5. 


「なにを謝ってんだよ」
「ごめん、私がよけいなことしたから」
 幹雄は綾の隣に腰かけた。
 今日は晴天とはいえ二月中旬の屋外。噴水の前の木製ベンチは冷たく、風も痛い。この寒さの中、学生の通行人はいてもこんなところに座っている者は誰もいない。
 幹雄は首筋から入ってくる寒風にジャケットの襟をたて、手袋をはめていない手をこすり合わせた。
「どうした」
「……ごめん……っ」
 綾はすすり泣いている。
 彼氏とのけんかは、今回はそんなに深刻なのだろうか。いや、そういう話題ではないのか。
 幹雄はあれこれ推測しながら、彼女が話してくれるのを待ったが、じっとしていると陽射しがあってもやはり寒い。
「あのさあ……言いたくないなら別に言わなくても俺はかまわないけどさ、とりあえず、暖かい場所へ行かないか。なにも、こんな寒い場所で震えながら話をしなくてもいいだろう。他のやつらに聞かれたくない話なら、学外の喫茶店へ行ってもいいしさ。俺、午後の授業入っているけど、休んでも支障ないやつだから、今から付き合ってやるよ。また彼氏とけんかかよ」
 綾は顔を上げ幹雄を見たが、すぐに視線をそらした。
「……違うよ。彼のことじゃない。ごめん、寒いよね。どこかへ行かなくても、話なんかすぐに終われるの。寒い思いさせてまでここへ呼び出したのは、どうしても幹雄君だけに直接知らせたいことがあったから」
 綾は溜息をつくと、コートのポケットからケータイを取り出して開き、一通のメールを見せた。
「見て。最悪のメールが来た。幹雄君の所にメール転送する勇気がなかった」
 目に入ってきたケータイ画面の文字に、幹雄の顔が引きつった。
「冗談だろ……俺たちの作品に盗作疑惑って……」
「盗作だなんて……私、そんなことしていないよ。信じてくれるよね? 野菜を主人公にした官能小説を専門にしているネット作家さんがいるなんて知らなかった」
「こんなのいたずらメールに決まっている。放っておけよ」
「私だってそう思ったよ。でもね、このメール、『文笑』編集部からの入賞連絡と同じアドレスから来ているの。最初はこのメールの内容が信じられなかった」
「トマト作品が盗作なんて言われるって、俺だってがまんできない。どこの誰だよ、俺たちの作品にそんなバカげた言いがかりをつけやがったのは」
 幹雄はもう一度メールを読み返した。

【――読者の指摘により、当社が詳しく内容を調べたところ、文章は○○氏の作品と完全に一致する部分はなく、盗作とは断定できないという結論に達したが、話の流れなどの内容は確かに似ている部分が認められるため、二次創作、あるいはコピーと疑わしい作品は選考対象外という当社の募集規定に従い、残念ながら、今回の佳作入賞を取り消しとし――】

「雑誌回収はしないけど入賞は取り消すって、ひでえや。じゃあ、一万円ももらえないのか」
 綾は弱く頷く。
「私、一応、ここに書かれているネット作家さんのこと、調べてみた。そしたら確かに存在していたの。そういう名前で、ああいう作風の人が」
 幹雄は、下を向くしかなかった。乾いたアスファルトの上を、穴だらけの枯れ葉が、風に押されて転がっていく。
「悔しいよ、幹雄君、悔しすぎる。入賞を取り消されたってことは盗作扱いでしょ。その野菜小説の人の作品、設定が似ていても中身は全然違うと私は思うのに、私たちの作品がコピー扱いなんてあんまりだよ。入賞を祝ってくれた日南子ちゃんと巧君になんて言おうかと思ったら……」
 綾は両手で顔を覆って、肩を震わせた。
「泣くなよ……って俺も泣けてきた。こんなのってありかよ。似ているってだけで入賞取り消しなんて普通ないよな」
「でも現実なの。幹雄君……ごめん、初めの原稿のままで出せばよかったんだよね。幹雄君のオリジナルで。ちょっと色気を入れたらおもしろいかと思ってよけいな手を入れて、それで」
「それは違うって。綾ちゃんが改稿してくれたから、目を惹く作品に仕上がったと俺は思っている。あのままでは絶対に残れなかった。気にするなよ」
「こんなことになるのなら、一次も二次も、選考に残らなきゃよかった。ちょっと喜べたと思ったら、入賞取り消しって。なによそれ。私、盗作者なんかじゃない。人の作品の泥棒なんかしていない」
 しっかりものの綾の倒れそうな姿を見ていられなくなり、幹雄は綾の細い肩を抱き寄せた。綾は泣いている顔を隠すように幹雄の胸に顔をうずめた。
「私、何もかもいやになった。楽しむために書いていたのに、あんまりだよね」
 幹雄は、すがりつく綾の手の冷たさを感じながら、できるだけやさしく抱擁した。
「こんな場面をおまえの彼氏に見られたら俺、殺されるな」
「彼が怒るけど……っ……迷惑かけてごめん。でも今だけは――」
「何も気にするなって言ってるだろ。たかがマイナー雑誌の公募だ」
「うん……わかってる。でもごめん……涙が止まらない」
「それ以上謝るな。たまたま似ていた作品があった、というだけなんだから、残念だけどさっさと忘れよう。公募なんていくらでもあるからさ。俺たちは誰の作品もパクってない。偶然、作風が似てしまったなんて話、創作の世界ならいくらでもある。俺もショックだし、悔しくて悲しいけど」
 落葉して丸裸になっている木々の枝を抜ける風。すすり泣く小さな声もかき消されていく。
 午後の授業の時間になっても、二人はそのままそこでそうしていた。

 長い時間を置いたあと、綾はようやく幹雄の胸から離れた。
「幹雄君、ありがとう。思い切り泣いたら、少し気が済んだ」
 綾は、涙をふき、無理に笑って見せた。
「私、決めた。文芸部やめる」
 きっぱりと言い放った綾に、幹雄は驚いて顔を確かめた。
「どうして」
「だって……ネットの中を検索すれば、きっと、私がパクリ作品で入賞したって中傷情報が飛び交っているよね。ツイッターで入賞報告しちゃった後だから、すぐに本名もさらされると思う。文芸部のみんなに迷惑かけたくない。これで文芸部はおしまいかも。四月になっても新入部員なんて入るわけがないよね。パクリ認定された人間がいるんだから」
「おかしなこと言うなよ。こんなマイナー雑誌の話題なんて、そんなに世間に需要はないから、個人情報まで洩れるはずないし、それを知った新入生が寄りつかないなんてことだってない」
「そう言ってくれると希望が持てるけど……」
 綾はまた出てきてしまった涙をぬぐった。
「でも、もう何も書きたくない。書かないなら文芸部にいる必要ないよね」
「日南子ちゃんをひとりにするのか」
「……彼女だって、私と同じことになったら、きっとそうすると思う。今回のこと、幹雄君からみんなに詳しく話しておいて。日南子ちゃんには夜にでもメールで謝っておくから」



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