4. 
【霜月十一日。菊千代が死んでいる部屋にて】
 松川楼で菊千代の躯を一通り調べ終えた清太郎は、内儀のお藤から筆を借り、持ってきた手控帖に明らかになった事を書きつづった。

  一日、西尾屋三助、松川楼で暴れ髷を切られて追い払われる。
  二日〜七日 三助亡。
  七日、三助の躯、隅田川で発見。首に刺し傷。手首に縄痕とためらい傷のような切り傷あり。誰かの長い髪を握っていた。
  八日、菊千代、妹女郎の披露目の仕度のため寮から松川楼へ戻る。
  九日、三助の件で松川楼調査訪問。菊千代本人と会い、髪は地毛と確認。三助は菊千代の間夫ではないと複数証言あり本人も間夫説を否定。菊千代が三助を殺す理由があることが判明。
  十一日、菊千代、松川楼の自分の部屋で顔を火鉢に突っ込み、前髪を切られた絞殺体で発見。死後半日以内。自分の血と指を使い、血文字で三助と書き残す。

「髪だ……どうして髪の偶然が重なるのか」
 清太郎は、三助の躯が握っていた誰かの髪を出し、菊千代の躯の髪と比べてみた。菊千代の髪は細く腰がなかったが、三助の手に絡まっていた髪はもっと太く艶がある。
「内儀、今になって聴くのもどうかと思うが、三助の切った髷はどうした」
「梳き髪買いに売っちまいましたよ」
 三助の髷は切った直後はこの楼の入り口付近にころがっており、その後下足番が拾って内儀へ。そして、梳き髪買いの手に渡ったらしい。
「では、切られた自分の髷を未練がましく持って死んだわけでもないわけだ」
 切られた髪。
 三助はこの妓楼で髷を切られた。そしてその後、誰かの髪をつかんで隅田川で躯になって発見された。ここで死んでいる女も前髪を短く切られている。この女は髪をつかんで死んでいるわけではないが、血文字を書いた形跡がある。血文字はこの廓で髷を切られた三助の名……二人は馴染みで、深い間柄であり、元許嫁。
 霧に包まれた真実は見えそうで見えてこない。
 はっきりしていることは、三助が死んだ時に手に絡めていた髪の束は、自分の髷ではなく、菊千代の髪でもなかったということだ。そして、先に死んだ三助が菊千代を自分の手で直接殺すことは絶対にできない。
「菊千代が三助殺しを依頼を誰かにすることは可能だ。それとも」
 菊千代の方が病気を苦に死を望み、三助を道連れにしたか。あるいは、生活に行き詰った三助が自害を考え、菊千代を道連れにしようと誰かに菊千代殺しを依頼しておき、一足先に自死……。
「いや、それも違う気がするな」
 二人の死を関係づけることが正解かどうかもわからない。まだまだいろいろな状況が考えられる。
 三助の死と菊千代は無関係で、金に困った三助が、借金取りに追われて殺されたか、絶望してこの妓楼の者とは無関係の誰かと心中し、たまたま菊千代がこの時期に死んだ、という可能性もある。
「しかし……」
 二つの死が関係ないとしたら、菊千代はなぜこんな死に方をしているのか。
 清太郎は大きくあぐらをかいた鼻をこすった。二十年近くこの仕事をこなしてきた勘がざわめく。
 そもそも、髪をつかんだままの三助の遺体を川に流すことが不自然だ。自死と思えないこともないが、いかにも犯人の髪はこれだ、といわんばかり。髪の主は今のところ判明せず、知り合いの菊千代は吟味後に髪を切られた変死体に。偶然で片づけてしまうと、『三助』と書かれた血文字の説明がつかない。
 清太郎は躯の手を取り、指先の血を調べた。指の血の幅は、血文字の字幅とほぼ同じ。
「血文字は菊千代が書いたようだな。死に際に恋しい男のことを思い出したか。いや、憎い男か」
 重苦しい雰囲気に耐えられないように、小梅が泣き声で懇願した。
「姐さんを疑うのはどうかやめなんし。これでは死んでしまった姐さんがかわいそう」
「気持ちはわかるが、これは仕事だ。二つの死に関連はないかもしれんが、一応念のため二人の行動をしっかり調べなければならんのだ。某は、菊千代が三助殺しを命じ、裏で糸を引いていた可能性は低いと見ているが、あくまでも推測の域。菊千代と三助、両方に恨みを持つ者の仕業と考えることもできる。菊千代が馴染み客の誰かにそそのかされて三助殺害を誰かに依頼し、三助死亡後、その口封じに消されたのかもしれん」
 清太郎は振り返り、後ろから見ていたお藤に言った。
「ここの馴染み客で、菊千代に心中を持ちかけそうな客はいなかったのか。たとえば、金がなくなって登楼できなくなり、花魁を殺して自分も死のうとするようなやつとか」
「どうでしょう。吉原は嘘の夫婦を楽しむ世界ですからねえ、本気になっちまっては負け。閨で心中をしようとするような気配を持つ顔色の悪い客には、寝ずの番を何度も巡回させて、こちらも気を付けておりますよ。菊千代の馴染みさんは、皆様裕福な方ばかりでしたので、貧乏になって登楼できなくなった馴染みさんで、うちが知っているのは三助の旦那ぐらいです」
「菊千代の馴染み客の帳面を見せろ」
「では内所へ戻りましょう」
「おい、小梅も一緒に来い。おめえにはまだ聞きたいことがある」

