菜宮雪の空想箱

17.

 アリマセを水へ送ってから一週間後。
 仕事帰り、バスを降りた直後、激しい夏の雷雨に見舞われた友香は、いつかの台風の日のように、びしょぬれになって自宅へ向かって歩いていた。気持ち悪い水濡れサンダルをがまんしながら早足で進む。
 ――アリマセが家に突然現れたあの日にそっくり。出会ってもうすぐ一年。でも、彼は。
 大粒の雨で泡立つ公園池に目をやる。アリマセはあの中で眠っている。

 自宅へたどり着き、玄関で傘をたたむ間も、雨は容赦なくたたきつけてくる。たたんだ傘を、傘立てにいれようと――
「っ!」
 陶器の丸い傘立ての影に、見覚えのある姿が。
 ちょこんと立っている未確認生物。頭に皿。毛のある手足。そして甲羅が背にある。

 ここへ来たということは、アリマセの知り合いだろうか。三センチほどの甲羅。死んだときの彼の大きさぐらいだ。
 パクつく河童の口。
 小さな河童の声は雨音で聞こえない。身をかがめて河童を手のひらに乗せた。
「こんばんは、小さな河童さん。あたしに用?」
「僕はアリマセですよ」
 しっかり日本語を話す。
「嘘でしょ。アリマセ君はもういない。あんた、誰」
 目の前の河童は、いたずらっ子のように、にんまりと、口を横に引いた。
「河童の王子様です」
「ふっ、またそのネタ。アリマセ君の身内ね?」
「本人ですよ。信じてください友香さん」
「嘘……本当にアリマセ君なの?」
 友香はいつかと同じ問いをしていた。
「そうですよ、友香さん。河童だから、乾燥で死んだ場合は、潤えば蘇ることができます」
「そう? 嘘っぽい話ね」
「いつものように嘘だよーん、って言えばいいですか?」
「やめて。なにが本当かわからなくなるじゃない」
「嘘だよーん、ってそれも嘘だよーん」
 そんな言い方をする河童はこの世にひとり、いや、一匹しかいない。
 ――本当に? 信じていいの?
 友香は涙がこぼれかけるのを必死でこらえた。
「アリマセ君……」
「友香さん、また遊んでください」
 ――生き返った。アリマセ君が生きていたんだ。
 彼を殺してしまったのではなかったことへの安堵と、彼がよみがえっていることの驚きでどういう顔をしていいかわからない。
「あたし、あんたに謝らないといけないの。謝って済むことじゃないけど、いろいろごめんなさい」
「僕は友香さんが大好きですから、そんなこと気にしなくていいんです。なかなかお会いできなくて、僕も気にしていたんですよ。あの、これ」
 アリマセは、口をグニャグニャ動かすと、口に含んでいた指輪を出した。
「僕の気持ちです。この前のとはまた違うやつですけど」
「へ?」
 いきなりそれ。
 突っ込みどころがありすぎ。
 ――指輪って、口に入れて運んでいたのか! よだれだらけのそれをあたしに渡したんだ。つか、また誰かの指輪を拾ってきたか。
「あ、ありがとね。気持ちだけはもらっておく。あたし、指輪なんて必要ないよ。あんたが生きていてくれたらそれで」
「指輪がなくても、僕とまた会ってくれますか?」
「うん。あんたの嘘話はおもしろい。彼女になるのは無理だけど、それでもいいかな」
「それは残念ですけど、僕にはまだチャンスがあるわけですね。がんばります。また会いにきますよ、友香さん」
 豪雨の中、池へ向かって帰っていくアリマセの後ろ姿を見送った。
 ――よかった、元通りの彼。
 つう、と頬に涙が流れ出た。



 そして、現在。
 友香の部屋。
 残暑が厳しい。扇風機が首を回して風を送り続けている。
 水入りバケツに入り、首だけをのぞかせテレビを見ているアリマセ。
「結局、あんたのねらいはそれだったわけね。ダム湖へ行ってテレビが観られなくなってがっかりしてたんでしょ」
「へへ、友香さん、お部屋でのデートは楽しいですねえ。僕はこうやって彼女の家で一緒にテレビを見るのが夢だったんですよ。テレビが正面からしっかり見られるなんて最高です。音もちゃんと聞こえる。だから、友香さんには僕の彼女にどうしてもなってほしくて」
「はいはい」
 ――あたしはあんたの彼女になったつもりはない! お部屋に二人きり状態で、付き合っているカップルと同然な状況なのは間違いないけど。あんたのバカらしさが楽しくて、頼まれたらついついここへ連れてきてしまうけど。
「友香さんはいいなあ。毎日テレビを見ることができるなんて」
 目を輝かせてテレビを見ているアリマセ。知識が必要なクイズ番組よりも、ドラマや映画が好きらしい。
 ――テレビ目的かい。あたしが彼女かどうかって関係ないよね。でも、ま、いいか。害になっているわけでもなし。彼氏としてキスをせまってくるでもなく、彼が楽しそうにしていると妙に癒されるし。
 アリマセにとって『付き合う』ということはこういう状態のことを指すのだろう。人間の『付き合う』という感覚とはだいぶ違うらしい。
 満足そうにしていると、追い出す気にもならない。彼は仕事帰りの友香を待ち伏せして部屋へ入りたがり、テレビを見て気が済むと、深夜に自分から池に戻っていくのだ。家族にはばれてしまったが、いつか他の誰かに見つかって捕まるのではないかとハラハラしながらも、付き合いは続いている。

「今日はそろそろ帰ります。友香さん、例の計画のこと、よろしくお願いします」 
「うん、雨が降ったらね。雨はたぶん四日ぐらい後」
「では、おやすみなさい」
 アリマセは、いつも、二階にある友香の部屋の窓から雨どいを伝って地上へ降り、公園池へ帰っていく。感心するほど器用ですばやい逃げ足だ。
 彼は仲間の帰還を強く望んでおり、友香も、ダムが渇水するたびに気になるため、近日中にダム湖の河童たちを連れ戻すことに決めた。次にまとまった雨が降る予報が出た日が決行予定日。現在なら公園池の水質も問題ないとアリマセは言う。
「仲間が公園池に戻ってきたら、僕は河童の王子様を名乗るのはやめます。その代わりに、河童の王様になりますよ」
 胸、というか、甲羅の腹を突き出していばってみせるアリマセ。
「はいはい、河童王国の陛下とお呼びしましょうか」
「嘘ですよーん。変わり者と言われている僕なんかが王様になれるわけがない」
「本当になれるかもよ。あんた、なんだかんだ言っても頭いいでしょ。人間の言葉をよく知っててすごいもん」
 アリマセはうれしそうに頭をかく。
「わーい、友香さんにほめてもらった。照れるなあ。本物の王様になれるようがんばります」

 アリマセが帰った後、窓を閉めた友香はニヤリと笑う。
「今度は河童の王様って。もしも、ダムのみんなが公園池へ戻りたいくないって言ったら、彼は王様にはなれないのに」
 ダムの河童たちが皆、公園池へ戻って来るなら、得意げに皆を仕切るアリマセの姿がきっとみられることだろう。本当の河童の王様のように、偉そうに。
 自称河童の王子アリマセが、河童の王として君臨するかもしれない日がそのうち来る。
 ――かもね。あくまでも可能性ってことで。嘘になってもかまわないけど。
 河童は嘘つき。
 彼ら全員が帰りたいかどうかは、会ってみないとわからない。アリマセの指示にみんなが従ってくれるかどうかも。
 全河童の帰還計画日はもうすぐ。



    了 



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