葉桜の展望台で



11.

 私はあの展望台に立ち、向かい風に吹かれながら、遠くの海を眺めていた。桜の花のシーズンは終わっており、緑の葉が生い茂る何本ものソメイヨシノが枝を揺らしている。今日は休日だからか、他にも数台の車があった。ドライブがてらここに来る人もいるのだろう。私たちのように。
 衝撃だったあの日から、もうすぐ一年。
 この一年でいろいろなことが大きく変わった。
 
 礼也さんはスカウトされ、癒し系シンガーソングライターとしてプロデビューし、ファーストコンサート開催が決定。ナチュラル・アース・プロジェクトは、礼也さんのデビュー決定と共に劇の活動は終了したけれど、その信念は礼也さんの歌の中に生き続けている。洋子さんと一緒に劇のチラシ配りやった私のボランティア活動は、わずか数回で終わりを迎えた。
 ナチュラルはなくなってしまったけれど、強くなった家族の絆は二度と壊れることはないと私は思う。定年退職したお父さんは、礼也さんのマネージャーになるべく音楽業界のことを猛勉強中。洋子さんはあいかわらず手芸三昧で、楽しそうに礼也さんの舞台衣装を作っている。


「きれい……やっと夕日が見られたね」
 三度目にしてはじめて見る日没。今、丸い夕日が海に沈んでいく。薄雲がかかり、眩しさが弱められてちょうどいい。
 赤、紫、ピンク、黄色、白、オレンジ、灰色。空をさまざまな色に染めて、太陽は徐々に海に入っていく。海も、沈む太陽に近い部分がまぶしいほど白く光っている。展望台上には高価そうなカメラで夕日を撮っている人もいる。確かにこれは写真にしたい風景だ。
「ねえ、地球って、たぶん、すっごく珍しい星だよね。こんな素敵な夕日が見られる星って、広い宇宙にいくつもあるとは思えない。私たち、地球のことをもっと考えないといけないね。なるべく節電してゴミも少なくしなきゃ」
「あはは、亜来もすっかりナチュラルに染まった。なんだかんだ言っても、結局メンバーに入っていたもんなあ」
 杖を片手に、展望デッキの柵にもたれて立っている純也が、喉を鳴らしておかしそうに笑う。
「笑わないでよ。最初は、私、なんで動物の帽子かぶってチラシ配りなんかやってるんだろうって自分でも思ったの。でも、小さい子が笑顔を見せてくれると癖になるよね。メンバーの人たちも、陽気でおもしろい人ばかりで意外。地球の危機を考える活動なんて、引きたくなるような内容だったけど」
 眺めているうちに完全に日は沈み、辺りは徐々に薄暗くなり始めた。駐車場内にあった車が次々出て行く。展望台デッキにいるのは私たちだけになった。
「私ね、ここから海を一緒に眺めることはもうできないかもしれないって思った。事故直後の純也の様子を見たら、マジでヤバイと思ったの」
 純也の負傷箇所はたくさんあった。右大腿骨骨折、頭部と右手上腕裂傷、肋骨骨折二本、片方の腎臓も損傷、頸椎ねんざ、その他、神経損傷個所もあった。三カ月近い入院生活。退院してもすぐに体が動くわけではなく、地獄のようなリハビリ通いが続いた。頭部は骨が見えるほどの深い切り傷を負いながらも、脳障害が認められなかったことがせめてもの救い。
「みんなには心配かけたけど、まだ生きてるから許してくれよな。急に飛び出してきた猫の為に、俺はかっこよくハンドルを切って電柱へ突撃してやったのに、猫の恩返し、まだ来てくれない。俺、毎日待っているんだけど。これではわりに合わない」
 純也は、歯を見せて笑っている。事故後かなりやせたけれど、彼が生きていてくれて、私の隣で笑っている。それだけで私の心は暖かな喜びで満たされていく。彼の顔にいくつもできたあの日の傷跡は消えないし、彼の右足は、立つことはできても、杖なしでは歩けなくなった。頸椎ねんざの後遺症から、ときおり杖を持っている手がしびれていることもあるらしい。天気が悪いとあちこち痛いと言う。それでも私は、別れる、という選択はしなかった。

