番外編 「私って…ツンデレ?」
(※「葉桜の展望台で」本篇6話目と7話目の間に入る小ネタです。亜来の社員旅行の一場面。一部本篇のネタバレを含み、ちょっとだけ大人っぽい部分もあり、ご注意)
週末は、私の会社恒例の社員旅行だった。バスで観光した後、温泉宿へ一泊の格安コース。
宴会が終わった後、それぞれの客室へ引き上げると、女子社員達のおしゃべりタイムになった。入浴も終わり、同じ部署にいる六人の独身女が浴衣姿でくつろぐ。
「斉藤さんは、ご結婚はいつ頃なんですか?」
そう言ったのは、今年入社した新人女子の峰沢。話が突然自分に向けられ、私は、つまんでいたポテチをこぼしてしまった。
はっきり言って、峰沢のことは苦手だ。高卒入社の彼女は、敬語を使っていても遠慮を知らない。会社で制服に着がえるからとはいえ、出社してくる時の服装は、高校生が遊びに行く時のような恰好ばかり。軽く明るい茶色に染めた髪に花柄のシュシュのポニーテールが定番で、今日も足丸出しのミニスカ。バスに乗り込む彼女を見て、スケベな男性社員たちが喜びの視線を送っていたことは言うまでもない。
「いつって……何も決まってないよ」
「お相手はいらっしゃいましたよね? あたし、この前見たんですよ。会社のすぐ近くの路上で、斉藤さんが体格のいい男の人に肩を抱かれて歩いておられるのを」
畳の六人部屋にどよめきが起こる。峰沢は得意げに身振り手振りで話を広げる。
「身長は百八十センチぐらいですかね、見るからにがっしりした体育会系で営業職っぽいその男の人が、斉藤さんにゾッコンみたいで、こんなふうに手をのばして、ちょっと強引な感じで。あたし、見ていて、きゃー、って叫びそうになっちゃいましたよ」
どうやら、彼が待ち伏せしていたあの日のやりとりを峰沢に見られていたらしい。
純也の身長が百八十って……そんなにないと思うけど。ここで彼の体格をみんなに説明するのもおかしい気がして私は訂正しなかった。
興味津々の目が私に集まっている。野次馬たちは、続きを峰沢に催促する。この部屋の女子は全員が独身の二十代。そういう話題が大好きな年頃だけど、話題が自分のこととなると楽しさなどない。
「それでですね、斉藤さんがツンデレ風に彼氏から逃げるように身を引いて、ドラマみたいで。彼氏が絶対に離さないオーラを出しまくってたんですよう。あたし、あの光景に萌えましたぁ」
「ちょっ、それは誤解、違うの。あれは隙を突かれて」
「あの方が斉藤さんの彼氏さんですよね? 違うんですか? ただのストーカーさんには見えませんでした」
「う、うん。まあね……」
――確かに、彼氏だけど。
同期の佐々木恵子がにんまりと歯を見せた。
「亜来ぃ、その人ってさ、前に言っていたずっと付き合ってる彼氏だよね?」
――べつに、否定する必要なんかないか。
私が頷くと、峰沢が待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「素敵な彼氏さん。あたし、びっくりしたんです。いつも明るくて仕事を要領よくこなしている大先輩の斉藤さんが、彼氏さんの前ではツンデレ姫なんですよ」
ゴホッ。喉にポテチがつまりそう。
「ツ……ツンデレ姫って……何それ。頼むからそんな変なこと言わないで」
女子部屋に湧く笑いの渦。
頭が痛い。
佐々木は同期だけに容赦なく、いじわるくほほ笑んだ。
「じゃあ、今夜の話題は亜来の恋バナ、馴れ初めから現在までの報告会に決定! 亜来に彼氏がいたことは知っていたけど、どういう知り合いとか、どこまで進んでいたかとか、私たち、みんな知らないもんねー」
室内にいる女性たちが「賛成」と手を叩く。皆、適度に酒が入っているせいか、今夜は異様にテンションが高く、たちが悪い。みんな酔っ払ってる。
「亜来、さあさ、この場で洗いざらい激白しちゃおうよ。悩みがあるんなら、みんなに相談してよね。飲んで、飲んで」
「斉藤さんのロマンス、聞きたいでーす!」
拍手が巻き起こる。
もういいや。どうとでもなれ。
私は差し出されたビールのコップを取ると、ぐいと飲み干した。
「――で、彼とけんかしちゃったわけね?」
「そう。彼の家族が、自然保護団体の『布教』活動にはまっていて、私はまんまと利用されたの。そういうのってどうよ。別に、活動内容を批判したいわけじゃないんだけど、彼の家での初めての食事会だったのに」
