葉桜の展望台で

 6.

 そして事故から半年後、俺たちは、結婚式は挙げずに入籍し、正式な夫婦になった。
 住んでいる部屋は、高齢者向け分譲マンションの一階の角部屋。
 高齢者向けというだけあって、トイレや洗面所は広く、あちこちに手すりが付いている。もちろん、バリアフリー。日当たりもよく、南には、この手の物件としてはかなり大きな専用庭がある。そこに二台分の駐車スペースとささやかな家庭菜園。庭へ出る掃出しもスロープ付きで、足の悪い俺には最高の住まいだ。
 料理を作ってくれている亜来。俺が入院している時の、お互いの両親の様子を報告し合って大笑い。どちらの家庭でも『同情』というキーワードが出てきていた。
「結局、私の親も、純也のご両親も、同じなのよ。同情だけではお付き合いなんて続かないって、私たちだってわかっているのに、しつこくって。なんだかんだ言って心配ばっかり。ありがたいけど、ちょっと重いなあ。私たちも親になったらあんなふうになるかな?」
 亜来が振り返って笑いかけてくれる。
 今日と明日は二人とも休日。天気はあいにくの雨。
 風も強めで大きな雨つぶが、絶え間なく窓を打つ。パラパラと当たる音に、亜来が南の窓に目をやった。
「なにこれ、台風みたいな雨。こんな酷い天気って予報で言っていた? 今日はお買いものは行けないね」
 雨の予報は出ていたが、台風ではなかったはず。
 強い雨音と暗い空を見ていたら、ふと不安になった。
「俺と一緒になったことを後悔しないか?」
「へっ? なんで後悔しなきゃならないのよ。純也のおかげで家を出られてほっとした。母がうるさくって嫌だったもん。母に従って純也と別れていたら、こんな平和な時間を過ごせていないと思う」
 鍋をかき混ぜながら、クスッ、と笑う亜来。
「俺はこんな足になったから、雨の日の外出は億劫だし、晴れていてもハイキングなんて無理だし、子どもができてもキャッチボールとかもできない。つまらねえ男だなって自分で思ってさ」
「あのね、キャッチボールなんて転がすだけなら座ってでもできるよ。子どもがよく動くようになったら、私が子どもの相手をすればいいだけでしょ。純也は玉拾いでもして。素早く動けなくても、玉は拾えるんだからね」
「ああ、そうか」
 ――ありがとう、亜来。
 心から感謝。
「変な純也。子どももできていないのに、何を心配してるの。それにキャッチボールなんかしなくても、海や公園でお弁当を広げてゆっくりしてもいいじゃない。人生を楽しくする方法なんていくらでもあるよ」
 亜来が料理の手を止めて、ソファに座っている俺に近づいた。
「!」
 いきなり、チュっと口づけ。
「つまらないネガティブ妄想をしたら、私、許さないから」
「亜来」
 愛しさがあふれ、亜来の手をひっぱってソファに押し倒す。
「ちょっと待って。お鍋が」
「料理はあとでいい。今は亜来を食べさせて」
「やっ……待ってってば」
「そっちが挑発したくせに」
 強引に唇をふさいで、エプロンの下へ手を伸ばす。


 ◇

「……だから、待ってって言ったのに」
 亜来はふくれ面。
「そのわりには喜んでいたように見えたなあ」
 上気した頬の赤さがまだ抜けない彼女。そんな顔もかわいい。
 食卓には焦げ付いて、黒々としたふちのあるシイタケとニンジンの煮物が乗った皿。
「ほらあ、焦げついちゃったよ。純也が急に発情するから」
「焦げたのは俺が食べる。捨てるのはもったいない」
 いちゃついているうちに、煮詰まって真っ黒になった煮物たち。
 ありがたく食べる。ちょっと苦いけど、これも幸せの味。
 別れを決意したあの日の悲しみを、俺は生涯忘れることはないだろう。だから今を大切に生きる。
 明日、雨が上がって、暖かい日だったら、亜来と出かけよう。


   番外「愛と同情――君を手放したくなくて」 了



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