 慌ただしかったこの一年。悲しいこともいっぱいあった。いつものように病室へ行ったとき。あれは退院直前のころだった。
『これ以上俺にかまうな。明日からここへ来なくていい。どうせ俺は歩けやしない。どこかのいい男を捕まえて幸せになれよな。俺たち、別れよう』
『なんで……急にそんなこと言うのよ』
『今日、亜来のご両親、お見舞いに来てくれたんだけどさ……俺では亜来を幸せにはできないって、よくわかったんだ。亜来には本当に感謝している。今までありがとう。二度とここへ来るな。わかったらすぐに帰れ』
 純也のあの言葉は私の心をえぐった。涙をこらえられず、大泣きしながら病室を出た。きっと、母がよけいなことを純也に言ったに決まっている。家に帰って母を問い詰めた。
『亜来ちゃんがあの人のことをなんにも言わないから、様子を見に行ったの。そう怒ることもないでしょう。回復予定とか、今後の仕事のこととかを聞いただけよ。あの人、営業を外されて内勤に移動が決まったんですってね。事故の保険は会社が出してくれたみたいだけど、営業手当がなくなって減給らしいじゃないの』
『だからなに』
『亜来ちゃん、このごろ残業が多いと思ったら、あちらのお父さんに頼まれて毎日病院へ通っていたんですって? 仕事帰りで疲れている亜来ちゃんにそんなことを頼むなんて非常識なご家族ね。ご本人はだいぶ回復なさったようだから、そろそろ手を引きなさい』
『私の意志で病院へ行っているの。勝手なことを言って怪我で苦しんでいる純也を傷つけるなんて、母さんなんて大嫌い!』
 母と喧嘩した翌日も病室へ出かけた。彼は私の腕にすがって目を潤ませた。
『亜来、今日も来てくれたのか。もう会えないかと思った』
『母が、ごめんね……』
『あやまることなんかない。亜来のおふくろさんは間違ったことを言っているわけじゃない。仕事復帰のめどは立ったけど、給料は減ってしまうし、内勤ではその先の昇給もしれている。そんな男に大切なひとり娘をやりたくないって思うのは当然だろう? でもそれは自分ではどうにもならないんだよな』
 私はその後も彼の元へせっせと通った。これは自分が決めた道。同情じゃない。お父さんが頭をさげたからでもない。自分がそうしたかったから。大好きな純也の笑顔を、どうしても取り戻したかったから。


 私たちは、事故から半年後に入籍し、現在はリハビリ通いに便利な場所にあるバリアフリーのマンションに住んでいる。マンション購入の費用はお父さんが定年退職金をはたいて全額出してくれた。
 純也のお父さんは、私の留守中に家に来て、両親に自分の家族の今までをすべて話し、私を純也の嫁にどうしてもほしいと土下座したらしい。あのさみしい頭を何度も下げられたら……私も病院であのお父さんの必殺技にすごい迫力を感じた一人。純也と別れろと何度も私に迫った母も、さすがにこれにはまいってしまった。純也も全く稼げないわけではないし、もともと人情ものには弱い私の両親は、お父さんの捨て身の土下座にあれほど結婚に反対していた意志をあっけなくくじかれ、私たちが一緒になることを認めざるを得なかったのだ。
 