酒が手伝い、あの時の着ぐるみ試着大会の屈辱がよみがえり、皆に愚痴をぶちまけてしまった。だけど、話すのはそこまで。彼がその後、家庭の事情を打ち明けてくれて、結婚の約束をしたことは伏せておく。
「あんまり腹が立ったからケータイの電源を切っていたら、彼が会社の外で待ち伏せしていてね、あとは峰沢さんが見た通り」
峰沢は納得して首を縦に振っていた。
「そうだったんですか。それで彼氏さん必死だったんですね。で、その後ってどうなったんですか?」
「……なんかうまく彼のペースにはめられて、言いくるめられちゃってね」
私は、あの日のことを思いだした。
『今から亜来がほしいな……』
誰もいない葉桜の展望台で、同意の深い口づけを交わし、その後、こらえきれない情熱にまかせてラブホへ傾れこんでしまった。素肌になるのももどかしく、互いの衣服を競争するように剥ぎ取り、激しく確かめ合った感触が生々しくよみがえる。
高まっていく触れ合いの中で、何度も繰り返し思いを伝えた。
呼び合う名前。
唇で、指先で、手のひらで、そして互いの胸で包み合い、身も心も溶けた。
『亜来……っ』
『……純也……あ』
はじけた意識の中で思いは一つになる。
この人とならどこまでも――。
あの時の汗ばんだ彼の顔を思い出してしまい、頬が火照ってきた。
お酒が全身に回る。弾む心臓。回想する純也の熱いささやきすらリアルな気がして。
もうだめだ。
「わあぁ!」
口から勝手に奇声が飛んでしまった。はっと気が付けば、同室者たちは驚いて私を見ている。
「どうなさったんですか、斉藤さん、斉藤さんっ!」
「亜来? どうしたの」
「う……なんでもない。酔いが回ってきちゃった」
――あの日、避妊してもらえなかったことを思い出しただけなの。もしかして彼の子を宿してしまったばかりかもしれないのに大酒しちゃった……ってそんなことみんなに言えないし。
カーっと火照る顔。
「斉藤さん、真っ赤ですよ」
「亜来? 大丈夫?」
「う、うん。飲みすぎたかな」
へへ、と適当な笑いをふりまく。
「私の話はこれで終わり。次は峰沢さんの恋バナをどうぞ。彼氏、いるんでしょ?」
「えー、いませんよう、そんな人」
峰沢が大げさに首を振る。
「いないの? うそでしょ?」
「その顔はいるって顔よ。報告プリーズ!」
他の女子メンバーから峰沢に突っ込みが入り、矛先がうまくそれたところで、私は立ち上がった。
「ちょっと酔い覚ましにベランダに出ているね」
部屋の南にある狭いベランダに出た。すぐそこに森が迫り展望はきかないけど、冷たい夜風は酔い覚ましにはちょうどいい。
あの時。
避妊しなかったことに気が付いても、終わってからでは後の祭り。愛し合った後の熱も一気に冷める。
『わ……これで赤ちゃんできたらどうしよう』
『それなら結婚を急げるからいいと思えよ。亜来の体が大変なら、仕事なんかすぐにやめればいい。俺、がんばって稼ぐから』
『男の人はそれでいいかもしれないけどさ、私は隠しようがなくって、なんかヤだ』
温泉宿のベランダの手すりにつかまりながら、あの時の会話を思い出し、くすっ、と一人笑い。
芸能人のデキ婚ニュースを見るたび、だらしない人たちだ、どうして避妊しないのかといつも思ってきたのに。自分も同じじゃないか。デキ婚になったら、両親はどんな反応をするんだろう。怒るのか、笑うのか。妄想は広がっていく。
だけど、妊娠したとは決まっていない。いるとしたら、着床したてぐらい?
可能性がある以上、次の月の物が無事に訪れるまではそのつもりで体を大切にしなければ。
無性に純也が恋しくなって、ケータイメールを送った。
【温泉旅館なう。来週の市民フェスティバルで会う時に、お土産渡すね】
すぐに返信が来た。
【いいなあ。俺も温泉行って亜来と混浴したい】
【また今度ね】
【今度っていつだよ?】
【内緒】
【今すぐそっちへ押しかけてやろうか?】
【ごめん、それは遠慮してくださーい。女子会楽しくやってるから。じゃあ、おやすみ!】
【おやすみ(涙)】
彼らしい返信に顔を弛めながら、ケータイを閉じた。この返信の仕方ではつれなすぎたか、と思ったけど、まあいいか。次に会う約束もしているんだし。
「私……ツンデレかぁ……そうだったんだ……ツンデレ姫だって」
またこみ上げてきた笑いをかみ殺して、夜風に湿ってきた髪を掻きあげた。
思いがけない出来事に見舞われるのは、この一週間後のことだった。
【了】