菜宮雪の空想箱

妄想物語2



※この話は妄想物語1と似ていますが別のお話。

 「あなた、邪魔よ」



 妻はガラス性のボールの中で生クリームを泡立てていた。電動の泡だて器は勢いよく回り、甘い香りが台所いっぱいに広がる。生クリームがほどほどに固まったところで、妻は器械を止めた。
「ねえ、あなた、ちょっと味を見てくれない?」
 妻は、生クリームをひとさじスプーンに取ると、キッチンカウンターの向こうへ回り込んだ。夫は食卓の上に新聞を広げて座っている。夫は新聞から顔をあげると、妻をにらみつけた。
「味見? どうせ、また俺に変な物を食わす気だろう。おまえが味見と言う時は何かある。今日はその手には乗らないぞ」
 夫は、妻がスプーンを持っている手を押しのけ、再び新聞に視線を落とした。
「味見もしてくれないの? それならいいわよ、自分でするから」
 妻はぼそりとそうつぶやいたが、夫は返事をしなかった。生クリームが乗る予定のケーキ本体は、すでに焼き上がっている。妻は生クリームがついたままのスプーンを流し台の横へ置き、器用にケーキをクリームで飾り付けると、コーヒーを淹れた。焼き菓子の香ばしさと、クリームの甘さに、コーヒーの匂いも室内に広がる。
 妻は、ニヤリと笑うと、夫用のコーヒーの中へ、先ほどの生クリームのついたスプーンを入れてかき混ぜた。生クリームはたちまち溶けて細かい泡となっていく。
「あなた、コーヒー入ったわよ」
 夫は新聞をたたむと、妻の顔を見上げた。目の前に置かれたコーヒー。泡が立っている。
「おい……どうして、ミルクを入れたんだ」
 妻は、どこか不機嫌そうな夫の様子には気がつかないような顔で、にこやかに答えた。
「生クリームが余ったから、入れただけよ。もったいないじゃないの」
 夫は注意深くコーヒーカップの中を見つめた。湯気が揺れている。
「やっぱりクリームに何か入れただろう。俺はブラックが好みなのを知っているくせに」
「どうしてそう思うのよ。あなたは被害妄想なの。あまりおかしなことばかり言うなら、今すぐ精神病院へ連れて行くわよ。明日からは会社にも行かせない。電話しておくから、それでいい?」
「俺は被害妄想でもなんでもない」
 夫はきっぱりとそう言ったが、妻はひかなかった。
「じゃあ、飲んでよ。何かが入っているって、思う方がおかしいの」
「俺はおかしくない」
「飲めないんでしょう? やっぱりあなた、普通じゃないわね。一緒に精神科へ行きましょう」
「なんでいつもそういう話になるんだ。俺がおかしいと決めつけるな。病院になんか行かないぞ」
「人の話に耳を貸さないところが、おかしいって言うの。普通なら飲めるはずよ」
「……わかった、飲めばいいんだろう。飲めば」
 夫はあきらめの息をはき出し、コーヒーカップに口をつけた。
「あなた、熱いから気をつけてね」

 ――数分後。
 夫は、食卓へ伏せるように寝いっていた。妻はそれを確認すると、大急ぎで奥の部屋へ向かった。
「OKよ。眠ったわ。早くヤりましょう。ねえ、早くう。今すぐしないと、起きちゃう」
 奥の部屋から十代後半の若い男が出てきた。
「またヤりたいの? 好きだなあ。でもこれ、犯罪じゃないの?」
 男は、眠っている夫を憐みの目で見つめた。妻は、若い男の二の腕をつかんで甘えた声でねだる。
「早くしたいの。ねえ、お願い。相手して」
「わかったよ、一回だけだよ」
 若い男と妻は、夫婦の寝室へ向かった。ベッドの下から、将棋セットを取り出す。
「母さん、今日は何に睡眠薬を盛ったの? どうやって父さんに食べさせたの?」
「何でもいいでしょ。あの人が起きていると、横からあれこれ言ってうるさいから。あの人とでは、私は弱すぎて全然勝てなくて、つまらないし。ちょっと寝かせるぐらい、罪じゃないわ。仕事の疲れをとってもらわなきゃね。さあ、ヤりましょう」
 妻は息子と向かい合い、楽しそうに駒を並べた。


   了




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