 私たちのマンションの寝室には、一枚の楽しい写真が飾られている。入籍して間もないころ、礼也さんがナチュラルのメンバーを誘って、私たちの結婚お祝い会を開いてくれたときの写真だ。純也の体調を考えて、私たちは結婚式をしなかったので、とても残念がっていた私の両親への配慮だったと後になってから聞いた。自宅が写真館を経営しているという若手メンバーが、店内撮影用のウエディングドレスなどを無料で借りてきてくれて、ナチュラルが練習場所にしていた公民館で、私は思いがけず花嫁姿になることができた。うれしいサプライズだった。
 何枚も撮ってもらった写真の中で、私が一番気に入っているのが寝室に飾っているあの写真。たぶん、これは一生に一度しか撮れない写真。
 写っているのは七人。彼の家族と私の家族だけ。私と彼が白クマ姿で真ん中の椅子に並んで座り、あとの五人が後ろに立つ。全員着ぐるみ、もちろん私の両親は着ぐるみ初挑戦。あのメンバーで、しかもあの恰好の写真なんてね。
 どんな顔をしたらいいのかわからないセイウチになった私の父。とまどいつつ着ぐるみの感触を楽しんでいるペンギン姿の私の母。この企画を考えた礼也さんは海鳥風衣装で得意顔。あまりにも似合いすぎているトド姿のお義父さん。お義母さんも遠慮がちにアザラシになって笑っている。大きく引き伸ばされた着ぐるみ家族写真。思い出すだけで吹き出しそうになる。
 白クマの花嫁が抱く豪華な造花のブーケを作ったのは、もちろん、お義母さんとなった洋子さん。ブーケとおそろいの花輪の冠も作ってもらってあり、しぶしぶ結婚を認めた私の両親も、暖かな心づくしを受け止め、始終笑顔でふるまってくれた。
 父さん、母さん、着ぐるみにしちゃってごめんね。ちょっぴり『変』な純也の家族とつながった私の家族。いろいろあったけど、今は、みんなどこかでつながりながら、苦しい時を乗り越えてそれぞれの道を歩いてる。


「どうした?」
 過去の回想に浸っていた私に、純也が声をかけた。
「なんかね、この一年あっという間だったなあと思ったら涙が出てきちゃった」
 純也は泣きそうになっている私の頬を、軽く指先でつついた。
「急に思い出して泣くなよ。亜来が俺を見捨てずにそばにいてくれたから、リハビリを頑張れて今の俺がある。俺の家族たちも俺のためにできる限りのことをやってくれた。事故は二度とごめんだけど、いざという時、家族ってやっぱり頼りになる存在だってはっきりわかったよ。冷戦状態が終わってから何年も経っていないのに、不思議なものだな」
「それはね、やっぱりみんな大切な人だから。家族ってそういうものよ」
 私は夫の暖かな腕にそっと身を寄せた。やさしい口づけに心が弛められていく。これからも人生の厳しい波はたくさんあるのかもしれない。でももう迷いも恐れもない。大きな荒波を共に越えることができたのだから。
「亜来、そろそろ暗くなってきたから家に帰ろう」
 念願の夕日が見られて私も満足した。肌寒くなってきた展望デッキから駐車場へ向かって歩く。杖を突いて歩く純也に合わせ、私も歩幅を小さくしてゆっくりと進む。私の赤い軽自動車がそこにある。
「今度は桜が咲いている時期にここに来よう。葉桜の展望台は人が少ないから落ち着くけど、たまには満開の桜が見たい」
「そうねえ、それもいいかも。その時には、家族がもう一人、お腹の中に来ると思う?」
「さあね。俺にたずねてもらっても困る。子どもはコウノトリが運んでくるものだろ? コウノトリが絶滅しないよう祈っておけよ。今のところは、俺のコウノトリは生息が確認されているみたいだからなんとかなると思うけど」
「俺のコウノトリって……」
 純也がいらずらっぽく笑う。差しのべられた桜の枝が、私たちを静かに見守っている。
 私たちはきっとまたこの場所に来る。
 共に歩む喜びをかみしめるために。




      【了】




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読了ありがとうございました。あとがきのようなもの(2012.7.1完結時のブログ記事)へ

番外「私って…ツンデレ?」  番外「愛と同情――君を手放したくなくて」

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