 清太郎は内所へ移動し、お藤と小梅にさらにいろいろ訊ねたが、ひっかかる情報はひとつも出てこなかった。菊千代にずっと付き添っていたという小梅は、菊千代が死んだ時間はちょうどそばを離れていたという。それについての妓楼内の証言も得られ、菊千代の部屋に本人以外は誰もいない刻があったことがわかった。
 そうこうしているうちに日は沈み、外からは夜見世の喧騒が聞こえ始めた。はやく見世を開けたいお藤は、そわそわと外ばかり気にし、事情を聴くにもはかどらず、清太郎はやむなく楼の封鎖を解き、その日は引き上げた。


 清太郎たちが帰った後、小梅はお藤と共に、菊千代の躯の前へ行き、共に手を合わせた。見分を終え、むしろでくるまれた躯は、行燈部屋に移され、ひっそりと眠っていた。吉原内で死んだひきとり手のない遊女の躯は、夜明け前に浄閑寺へ運ばれていく予定になっている。
 暗い部屋で手を合わせる小梅に、お藤がひそひそ声で話しかけた。
「上出来だよ。なかなかいい演技だった。八丁堀の旦那がうまく帰ってくれてほっとしたねえ。ほら、褒美の銭をやるよ。口が裂けても、菊千代が寮にいる間に出歩いたことがあったなんて、本当のことを言うんじゃないよ。佐之吉と番頭にも口止めはしてあるけど、今後は絶対に話題にしないでおくれ」
 小梅は頷いた。
 その時、突然、櫓の鐘が鳴り始めた。空気に混じる煙の臭いと外から入ってくる喧騒に、お藤は眉を寄せて立ち上がった。
「また火事かい。今度はどこだい」
 お藤が急ぎ出て行くと、小梅は躯の前に一人残された。誰も見ていないと思うとこらえていた涙が零れ落ちた。
「……っ……姐さん……かんにんして」

『小梅ちゃん、わかっていると思うけど、わっちは長くは生きれえせん。いつも世話になってる小梅ちゃんに、何も残してやれえせんから、せめてその思いを――』

 寮にいたとき、菊千代から小梅に小声で告げられた内緒話が小梅の心によみがえる。病気の菊千代に付きそって寮で暮らした短い日々。あのときの一連の出来事は、生涯胸に秘めておくと固く誓い、両手を合わせた。


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