きにしてニレナとの出会いは語れない。
場所は……そうだな、都合上はっきりと言えないからわかりにくいだろうが、ワインクーラーのようなところだと暗く寒いところを想像してもらえばよいのだ。
ある日、私がひとりで地下にいたとき、闇の中で何かが動く気配がした。地下通路は一般の者は出入りできぬ場所故、私は父上が奥にいるのかと思い、一瞬足を止めたが、灯りも見えぬ場所での物音はおかしいと思い、その場でしばらく様子をうかがっていたのだ。すると……
ああ、あの時の感動は、生涯忘れぬ。
突然何かが私の頭上に降ってきたのだ。そして、それは、いきなり私の首元へ入り込んできた。
もそもそと私の肌をあさり、必死で爪を立てて逃げようとした彼女。
私は我を忘れ、はしたない叫び声を口から発していた。
彼女は容赦なく私の肩に、首に、小さな歯を立てた。
その刺激と言ったら……もう……たまらなく、すばらしく……初めて知った衝撃だった。
私は王子としての誇りも何もかも捨てて、裸になった気分になれた。天にも昇るような、すばらしい経験をしたのだ。
私は、刺激に全身を震わせつつ、下着の間へ逃げ込んだ彼女をつかみ出した。なんと小さき生き物か。
灯りに照らしてよく見れば、なめらかな黒い毛に全身を覆われたそれが、おびえたように瞳を潤ませて私を見つめてきた。
かわゆい……あまりにも彼女は愛らしすぎたのだ。
私は、婚約者ニレナ王女の名前をとって、彼女をニレナ、と名づけてかわいがることにした。
一緒に過ごすにはどうすればよいのか、彼女は何が好きなのか、毎日考えた。つまり、その日から、私はニレナのとりことなったのだ。
んん? その後、妻となった方のニレナはどうかと聞きたいのか。そちらのニレナは、私の妃としてきちんと勤めをはたしてくれているぞ。
私たち夫婦には何の問題もないと思うが? ニレナ同士、ほどほどに仲良くやっていてくれると、私は信じている。小さきニレナに会いたいならば、そこにいるエディンに頼めばよい。
ニレナに触れられれば、そなたも、めまいに似た怪しい喜びを覚えることであろう。彼女は、今は美しい毛の一部が禿げているのだが、それも愛嬌である。すばらしい子だ。
ああ、言い忘れたが、このことは口外してはならぬぞ。他国の者にこの情報がもれたら、危険極まりない。私の大切なニレナが盗まれてしまうかもしれないからだ。
いつか、そなたも黒ネズミに遭遇したならば、心よりかわいがるとよかろう。黒ネズミは必ずや大きな幸せをもたらす。それはここにいるエディンも証明してくれる。そうだな、エディン? あの温かくムニュムニュ動く感触は言葉にならないほどすばらしいものだ。触れたものすべてに喜びがやってくるのだ。
ジーク王子はそばに控えているエディンに愛想のよい笑みを見せた。
エディンは軽く会釈する。
「さあ、話は終わりだ。エディン、この人に帰ってもらってくれ。そのような物、私はいらぬぞ。今の話で理解してもらえたと思うが、私は本物が良いのだ」
王子の話を聞きに来ていた行商人は、こうして黒ネズミのマスコットを王室に売りつけることに失敗したのである。
【ジーク王子、ニレナを語る 了】